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noteが書けない・・・

明け方ゆっくりしているkohです。

私もnoteを開いているのに
言葉が何も出てこない時があります。
逆に後から後から言葉が溢れてくる時もあります。

noteを開いても何も
書けない時
頭の考えがまとまらない・・・
これは辛いものです。

基本的に脳がフリーズしているようです。
こんな時に無理にnoteの前で
頭で思考しても
納得のいく内容のノートが書けません。

私は、noteが書けない時は
少し時間を置く。または
朝の時間を狙うことにしています。

どうしても
夜は思考が膨らむ時です。
今日1日の出来事、諸々が
頭の中で意識していなくても
巡ってしまいます。

無意識で言いますと
それは、何かにとらわれている感じがします。

「noteの毎日更新」
「気持ちを書いておきたい」
「書かないと納得できない」などなど

自分の中の欲求水準に満たされていない時
に心が叫んでしまうのです。

脳はソフトウェアかもしれません。
パソコンがフリーズしている状態です。
そう考えると少しは安心できます。

先も述べたように
書けない時は自分を責めても
しょうがありません。
そんな状態に自分がいるのです。
私たちは機械では無いので
自分の状態をなんとかしようとすること自体
(無意識をコントロールすること自体)
無理があると思います。

そうはいっても
「何か書きたい」無意識の気持ちは
誰にでもあり止められません。

「待てば海路の日和あり」
という言葉があります。
海が荒れても必ず、船を出港できる天気は
やってくるのです。

書くことは
自分との戦いのようにも感じます。
それには自分との付き合い方をまた
考える「きっかけ」になるとも言えます。

先に、脳はソフトウェアと述べました。
ではハードである体の方は
どうでしょうか?

疲れていたり
悩みがあったり
気がかりなことにあったり
常に自分は一定ではありません。

まずはそんな自分を責めることは
私は自分にやめたいと思います。
意味がないからです。ナンセンスです。
自分が可哀想だからかもしれません。

人間は自分が思っているほど
自己コントロールは難しく
また周囲に影響を受けやすい生き物です。

ましてや、書くという行為は
自分と向き合う「高度」な行為です。
納得のいく文章が書けるまで
良好な時間や体調が必要になってきます。

文章を書こうとしているだけで
それは素晴らしいスタンスだと
私は思っています。
だから、noteが書けない時は
「私は高度なことをしている」と思って
自分を責めないことが
重要かと私は考えます。

辛い時があれば
必ず光が見えることもあります。

それを信じて
noteを描き続けたいです。

今回は「noteが書けない」時を
考察してみました。
少しでも参考、共感できるところが
ありましたら幸いです。

今回はここまで
では また
おわり


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