産みの苦しみ — 鳥嶋さん、週刊連載なんてとても持ちません!
小4のとき、癇癪を学校でよく起こしていた気がします。
細かい逸話を披露してもきっと皆さんには退屈なのでしないでおきます。
いろいろ苛立っていたのは覚えています。
思った通りにことが進まないことに、です。
まわりの子たちより少しだけおつむがあれだったぶん、話がさっぱり通じないことがあったり、自分の考えたことがいざやってみるとそれほどたやすいことではないと気づいたりと、いろいろだったように思います。
アリストテレス自然学についてずっと後に知って、ああこのひとお仲間だーと苦笑いしたことがあります。
この世のあらゆることは、思索によって理解できるし真理をつかむことができるという信念に基づいて、実験も観察も確認作業も再現性もスルーして、あれこれもったいぶって語るのです。
科学の進歩は、そういう自閉的知性を解きほぐしていくステップだったのかなってときどき思います。
〈神〉というわけのわからない究極命題にすがりながら。
*
ここ連日、ある論考を書き進めています。
昨日いちおうラストまで書き上げたので、今日中に挿入図版を作り、解説用の短い動画を作って、これで完成だーって割とお気楽でいたのですが…
めんどくさい作業がもうしばらく続く模様です。
YouTubeに解説用動画(数秒ないし十数秒のもの)をアップすると、一日あたりのアップ点数の上限があるらしくて、ある点数を越えると「24時間後にどうぞ」と出てきてがっかり。
アカウントがもうひとつあるのでそちらでアップしてもいいのだけど、なるべく統一したいし。
なにより説明用画像を作りながら、つまらない見落としを自分がしていることに気づいて焦ったり。
*
今から半世紀以上も昔、ある野心的映画監督さん(男です、あいにく女じゃありません)が、ある壮絶に野心的な野心を燃やして、とんでもない大作企画を立ち上げ、今も伝説の名作となりました。
今まで誰も見たことも想像もしたこともないものを見せたいという、大野心です。
見たことも想像したこともないものを見せるには、今までにない撮影技術をいっぱい開発して、それを一貫した映像叙事詩に昇華しないといけませんでした。
技術開発と撮影が同時進行だなんて、怖いです。
制作の終盤になって実用化を果たした技術があって、それはなるほど素晴らしいものだとして、制作序盤に苦労して作ったものが、終盤開発の技術によって一気に無駄に等しいものになってしまうことも、きっとあったと思います。
何年かかけての制作であっても、観客にすれば2時間と数十分ですからね。
「そんな注文、どたんばで言い出すな、最初に言え!」「最初に思いつくようなら最初に思いついてるよ!」
そんな衝突も、いっぱいあったと想像します。
*
何か芸術的大野心を果たさんと奮闘するとき、そういうことはどうしても生じてくるのです。
「最初に言えあほんだら!」「最初にここまで思いつけるかばかたれ!」
作品が作者の手を離れだし、命を持ち始めるとは、つまりそういうことです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?