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未来のためにできること。ただ生きてるだけで。

久しぶりにタクシーではなく、乗用車に乗った。

ナビはオプションではなくなっているし、バックミラーは鏡でなく画像が映っている。駐車を自動でしてくれる車もあるという。

時代が変わり技術が進歩して、車も便利に、地球にも人間にも優しくなった。

冷蔵庫だって、両手が塞がっていても勝手に扉が開いてくれるし、お肉を美味しく保存してくれ野菜を長持ちさせてくれる。

誰かの仕事や努力のおかげで私の生活はきっと、母や祖母の時代よりも快適だ。

子どもができても仕事を辞めなくて良いし、食器洗いも洗濯も掃除も家電が手伝ってくれるし、時間がなくても欲しいものがあれば家にいれば玄関まで届けてもらえる。

誰もが、そうしようも思わなくても、未来のためになることをしながら生きていると思う。

自分の体が土に返ったとき、私がしたことのうち何が残っているか考えることがある。

私の仕事は間接的に商品を世に出すこと。
ただのサラリーマンだから無名の誰かの仕事になる。個人としては影響力はないが、環境によい素材を使うとか、人体への負担がないものを作るとか、世の中の流れをささやかに支えている。

そして、未来のためになりそうな営みと考えるとやはり子育てだろうか。

子どもを育てるのも様々な要素があるけど、個人的に大切にしたいと思うのは学ぶこと。勉強ができるということではなく、興味を持って物事を調べたり触れたり見たり考えたりしてほしいと思っている。これからの世の中はきっと、答えのない問いに立ち向かう力が試されそうだから。

と、思うのは自由だけど、実際にそれを叶えられるかはまた別の話だ。

だから最近私は、小さなことからやっている。
新聞を読んだり、本を読んだり、仕事のことだけど勉強もしたり、子どもの隣で辞書を引いている。

壮大な前置きをしておきながら、私がやっていることは自分の親もやっていたことな気がする。

一つ加えるとすれば、私は子から学んだことを日記につけている。幼い頃、大人に対して理不尽に思ったことをうまく言葉にできず歯痒かった。その代わりに、大人になったら子どもからも学び反省しようと決めていた。そしてまた日々勉強だ。

そんなふうに毎日を歩んでいる。

大それたことはしていなくても、誰もが誰かのためになっていて未来に繋がっている。

総じて、みんなただ生きてるだけで十分ではないだろうか?

あなたもわたしも。

#未来のためにできること

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