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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.17

 noteをつかさどっているのは、目に見えないAIサマだと独断と偏見で判断しています。このAIサマは、認知症気味のバァさんの思い通りにならない。意のままにしたいと思うほうが間違っているとわかっているのですが……。それでもなんとか、AIサマと折り合いをつけたいと悪戦苦闘したこの2カ月半。
 巻き添えをくらった夫は長時間、椅子に座りつづけた結果、ひどい腰痛に悩まされる異常事態に。
 男性にもヒステリー症状があるようで、パソコンの前に座ると、ギャンギャン吠えるようになりました。連動して長男のチャワワもしょっ中、娘たちの手を噛みます。「寝た子を起こすな」の諺どおりに、のんびりと眠りこけているときに触わられると気分を害するらしい。
 余生を愉しんでいた夫にとって、コレを載せて、アレの写真を取り替えてなどなど慣れないことばかりで、我慢の限界を突破したのか、被害者ヅラをしています。
 かといって、わたしにパソコンが扱えるはずもない。機械を壊されることを怖れる夫は、AIのかわりに自分が酷使されることに耐え忍ぶしかない現状に絶望しています。

 なんでこうなったのか?

 1作目を、吉田キラさんのお嬢さんに投降していただいたとき、
どうして会話の前後に行間が出来るのか、時代おくれの思考ゆえに、ナットクできなかったのです。
 そんなこんなで、2作目からは、ワープロで打ってフロッピーに保存し、カードリーダーなるものでパソコンに読み取らせて、そのまま投降すると、拙文のツメツメ小説のまンまが載るわけです。しかし、他の方の小説や詩やエッセイを見させていただくうちに、行間がたくさんあるのも、読みやすくていいんじゃなかろうかと、自作に自信のかけらもない私は次第に思うようになったのです。
「家族でさえ読まんのに、だれが、あんたの書くワケのワカラン小説なんか読むねん。しかも長いときてる」
「1人か2人くらい、読んでくれるヒトがいるかも……」
 と欲を出したがために、いらぬ苦労を背負いこむことになるとは――思ってもみませんでした。

 何台目かになるワープロを、わたしはこよなく愛していますが、このコの唯一の欠陥は、長文になると、保存の機能が働かなくなる点です。原稿用紙で言いますと、150枚前後のところで、ひと文字も受け付けなくなるのです。もちろん行間などもっての他。
 書き出すと止まらなくなる私は、そのことをついつい忘れて、行間なしの小説になってしまいます。
 書きこめなくなると、「会話文」を独立させることなく、「会話文」地の文「会話文」の3点セットの書式にしてしのぎます。
 長編小説の場合は、ワープロの機能のせいで、分割せざるを得なくなるのです。すでに投降した1000枚以上あるツメツメ小説 「1995――」を最初に投降していただいたような状態にするには、「競う子」のときと同じ手順は踏めば、簡単にすむはずでした。
 USBメモリに移し替えたうえで、Wordとやらで投降すれば、AIサマが万事、怠りなく、行間を施してくださるわけです。
 ところが現代社会において、少数派の中でも極少派である私は、AIサマに身をゆだねる前に、自分なりの書式で書き直したいと思い立ったのです。
 老骨にムチを打ったところで、骨が砕けるだけだと知らずに。

 次女の使わなくなったパソコンに、9分割した駄作を読み込んでもらい、1~9まで手直ししたわけです。もちろん、マウスが使えないので、画面上に文章をアップしてもらってから、地を這うようにして少しずつ直していったのです。
 長い会話は、話の切れ目で、段落を入れ、地の文も長い文章はできるだけ、段落をとったのです。行間も多くとりました。

 どうなったか。

 段落を入れた箇所すべてに、行間が入ったのです。ひとかたまりであるべき、会話や地の文が上下に分断されただけでなく、行間は倍になり、ひどい場合は、空間にただよう一本の針金のような按配になり果てたのです。
 AIサマが、段落を毛嫌いされておられる気質であることがわかるのに長時間かかりました。No.1~No.9まで自分なりの書式になおし、No.1を移し替えるまでわからなかったのです。
「オノレ、AIめ!」と逆上し、バラバラに引き裂かれた文章をもとにもどす作業に手間取りました。
 夫は途中で精根尽き果てました。
 で、しかたなく、マウスが不要のコメントだけは自分で書くようにしたところが、これがまた失敗。余計なことを書いて、先様を怒らせてしまうことに。
「あんたなぁ、ここでは、意見なんか求められてないねん。はじめに、なんべんも言うたやないか」
「なんで思てること書いたらアカンのん」
「新聞は読まんし、ニュースもみんから、一般常識とズレてるんや」

 新聞をとらなくなってひさしい。テレビのモーニングショーも見ないし、雑誌も買わない。観るのは時代劇とタカラヅカ専門チャンネル。

 もう世間の常識と接することなどないと思い、安穏と暮らしていたのですが、noteの世界にも世間サマがいらしたわけです。
 当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、半ボケの尖ったオタク脳は一般常識の壁の前では無力であることは自明の理。
 昔、「意地悪ばあさん」という4コマ漫画があったことを、なつかしく思い出します。

 やっとの思いで書き終えた「ボーイ・ミーツ・ボーイ」は、バラバラの文章を修復中であったため、ワープロで書いたままを投降しました。ウチのワープロくんの許容範囲になるように、1話を原稿用紙で30枚以内にし、行間を適当に入れました。ツメツメの箇所もありますが、もはやどこで行間をいれていいのかが、わからない。
 つぎこそは、AIサマに気に入っていただける駄作を投降しようと目論んでいるのですが……、AIサマは老害に辟易としておられるのではないかと、いまから怖れ慄いています。

 次回からは、1989年3月に商業誌に掲載された拙作を、タイトルを変更し、大幅に書き替えたものを投降します。時代設定は当時のままです。版権にひっかかるかどうか、私にはわかりません。そんな大昔のことは、知ったこっちゃないと思っています。
 某出版社サマも、老いた虫けらのすることになんの関心もお示しにならないと勝手に憶測しています。


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