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オタクに対する見方が変わった話し。

最近でこそオタクという言葉にそれほどネガティブな印象がなくなっており、推し活なんて言葉も生まれるほど一般的になっています。
それでも、興味のない人にとっては異質な世界というイメージはぬぐえません。
そんなオタクというものについて別の見方ができるのではないかと思い始めたのでまとめてみます。


きっかけ

妻はジャニオタ

私の妻はジャニオタです。
SnowManのファンで、全員が好きな箱推しですが、中でも目黒くんが大好きです。

CDやDVDが発売されれば、フラゲして、似たようなもの(限定版、通常版など)を何種類も買う。
車の中ではCDかライブ映像が流れ、家ではリアタイでメンバーの出ている番組を視聴し、録画をしているのに一週間以内だったら再生回数を伸ばすためにとわざわざTVerで視聴
メンバー(特に目黒君)がかかわった商品やブランドは購入
最終的には、SnowManにかかわる会社の株まで欲しがり、投資まで始めてしまった。

SnowManのファンになってからの彼女は、日々が楽しそう(一時期の報道では逆に落ち込んでいましたが…)で活き活きしています。

今も、目黒くんが出ている雑誌のページをきれいに取るためにうれしそうにドライヤーをあてています。

周りへの影響

妻がSnowMan一色の生活をしていることで、我が家に変化が起こってきました。

少し冷めている長女(11歳)がファンクラブに入り、次女(9歳)はドラマを観たり、ダンスプラクティス動画で踊ったり。長男(5歳)は次女と一緒に踊ったり、ライブDVDの見過ぎで曲順を覚えて、煽りの真似をしています。

男性アイドルどころかタレントやテレビに興味のない私ですら全員の顔と名前、愛称、メンバーカラーを覚えてしまい、なんなら最近は声も聴き分けられるように^^;
そして、お酒を買うならキリン、お菓子屋パンを買うときには不二家やヤマザキを選ぶようにと消費行動まで変わってきました。

最初はどうだったかは別として、今では妻を中心にして、全員SnowManのファンになっています。

視点の転換

この一人の熱量が、周りに伝搬している状態になっていることに気づいたときに思い出したものがあります。

それは、リッツカールトンの初代日本支社長だった高野翔さんの講演会でお聞きした話です。

語り続ける勇気

人を動かすには「熱意×回数」が必要である。
10回や100回では人は動かない。リッツカールトンの創業者は最低500回は語ることができないならば伝わらないとおっしゃっていたらしいです。

妻に関しても毎日毎日、SnowManの誰のどこがカッコいい、好きだ、このシーンのここがすごいといったことを楽しそうに語ります。
聴き手が興味なさそうにしていてもお構いなしに語ります。

まさに高野さんがおっしゃっていた「熱意×回数」です。

アンバサダー

高野さんは、お客様の分類(上下という意味ではなく、属性的な意味で)として、

  1. 一見さん:文字通り一回だけ泊ってくれる人

  2. 顧客(ファン):気に入って何回か泊ってくれる人

  3. 伝道師(エバンジェリスト):普及啓発を行ってくれる人

  4. 大使(アンバサダー):仕事(大規模な宴会など)を持ってきてくれる人

この分類は妻のようなアイドルオタクに当てはまると思いました。

  1. 一見さん:特定の作品のみ好きな人
    この曲いいな…SnowManていうグループの曲なんだ
    ドラマおもしろかったな…SnowManの〇〇君が出てるんだ
    と、一過性のもの

  2. 顧客(ファン):自分一人または同じ趣味の仲間うちで楽しんでいる人

  3. 伝道師(エバンジェリスト):オタクであることを公言して周囲に語る人

  4. 大使(アンバサダー):自分以外のファンを作り、消費行動にまでつなげている人

妻の場合は、狭い範囲ながらも、4番のアンバサダーに当てはまります。
実際に、私は、パンを買うときに迷ったら、ヤマザキを、なんでもいいのでお菓子を買うときには不二家を買うようになっています。
※不二家は逆風のなかでもSnowManとスポンサー契約を切らなかった企業で、ヤマザキはその不二家の親会社です。

他人は変えられる

ジャニオタをやっている妻に対して、下に見るわけではないですが、ある種別世界の人という感覚を持っていました。
しかし、こうやって見方を変えると妻すごい人なのではないか?という思いになってきました。(ディスっているようにも読めますが客観的に見て本当にすごいと思っています)

「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ」という言葉があります。
今までは過去はもちろんのこと、他人を思い通りにすることはできないという取り方をしていました。
しかし、妻の例をみていると、他人を変えたければまず自分を変えようという意味なのでは?と思うようになりました。
※昔、「情けは人のためならず」の正しい意味を知った時のような感覚です。

終わりに

だって、私もランニングとかガンプラが好きですが、妻のように周囲に影響を与えられるほどにはなっていません。
分類でいうと、まだ2番のファンの域をでていません。

ただ、我が家がSnowManファンになったのは、毎日見ていただけとういうわけではありません。
最も大きいのは、子どもも私も妻のことが好きで、妻の楽しんでいる姿、喜ぶ姿を見ることが好きだということでしょう。
だって、嫌いな人にどんなに良いものを何回勧められても、響きませんからね。

なんか、まとまらない文章になってしまいまして申し訳ありません。
気が向いたら手直しをしたいと思います。

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