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「自分ごと」として共に生きていくために~第20回水俣病記念講演会を聞いて

大阪で開催された水俣フォーラムに参加して以来,会費は納めているものの,開催地に行くことがなかなかできない。せめてオンライン動画を購入することで運営に少しでも貢献したかった。

 特に,患者家族の杉本肇さんのお話はぜひ聞きたかった。私と同じ昭和36年生まれの杉本さんは,祖父母と両親が病気を発症して亡くなったり長期の入院をしたりしなければならなかったことで,小学生のころから,家を支えてきた。朝,漁をしてから登校し,その前後には4人の弟たちの世話をする毎日。同じ時に,普通に遊んだり勉強したりしていた私は,なんだか申し訳ないような,後ろめたい思いを抱かずにはいられない。

「苦労話」・・・そこに込められる恨みや怒り,ある意味では自慢も含めて,世の中に,また身近なところに,その手の話はなんと多いことだろう。そうした傾向は私自身にもある。しかし杉本さんの話は,苦労話ではない。話の中心は,自分が育つ中で受けてきた家族の大きな愛情であり,弟たちへの思いやりだった。

特に印象に残っているのは,弟がサロンパスを握りしめて眠っているのを見つけたときのエピソードである。サロンパスは,弟にとって,入院中の「母の匂い」であった。重い症状に耐えながら漁や家事をしていた母親が全身に貼っていたのがサロンパスだったからだ。小さな弟が心配をかけまいとそれを隠していたことに,杉本さんは胸がつまりそうになった,と語る。それまで冷静に話していた杉本さんが,弟の話をする前に一瞬言葉を失っていた。自分のことよりも弟の寂しさを思いやる強さと優しさを,当時まだ小学6年生だった杉本さんが持っていたことに,私は逆に打ちのめされた気持ちになった。

ジョニー・デップ主演「MINAMATA」は,「チッソが悪い,国が悪い」という単純な構図で見る者に訴えかけたが,もちろん,それは映画だからこそ。5年生の社会科で水俣病の問題を取り上げるとき,私は大いに悩んだ。悪者探しだけでは問題が解決しないこと,できるだけ多様な立場で見ていくことの大切さが,子どもたちに伝わるような工夫が必要だった。そして,公害問題の根底には私たち自身の「便利な生活をしたい」という欲望があるという事実からも,目をそむけることはできないだろう。

また,奇病としてまわりから受けた差別が,病苦と生活苦に加えて患者とその家族を打ちのめしたことも忘れてはならない。コロナ禍でも,根拠のない差別が起きてしまった。未知の危機にであったとき,科学的に物事を見て解決策を探る視点を養うのも,教育の大きな使命であるのに,それが生かされていないのは実に情けない話だ。

その上で,水俣病の問題に向き合うとき,大きな支えになるのは「人と人との温かいつながり」であると,私は考える。ユージンスミスの写真に残る,胎児性水俣病で全身麻痺の娘といっしょに入浴する母親の愛情に満ちた表情。家族を思いやる杉本さんの強さ。世論を動かし,国の方針を変えていったのは,最後には人の心だったのではないだろうか。

そんなことを考えていたとき,水俣市で行われた水俣病の患者団体などと伊藤環境大臣との懇談の際、環境省の職員がマイクの音を切った問題が起こった。単なる行事として事務的に物事を進めようとする姿勢しかそこになかったことに,強い怒りを覚える。

子どもの頃,ニュースで何度も水俣病の患者さんの姿や,団体交渉の緊迫した場を目にした。生まれ育つ場所が違えば,自分も同じ立場だったかもしれない,ということは子どもにも伝わってきたのを覚えている。「あれは他人事ではない,私の問題なのだ」と。その時の思いをこれからも持ち続けていきたい。