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気にかける

今日、スーパーで
小学校の時の恩師に出会いました。

本当にすれ違いざまに
お互い気づいたのですが
先生は「元気?」と
にこやかなお顔で訪ねていただきました。

私はただ「はい」としか答えずに・・。
でも先生は嬉しそう(に見えた)に
離れていきました。
「はい」しか答えられなかった自分に
少し罪悪感を感じました。
もう少し愛想良くすればよかったです。

そのほかに
会社の同僚にも出会いました。
普段はあいさつ程度の関係の方ですが
出会った瞬間ににこやかに
「kohさん!」と呼ばれて気付きました。
呼ばれて嬉しかったし
気恥ずかしいところでもありました。

どんなものでも
「気にかけて」もらえることは
幸せなことです。
何故か?
・相手は好意があるから気にかけてくれているから。
・自分自身、一定の人に声をかけてもらえる雰囲気を自分が醸し出している、またはそんな立場にいる。
からです。

以前のnote

にも通じますが
「人に気にかけてもらえる」ことは
安心感にもつながります。
きっとどこかでその人と
共同体でつながっている気がするからです。

やはり繋がるためには
心理学者アドラーのいう
「他者信頼」「他者貢献」が
必要になってくると思います。

「他者信頼」のことだけ
述べたいと思います。
「信頼」とはこれこれのことをやってくれたからという見返りの「信用」とは違います。
はっきり言えば「無条件の信頼」です。
これには賛否両論ありますが…。

「信頼」の反対が
「人を疑う」ことでしょう。
どうですか?
疑う人に気をかけたくはまならないと思います。
だから「他者信頼」なのです。
「疑う」ことを思考に入れては
キリがなくなってしまうからです。

これはアドラーの考えた心理学なので
真理ともまた違いますが
一理はあるはずです。

私は最近noteの
週間のアクセス数状態がすごく気になります。
何故なら、週のアクセスを7日で割れば
1日のアクセス数が嫌でも浮かんできます。

これだけの人が、私kohのnoteにアクセスして頂いている
気にかけてもらっていることは
本当にありがたいことです。

この頃はそんな私のnoteに気にかけてくれる方に向けて思いを馳せながら
記事を届けたいという思いで書いています。

一人ぼっち。
クリスマスなら「クリぼっち」(古い😅)という言葉があります。私もそうです。
寂しいからこそ
年の終わりですから、
他の人を「他者信頼」し
相手のために「他者貢献」を目指せば
気にかけてくれる人は必ずいます。

こんな堅苦しい言葉で説明しなくても・・・とは、思いますが皆さんが気になり
老婆心ながら述べてみました。

今回はここまで

では また

おわり

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