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将棋がスキ!将来なりたいものになった人に出会うことって子どもにとってどんな感じだろう!

子どもが出会う大人たちは子どもの未来に影響を与える、気がしている。

私も幼い頃テレビに出てくる外国人と接する人たちを見て英語が話せるようになりたい!と思ったし、子どもたちが熱心に見ているYouTuberたちは子どもたちの将来像に少なからず影響を与えている気がする。

気がするだけ、だけど。

小学生の息子は将棋が好きだ。
テレビで藤井さんを見ては勝ちたい、と言っているし、将棋愛好家の雑誌を見ては全棋士の動向を見守り、新人棋士の出現に目をキラキラ輝かせている。

普段は近所の将棋教室で先生に指導してもらっているほか、子どもの大会に出たり、数ヶ月に一度プロ棋士の指導対局に出向いたりしている。

大人な意見を言ってしまうと…
毎日棋譜並べしたり詰め将棋をするでもない気まぐれな息子が藤井聡太竜王名人に勝てるとは思えないけれど、夢を見るのは自由だ。
誰だって、子どもも、大人も、「やってみたい」「かなえてみたい」気持ちを否定されることはあってはならない。

好きな気持ちへの純度って大事だな、と思う。

子どもは純度が高くてそれが尊い。

イキイキしている大人は好きな気持ちへの純度も高いような…

話が逸れたけど、息子の将棋の話に戻すと、プロ棋士の指導対局というのは、とんでもないイベントだ。

1時間半ほど、複数人が対局してもらい、教えをもらえる。

終わった後は、色紙や扇子にサインをもらって写真撮影をしてもらえる。

なんて贅沢な体験だろうか?!

お値段は確かにはるし、棋士により予約を取るのがとても大変。地方の方にとっては参加すること自体が大変なもの。

本来、大人の嗜みでお金と時間がある個人が参加するものだと思われる。まだその価値が分かりきっていない子どもに(しかも、まだプロ入りには程遠いところにいる豆棋士に)、そんな贅沢をさせてよいものかと手が震えるときもあるけれど、我が家の答えは、まあいいか!どんどん行こう!である。

田舎で育った私は、テレビに出てくる人に会いに行ける息子が羨ましくて仕方がない。

学校ではADHDだのと言われている息子も、1時間半の対局にじっと集中しているし、対局前は真剣な顔つきで口数も少なくなり、終わった後は緊張が解けてあどけない顔になる。

教えられたことや何局やって何局勝ったなどと覚えていて、国語の作文で「出来事」を問われるとほとんど指導対局のことばかりになる。

先日は、駒落ちしてもらっているけど1時間半戦って勝負がつかなかったというから驚いた。
そんな集中力が息子にあるとは。宿題の途中でひょいひょい出歩いてパパに怒られている息子とは別人だ。

それに、そこまで真剣に粘り指ししてくれる先生の気合いにも驚いた。別の会でも、熱心に時間を超過してまで付き合ってくださった先生もいた。

プロと接する時や先生のところに行く息子は、家での息子より年上に思えることが多い。それだけ、背伸びをさせてくれる場所なのだろう。

なりたいものになった大人と接するって子どもにとってはどんなものなのだろう?

息子は「〇〇棋士に勝った!」と無邪気に、かつ得意気に話しているので、自分も棋士の仲間入りしたような気持ちになっているかもしれない。

もしそうして、息子の夢にどんどんと彩りが加わっていくならば、それで良いと思う。別に、実現しなくても、夢を膨らませるという体験をしてもらいたい。

なりたいと言えるものがあるなんて、素敵じゃないか。

プロ棋士の指導対局は夫が付き添い、私は家で留守番することが多いが、いつも指導対局後の先生とのツーショットで感慨深いことがある。

それは、第一線のプロ棋士のみなさんが、膝をつけてしゃがんで息子と目線を合わせて写真撮影をしてくださっていることだ。

(膝や腰が痛い方がいたら遠慮なく立ち姿勢でお願いしたい!大丈夫だろうか?)

厳しい将棋の世界で勝ち続け、先生と呼ばれ崇められている人たちが、息子の高さまで腰を落として相手をしてくださることに感嘆する。なぜこうも将棋の世界は温かく礼儀正しい人たちが多いのだろうか。

ますます、母は、息子がこの素晴らしい人々が集う将棋の世界の片隅にいられたら…などと下心を抱いたりもしてしまうが、プロ棋士になるのはお医者さんになるよりずっと狭き門なのだから今のうちだけ夢を見させてもらう。

「観る将」という言葉が流行った一年だったよう。

私としては、見てよし、やってよし、プロに触れ合ってよしの将棋の世界をずっと推していきたい!

そして、夢の形は変わっていくかもしれないけど、子どもの「夢が膨らむ瞬間」に今後もたくさん立ち会えたら嬉しい。

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