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【エッセイ】蛙鳴雀噪 No.7

  これまでの人生で、まったく予期しない出来事になんどか遭遇しました。
 一度目は、高校生のときです。前の席の女子に、いきなり脳天を殴られたのです。周囲の生徒は、教師の仕業だと勘違いした私を見て、クスクス笑いながら前の席の彼女を指さしました。
 彼女の背中は微動だにしません。
 当時の私は、脳に障害があったのか、授業がはじまると五分もしないうちに座った姿勢で居眠ってしまい、授業の終わる五分前に目覚めるというなんとも不可思議なやまいを患っていました。
 とはいえ、同じクラスになっても、一度も話したことのない女子から強い力、おそらく握りこぶしで殴られるとは夢にも思いませんでした。
『永遠の待機中――』の冒頭部分に詳細は書きましたが、小説ではその後、殴った相手とかかわりをもちましたが、実際は、まったく異なります。授業の終わったあと、彼女は振りむきもせず、教室を出ていきました。その後も、前と後ろに座りながら、謝罪のひと言もありませんでした。
 いまでも彼女の顔を鮮明に記憶しています。
 色白で、切りそろえた前髪のオカッパ頭が印象的でした。制服からはみ出そうな胸のあたりの出っ張りに、ときめく男子生徒は少なくなかったのではないでしょうか? 
 彼女は当時、有名人でした。
 十七歳で、ある文学賞の奨励賞を受賞していたからです。テレビや新聞にも取り上げられ、「日本のフランソワーズ・サガン」と称されていました。担任の国語教師は、「彼女は文学の世界で名を残す」という意味合いのことを、授業中に話していました。
 彼女の小説が掲載された文芸誌を買って読みましたが、文学に疎いオタク脳の私には、理解できませんでした。記憶しているのは 「僕」という一人称で書かれていたことくらいです。
 いまから思うと、彼女の私への暴挙は、ただの悪戯だったと思うのですが、私の中で何かが大きく変わりました。
 私はそれまで以上に孤立するようになり、学校を休むようになりました。
 人に知られる能力があれば、対人関係に問題のある生徒を気晴らしに殴っても許されるのかと内心で憤っていたのです。
 なぜ、殴られたのか、なぜ、殴ったのか、理由を問いつめることさえできませんでした。相手を別次元に属するエライ人だと思っていたからです。
 己れの無力を恥じました。
 しかし、不思議なことに、はじめて書いた私の小説は、「おれ」
の一人称でした。
 後から考えると、よくぞ殴ってくれたというべきなのでしょう。
一生の趣味をもつきっかけを与えてくれた恩人なのですから。
 ときどき、思うのです。あのことがなければ、この年齢になってまで書きつづけることはなかったと。

 二度目は、買物帰りに、転落死を目撃したことでした。こちらは『競う子』の冒頭部分に書きました。小説では、タワーマンションとしましたが、実際の現場は、中層マンションの屋上からの飛び降り自殺でした。
 上から、黄色いヒラヒラするものが、ものすごいスピードで落下してきました。数秒くらいののちに、地鳴りのような衝突音が響きわたり、地震に似た揺れを体感しました。
 否応なく、ご遺体を目にしました。その方は裸足で両手、両足をくの字に曲げて、顔面だけが横向きでうつぶせの状態で横たわっていました。
 血は一滴も流れていませんでした。酔って眠っているような安らかな横顔だったことを覚えています。
 黄色く見えたのは、ワイシャツの色でした。

