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挨拶も許されないこの世の中は窮屈すぎないか #2

前回↑、#1からの続きです。

私が小さい頃、近所の新聞屋さんでバイトするアラサーのお兄さんがいました。

その人は、自転車で新聞配達をしていて、私たち小学生が外でカードゲームをしていると、ナチュラルに溶け込んで話をしていました。

この話を聞いて、「良い歳してバイトの怪しい男が小学生と話をしているなんておぞましい」と思うのかどうか。

当時の私たちの中では、近所のバイトのお兄さんが、自分達と遊んでくれる。それ以上でもそれ以下でもありませんでしたし、そのお兄さんだって社会的に問題のある人では決してありませんでした。

今は、他人を一評価基準に過ぎない社会的ステータスで区切って、「この人は大丈夫」、「この人はヤバそう」という見方しか出来ない人が増えているのではないか。

とにかく自分個人を守るため、他者に対して、必要以上に不寛容になっているのではないか。

そんな空気が蔓延したら、すれ違う子供に挨拶することすら許されない世の中になりそうで怖いと思いました。

逆に、子供たちが外で本当に大変な目に遭った時、出くわす大人が一辺倒に信用できないとなれば、一体子供たちは誰を頼れるんだろうか。

「挨拶をしてはいけない」「見知らぬ大人を無視しなくてはいけない」という見えない壁に人々が遮られることで、世の中の多様なコミュニケーションが摘み取られるのは悲しいことです。

特に日本は、個人が均質であることが望ましく、それを”普通”と言って空気を読ませ、そこからはみ出る者を許さない空気があるように思います。

何だか息苦しい。

自分と他人が違うから、補えるし、”面白い”のに。

私は、一つの袋に同じ味しか入ってないお菓子より、色んな味が入っているお菓子の方がワクワクします。

大人も子供も正社員もバイトも、凸凹するから面白い。

互いに言葉を交わすことは、こんなに簡単なのだから、どうかみんな、空気は読まないで凸凹して、ワクワクしてほしいです。

そんな空気に飲まれやすい自分は、もっと強くそうありたいと思います。

日本に心のさもしい人が増えない事を祈ります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

最近の私には、どうも宮台真司さんの言葉が突き刺さって仕方ありません。
彼の言葉は時にとても尖っていますが、その意図もきちんと踏まえてお話を聞くと、ものすごく愛の深い方だと思います。
彼の出演しているyoutube番組がとても面白かったので、ご興味のある方は覗いてみてください。

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