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ええレプリカントです、自分は今、東京にいます

取材で東京を連日歩き回っていました。

ある大著の翻訳がらみです。この本はその後なんとか刊行までこぎつけました。

いろいろな方に会っていただけました。大半はすでに引退されている男性でした。

私はご承知のように、成人後しばらくして精神に異常をきたして、たらいまわしの末に大学病院に回され、そこでロールシャッハ・テストを受けて、重症判定され、通院を続けていたという経歴があります。恥じたことはないけれど、あまり大っぴらに話すようなことではないし、履歴書に書きこむにはためらわれるような道のりを辿ってきました。

東京には何度も行って、取材に回りました。年配の方がほとんどだったこともあってか、ほぼスムーズに話が弾みました。精神科医は、けして患者さんに向かって「それだからあなたはいけないんだ」と斬り返したりしてはいけないし、話はすべて一度受け止めてあげないといけません。私をずっと診てくださった方は、おおむねそういう方でした。取材にあたって私は、聞き役の自分もそうであるよう努めました。相手の目の前ではけして両腕を組まない(これは拒絶のサインだから)、必ず両腕を広げたかっこうを保つこと、相手の話を目の前でいっしょうけんめい筆記するところを見せつけること、それから着席するときは相手に了解をとってからそうすること等、いろいろ心掛けました。

私にはグランドファーザー・コンプレックスがあったのも、プラスに出た気がします。ある方にブログで「聞き上手なので話が弾む」と後日評していただいているのを見かけた時は、嬉しかったです。その直後に別の方にはつまらないことでへそを曲げられてしまって、悔しく思ったりもしたのですけどね。

東京は私には少々過酷な土地でした。

電車で移動すると、高架線ですので高いところから風景が見えます。同じような建物が、地の果てまでどこまでも広がっているのです。スター・ウォーズの映画で、球形の大きな宇宙要塞が出てきます。あれの表面近くを飛ぶと、でこぼこが地の果てまで続いていくのです。あれは宇宙映画ですのでそういうものだとすぐ受け入れてしまうのですが、JR中央線やそれに併走する路線に乗っていると、まさにあの宇宙要塞の表面ぎりぎりを、果てなく移動しているような気になってきて、気が変になりそうだと何度もひとり思いました。

すべての取材の日程を終えて、東京駅の八重洲口に向かいます。長距離バスの発着場です。今はすっかり改修されてしまいましたが私が利用していた頃は、キオスクがあったりと昭和の匂いが残っていました。私はかなりのおっちょこちょいですので、帰りの便にもし乗りそこなったら日本に帰れなくなるどうしようといつも不安になりました。夜中ですので、よけい心細くなります。まわりはひとがいっぱいいて、それぞれ自分の乗るバスを待っています。夜中にバス乗り場の掲示板が浮かび上がる様は、ブレードランナーの映画のようでした。私はあの映画のなかの、人造人間でした。いったい自分は何者なのだろう、自分の生まれ育った場所とはおよそ無縁なこんな不思議な世界で、どうして歩いているんだろう。「私」を支える記憶は、本当はみんな幻で、後から人為的にインストールされたものなんじゃないだろうか… あの八重洲口で帰りの夜行バスを待つあいだ、いつもそんな不安のなかにいました。

東京、というか東京圏という土地は、いうまでもないことですが自然の作った地形の上にあります。そこに人間たちが、自分たちの利便のためにビルを建て、鉄道網を広げ、道路を車が行きかって、お店がきらびやかに並んでいるわけです。何かとてもおこがましい、そして怖ろしいことをしていると感じるのでした。

私はレプリカント… かつて私が訪れた町医者は、喩えるならば私に向かって「そなたの寿命の延長はありえない」と宣告するレプリカント製造会社のCEOでした。

その医者も、この取材の頃にはすでに故人でした。私は生きていました。望んだのとは違う道だけれど、その先に何が待ち構えているのか、まるでわからないでいたけれど、闇の中を輝く八重洲口の、バス乗降エリアで、子どもの姿のない都市の夜を見上げながら、見知らぬ人間たちの行き来するなか、ひとり、息をしていました。

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