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※ コートダジュール&リビエラの女王 ニース

セニョンのホテル前にニースからのチャター車が到着したので、コート・ダジュールに向け出発した。
ニースは世界的なリゾート地で、世界中から観光客が集まり、町そのものが観光地となっている。
温暖で風光明媚なニースは
「リビエラの女王」とも言われるが、その名前には負けていなかった。

断崖に張り付いた美しい村を後にし、南に向かう道は明るかった。
途中には、ひまわり畑が延々と続いていた。
ひまわりの海だった。
真正面から太陽の光を受けて、青い空にむけ黄色が広がっていた。
まさに、ひまわりにふさわしい世界だった。
ニースに到着する前に、アンティーブに寄った。


観光ミニバスで周遊


ここは地中海を見下ろすピカソ美術館が、有名だった。
また、ヨットハーバーはヨーロッパでも1.2を争う規模で、多くのヨットやクルーザーが停泊し、
コートダジュールでも有数の高級リゾートだった。
ピカソ美術館であるグルマルディ城は、中世には司教たちの住居であり1608年まではグルマルディー家の所有するお城だった。
アトリエを探していたピカソに、海の見えるこのお城が提供された。
そこから見える風景は、海の青さと空の青さで、どこまでも明るかった。
街は土産物店が連なり、リゾート地の開放感と高級感で溢れていた。
その開放感と高級感は、ニースに到着しても同じだった。
ただニースには、他にも色んな面もあった。
海岸には、玉砂利の美しい浜辺があり、その明るい風光を楽しむ人で賑わっていた。
ビーチは個人の敷地や高級ホテルのプライベートビーチ、レストランやバーなどがある有料ビーチもあった。
来る途中のビーチには、ヌーディストビーチもあった。
無料のビーチもあり、デッキチェアやパラソルなどが借りられる。
わたしたちも散歩で疲れた体をビーチで癒した。
だが私たちには風が冷たく感じたが、
地元ニースの人は甲羅干しをしている人のほうが圧倒的に多かった。
そのビーチに沿って、高級ホテルやレストラン、カジノが軒を連ねる華やかな海岸通り「プロムナード・デ・ザングレ」もあった。
その海岸通りの名は、「イギリス人の散歩道」の意味である。
その名の通り、優雅な観光客がのんびりと散歩や買い物を楽しんでいた。
そしてカッコ良いポリスマンがいた。
電動一輪車に乗った、ハンサムポリスが、長い足で自由自在にパトロールしていた。
女性ポリスもいたが、どのポリスも素敵だった。
その光景は、この高級感が溢れる、どこまでも明るい風景にピッタリと、はまっていた。
地中海のリゾートそのものだった。

北側の一本路地にはいると、別の世界があった。
旧市街であるここには、イタリア的な雰囲気が漂っていた。
迷路のような町並みがあり、路地は細く、洗濯物が風になびいていた。
そして庶民的な店や、コンビニや中華の惣菜店までもあった。
 そんな片隅のレストランでワインを飲んでいると、微笑ましい情景にであった。
3歳ほどの少年が、だだをこねていた。
母が先を急いでいるのに、何かが気に入らないようで、一緒に行くことに抵抗していた。
少年はそこに立ち停まったままで、母の所まで進まない。
母は無視して先に行き、心配して息子を振り返ると息子はそこで立ち止まり、進まない。
母が前を向いて歩き始めると、少し進むが、母が振り向くと、また立ち止まった。
そんなことを、何度か繰り返していた。
だが、母は声を荒らげることなく、息子が納得するまで、そのゲームのようなことを繰り返していた。
息子はとうとう諦めて、母のところに行った。
すると母はやさしく抱きしめて、一緒に歩いて行った。

日本の母親の多くは、自分も含めてだが、子供を

支配的に自分の言うことを利かそうとするものだ。
だが、外国人は子供でもその意思を尊重する傾向が強い。
私はその楽しい情景を見ながら、過去の子育ての頃を思い出し、自然に顔がほころんでいた。


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