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一人暮らしの部屋のベストな状態とは

今日、部屋中の推しグッズを全部撤去した。
撤去して箱にしまった。

理由は推し活にちょっと疲れたから。

推し活は自分の生活や体調や心や気持ちと上手くバランスを取っていくことが大事。
しかしここ最近の私は、ちょっと推し活に深く入り込み過ぎてしまい、よい塩梅のバランスが崩れてしまった。
結果、推し活が楽しくなくなり、更には不快な感情が現れる時間が多くなってしまった。
いやはやいやはや。。

これはいかん!ということで、今回「断食」ならぬ「断推し」をすることにした。

断食は日々の食事によって負担がかかっている体をやすませる目的もあるらしい。
だからそれに倣って、私も推し活で負担がかかり過ぎて疲れてしまった心と気持ちを休ませようと思い、「断推し」を思いついた。

早速、部屋中の推しグッズを撤去し、さっぱりした部屋を見まわしてふと気づいたことがありました。

「今なら死んでも大丈夫だな」

私は昔から、部屋が汚いままで出かける時は「今日は死ねない」とか、うっかりよれよれの下着をつけて出かけると「今日は病院へ担ぎ込まれてはいけない」とか思うクセがある。

それと同じように、今ならば、急に私が死んで家族や知り合いがこの部屋に入ってきても、見られて「えっ…」と思われてしまうような要素は無い。今なら踏み込まれても大丈夫、と思ったのである。

反対に、今までは急に死んだ場合、推しグッズだらけの部屋を知り合いや家族に見られる状態であったわけで、、、
みんなに「えっ…」って驚かれてしまうような部屋だったんだな、、と今更ながら認識した。

推しグッズを撤去した今の状態を今後も維持し続けた方がよいのかどうか。。。

ここで、部屋のベストな姿とは何なのであろうか。

「死んだ時にベスト」か「今がベスト」か

部屋は、毎日生きていく場所であり、自分が死ぬのを待つ場所では無い。
それであれば「今がベスト」の状態が部屋のベストなのではないか。
今を心地よく過ごせる部屋がベスト。

だから、日々を心地よく、もうちょっとよくばっていいなら、日々を楽しく過ごせる部屋がいいなと思う。
私が楽しんで過ごせる部屋には、やっぱり推し要素があって欲しい。

だから私が死んだ後、部屋に来た家族や知り合いが、推しのグッズだらけの部屋を見て「えっ…」と驚くかもしれないが、もうどう思われてもいい。
好きなものに囲まれた部屋で毎日を過ごしていきたい。

今まで何も考えずに推しグッズを置いていたが、一度撤去したことによって、それら推しグッズの自分における存在価値を認識できた。

楽しく過ごせる部屋にするためにも、今は「断推し」で一旦心と気持ちをリセット。
断食後は体がスッキリするし、その後取った食事は吸収がよいらしい。
だから「断推し」が明けた暁には、きっと推し活を始めた時のような状態で楽しめるんじゃないかと思うし、吸収がいいから今まで以上に楽しめるんじゃないかと期待している。

そうなりますように。

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