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告白

こんばんは。kohです。

今も取るものも取らず
noteに向かっています。

今回は私の「告白」です。
念のため、恋心ではありません。悪しからず・・・。

さて、私は以前も述べた通りの寂しがりやです。

しかし、それは尊大な自尊心の裏返しです。

「山月記」の李徴のように
「虎」になってしまうと自分でも制御不能になっってしまいます。
そこで登場するのが、「親父ギャグ」です。

これはユング心理学でいうと
「道化」になってしまいます。

徒然と自分の性格を分析してしまいました。

誰もが身の丈以上の願いを持って
他の人を傷つけているかもしれません!
それで投稿したのが次です。

常に時はた流れ去っていきます。
私は流れに沿って流されるのがとても苦手です。

そこで、勘違いなどで他の人を攻撃もしてしまいます。
攻撃してしまった方、本当にごめんなさい。

人を「信じたい」と思う裏腹に
「人を信じられない」という気持ちもあるのも
認めなくてはいけません。
醜い心です。

そんな醜い心を隠すのに
いつも懸命です。

でも言い訳すれば、それは
「尊大な自尊心」もありますが
「寂しい心」もあると思います。

完璧な人はこの世界にはいません。
私もそうです。
みんな完璧ではない。当たり前のことです。

そんな当たり前も忘れて
私はユダヤのパリサイ派のように
自分を言葉で律してしまいます。
(パリサイ派とはユダヤ教で教えの「律法」に厳しい人たちです)

ちなみにこだわる座右の銘があります。
それは「修身」です。
「身」を修めるとかいて「しゅうしん」と読みます。
元々、「儒教」の言葉です。
「自分の身を修められることが天下泰平(平天下)の元である」
という教えです。

なんでも自分責任で考えてしまい
いろんな重荷を背負ってしまう癖があります。

とても重い話になってしまいました。
書いている自分も身を切るようで辛いです。
多分読んでいる方もここらで「もういいや」と
思われているかもしれません。

最後に言いたいのは
こんな自分が救われたのは「書く」という行為のおかげだと思います。
noteに向かっている時だけ素直になれるのは
なぜでしょうか?

また他のnoterさんの記事に
癒されます。
みんなも同じように考えているのかな〜。とか
私より辛いことがあるのかな〜。とか
いろいろ考えさせていただけます。
まさに辛いのは私だけではないですね。

これからも
体を大切にしてnoteに向き合えていけたら
幸いです。ささやかな願いです。

愚痴のような文章をここまで読んでくださって
本当にありがとうございます。
これは私の「告白」です。
どうかお許しを・・・。

では、また
おやすみなさい💤

おわり

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