 三度目の体験があって、私は、「予言」に興味をもつようになりました。二十八年前、大本教の教組である出口王仁三郎翁が起居されていたというご自宅に招かれたときのことです。
 震災のあった翌年だったと記憶しています。その頃、私は、行き詰まっていました。数年前、担当の編集者さんから「話が尻すぼみになる」と言われて、どう書けば、後半にいくほどストーリーが盛り上がっていくのかわからず、当初からなかった自信が砕け散っただけでなく、書く意欲そのものをなくしていました。
 そんなとき、シナリオライターの友人から、出口王仁三郎翁の伝記を依頼されたので、いっしょに書いてみないかと誘われたのです。
「だれ、それ?」と訊ねるほど、大本教の知識は皆無でした。
 京都の亀岡に出向きました。
 お孫さんの出口和明氏が住んでおられる邸宅の床の間には、帽子をかぶった王仁三郎翁の実寸大に近い写真が掲げられていました。
 取り立ててカリスマ性があるように見えません。どこにでもいそうな小柄なオジサンが笑顔で映っていました。
 依頼主の和明氏はおっしゃいました。伝記といっても、大仰なものでなく、誰でも手にとって読めるものを書いてほしいと。
 王仁三郎翁のあまたの予言や奇跡についても、あれこれお話してくだったのですが、めったに口にできない高級な牛肉のスキヤキをご馳走になったせいで、食べるのに忙しく、肝心のお話は右の耳から入って左の耳へ抜けていきました。
 資料を頂いて、帰るとき、稀有な体験を自分がしているという自覚がまったくないので、帰る道すがら、「こんなパチモンのヤヤこしい仕事は二度とせんとこな。宗教団体にかかわってろくなことないし」と友人にぐちったほどです。
 この頃すでに、聖書預言に関して、大きな疑問を感じていた私は、未来予言全般に関心を失っていたのです。
 資料を読むのに数日かかりました。
 前半の幼少期から青年期にかけての逸話を友人が執筆し、後半の修業を経て宗教家となるまでを私が書くことになりました。後ろへいくほど尻すぼみになる私が、後半部分を担当していいのかどうかと一瞬、迷いましたが、「なんとかなるやろ」と真剣さが片鱗もないまま書きはじめました。
 物語の骨子は、東京の企画会社に勤める営業部員とその姪が、 「三千世界の“大化物”」と評された出口王仁三郎翁について、孫の和明氏に質問する形式がとられました。もちろん、和明氏のご要望でそうなったのですが、素人に近い物書きには、書きやすい形を考えてくだってのことだったのだと後々、気づきました。
 いま考えると冷汗ものですが、暇つぶしのやっつけ仕事で書き上げました。原稿をお渡しする前も後も、ほとんど読み返すことはありませんでした。
 出版された本が複数冊、送られてきて、まずタイトル『出口王仁三郎・奇跡を起こす霊的秘話』(KKロングセラーズ・1996年発行)に驚き、監修をされた出口和明氏の経歴を知って二度びっくり。
 氏は、昭和三十八年に、オール讀物推理小説新人賞を受賞されておられ、著書も多数出版されていました。
 なぜ、私たちに依頼したのか、いまも不思議でなりません。
 お宅にうかがったとき、奥さまにもお目にかかりました。海のものとも山のものともわからない初対面の私たちを歓待してくださいました。
 ご存命中のお二人には、商業演劇を観劇するため、友人と娘たちの四人で大阪に出かけたさいに偶然、お目にかかりました。お礼状の一枚すら出さなかったにもかかわらず、ご挨拶させていただくと、
笑顔で言葉をかけてくださいました。
 お二人そろって、「夢のシーンがとてもよかった」とおっしゃってくださったのです。
 目頭が熱くなりました。
 物語の終盤、和明氏の話の聞き手である営業部員の男性が、ご馳走になっている最中に酒に酔って、見知らぬ爺さん(王仁三郎翁)と語り合う夢を見るのです。
 王仁三郎翁が晩年、陶芸に没頭したという資料の記述から、ふと思いついて書いたのです。
 後から気づいたのですが、男性の会話は私自身が王仁三郎翁に出会ったなら、問いかけたい言葉でした。
 少し長くなりますが、一部分を引用させていただきます。

「夕べからエライ人の話をたっぷり聞いて、ナルホドと感心したんですけどね。比べるのが愚かなんですが、自分は、虫けらみたいな人生かなあと思いましてね」
「わしかて、おんなじや。一生、楽して暮らしたい。みーんながみーんな、人が腰抜かすような仕事する必要なんてあらへん。波がどーんときたら、引いたらええのや」
「いちども、上げ潮も、引き潮もなかったらどうすればいいのでしょう。もちろん、自分の意志でそうするのですけどね」
「堅苦しいに考えると、くたびれるぞ。ええか。この茶碗を一つ、
やるさかい、何事かあるたびにこいつを思い出すのや。大方の人はな、新聞やテレビで言うてる事件なんかとは無関係なんや。
 もっと身近なところから幸せは手に入れるものなんや。暖かい食事を食べ終わったあととか、眠ってる嫁はんや子供の寝息が顔にかかったときとか、贔屓の力士が負け越して、ひょいと土俵際で踏張って勝ったときとか……しょうもないところにぎょうさん、ぎょうさん幸せがあるのや」
「このままここで、ずっと暮らしてみたくなりました」
「そら、あかん。まだ早い。こっちは人手が足りてるよってな。茶碗もあんたがこっちゃへくるまであずかっとったるからな。あんたはお勤めに精進しなはれ。いずれ、呼んでやるさかい、たのしみに待ってなはれ」
 爺さんは顔中で笑うと、泥だらけの手で私の手を握った。
 暖かい手だった。
 私は心に茶碗の形と色を刻んだ。

 王仁三郎翁の会話は生前の言葉を、勝手に書き替えました。
 和明氏からお叱りを受けると思っていたので、お誉めの言葉は望外の喜びでした。ご不満な箇所は多々あったと思いますのに、勇気づけてくださったのです。
 すべては遠い過去の話になりましたが、何もかもが、懐かしく思い出されます。
 私は作中の茶碗を、「ゴーギャンの描くマンゴーをこの器に飾ったら、星と星が空でぶつかり合うような音が聞こえる気がした」と表現しました。
 年をとり、読み返したとき、この茶碗をいつか見るのだと思うようになりました。
 王仁三郎翁は晩年、「人間に宗教はいらない」と語ったそうです。
 ここまで、お読みくださった方に感謝いたします。



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