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知らぬ間にnoteでブロックされていたと知って考えたこと

noteにはブロック機能がある。

クリエーターのページまで行き、画面右上のボタンから選択できる。

「わざわざ」したらできる作業である。
そんなことを知ったきっかけは、とある記事にショックを受けて立ち直るためにその記事の著者をブロックすることを思い立ったことだった。

その記事は、「あなたの記事が話題です」という通知が来て見に行った。過去にありがたい形で私の引用していただいた記事があったので胸を膨らませてその記事を見に行くと想像とは違う記事だった。

内容は、冒頭に私の記事が載っていて「この記事は欺瞞だ」と一言。

その後の文章は、私の記事の趣旨と関連性のない(別に私の記事の内容に触れなくても、独立した記事になるネタと議論と結論の)記事だった。論調としては、主に、女性への恨みである。

つまり、私の記事は欺瞞だ、と言うたった一言を言いたいがために引用されていた。

記事のコメント欄に欺瞞だと書かれるよりは平和かもしれないけど、わざわざ見に行ったらなんだか心を金槌で叩かれるような気持ちになった。

そして、私はこのクリエーターをブロックしたのが、ことの顛末。引用された記事から私の記事を削除することは、note事務局に聞いたらできないとのことだった。

(表紙の画像の使用は、使用されたくない場合、削除が可能のよう)

そんなことをすっかり忘れかけたあるとき、私はとある記事を読んで参考になるなあ!と思いスキをしようとした。

そしたら「ブロックされているのでスキができません」というポップアップが出てきた。

特に交流のなかったクリエーターさんだったので、何かの間違いかと思い再度スキをしようとしたらやはりできなかった。私はブロックされているのだった。

これには、少しばかり、動揺した。

何かブロックされることをしたのか、思い当たることはないけど、私が目障りだったのか、私の記事が気に障るものだったのだと思う。ある時私にスキをされて、私のページを見て「もうスキされたくない」と思ったのかもしれない。自身のグループに入ってほしくない、とか、記事を読まれたくない、とか、何かしらブロックする理由があるのだと思う。

そんな人もいるのは、別におかしなことではい。

少しびっくりはしたけど、その人にとって必要なことだったのだ。

こうして、私自分がしたブロックのことも思い出した。

自分を守ることは必要だ。
ノイズを消す、心を乱すものを遠ざける、居心地をよくする。
そうすることが必要な場合がある。

今後、フォローしたりされてない人の記事や知らない人の記事をスキするときに少しドキッとしてしまうかもしれない(フォローも同様)。

そんなことも含めて、心穏やかに各人が過ごそうとすることは大切だなぁ、と思う。

昔は嫌でも付き合いで…とか、世間体で人間関係良好に…みたいなことは常識だったけど、今の時代は違うしな…、などと考えてみたりもして。

そして、いつも自分本位な発信しかしていないけど、その内容が見ず知らずの人に与える影響が少なからずあるんだということも肝に銘じようと思った。

(PVがぐんと伸びてぬか喜びしたら、アンチが大量発生してるだけ、ってのもありそう)

自分じゃない誰かの気持ちを想像することの大切さ、それはどうしたらできる?ってことも考えるいいきっかけかもしれない。

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