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自我の喪失さえ喪失してしまったこと

あの頃、太宰のあの小説の主人公と同じメンタル状態だった、と前に綴りました。

彼には「トカトントン」という短編もあります。

何か本腰を入れようとするとすると、耳の奥から金づちが釘をとかとんとんと打つ音が聞こえだして、醒めてしまうという症状に悩まされる若い男性の、告白文の体裁で、その様が綴られていきます。

同じ症状に前から悩まされています。

私の場合は「おい」です。とかとんとんではなく、オイです。

何か物思いにふけり、ひとりでそれをことばにしていくと、すかさず「おい」と男の声で割り込まれます。

心を病んで、その後いろいろあって医学部を受けてみて、どういうわけか面接試験まで進んでしまって、しかし面接官たちによって蔑まれて終わったことを前にお話しました、

あの時、実際に「おい」と割り込まれたのです。

あまり詳しくは話したくありませんが、質疑応答の際に私が(今でもそうなのですが)ある余計な一言を述べて、それが気にとまったのでしょう、面接官のひとりが別の質疑応答を済ませた後に、その一言がどういう意のものであるか尋ねてきました。

私は神様が助け舟を出してくださったとその時は思いました。私の得意な話題について試験官から問い掛けてきた、と。

うつむいたまま、試験用紙を見つめながら、私は語りだしました。少しずつエンジンが温まっていくような気がしました。

「おい」

その音は私の耳には、咳払いか何かぐらいにしか聞こえませんでした。

私はとつとつと喋り続けました。作曲家が、ピアノの鍵盤をぽろんぽろんと鳴らしながら、そこから何かいいメロディが聴こえてこないか、耳を傾けながらまた音を鳴らしていくように。

「おい」

一度目のよりもう少し大きめの声でした。

私の喋りはそこで遮られました。

そして遮った面接官から、思わぬことを言われました。

呆れた様子ででした。

詳細はここでは触れません。今でも思い出すと痛むから。

小説「トカトントン」の主人公が、とかとんとんの幻聴に悩まされるようになったきっかけは、日本の敗戦でした。

日本の全面降伏を告げる、天皇のラジオ放送。主人公もまた、脱力感を味わったひとりでした。このまま死んでしまうと思ったひとりです。

遠くから、トンカチで釘を打つ音がひよっこり耳に飛び込んできました。

トカトントン。

それで目が覚めた、とこの主人公は、告白体の作文のなかで振り返ります。それ以後、何か新しいことに挑もうとしたり、胸が高鳴ったりすると、必ずこの音が聞こえだして、何をする気も失せてしまうのです、と。

トカトントン、トカトントン。

私を悩ませる幻聴「おい」は、これよりもっと暴力的で、侮蔑的なものです。

ブログは落ち着きます。声に出すのではなく、こうやって話し口調を保ちながらも、書きことばでいられるから「おい」と割り込まれるのに怯えなくてもいいし。

トカトントン。

おい。

それから私にはほかにも幻聴のテンプレートがあるのですが、それらについては後の機会に触れたいと思います。


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