見出し画像

角松敏生 1988〜1993

私の大学時代の同じバンドサークルの同級生、角松敏生のデビューから現在までのキャリアを振り返る第2回目です。

シティ・ミュージックなどの路線に一区切りをつけた彼が向かった先は、ニューヨーク・ファンクの世界でした。ザ・システムチェンジなどの尖った硬質なダンス・ナンバーは確かに時代の音でしたが、日本ではややマニアックでしたかね。
NY現地のミュージシャンとも積極的に交流して、角松サウンドの進化は一気に加速していきます。

・1988.02 Before The Daylight~is the most darkness moment in a day
・1989.09 Reasons for Thousand Lovers
・1989.12 Special Live'89.8.26~MORE DESIRE~
・1990.07 Legacy of You

『Before The Daylight』で打ち込みリズムを全面にフューチャーした曲を発表した時には、格好良いけど、ここまでやるかというのが正直な感想でした。既に角松バンドとして欠かせない存在だった「青木さんはどうなるの」と本気で心配してしまいました。ステージで「I Can Give You My Love」を演奏している時の、どこか冷めたような表情が印象的でした。この時期から青木さんの角松バンド以外での単独行動(笑)が目立ってくるような気がします。

一方で自身のレーベルが立ち上がり、元祖J-POPのスター達へのオマージュとして鈴木茂や小坂忠らの楽曲カバーを試みるなど、指向性への試行錯誤は続きます。しかしこうした挑戦する姿勢こそが、ミュージシャンとしてのキャリアそのものだと私は思っています。そしてアルバムを出せるということは、制作するレコード会社に彼の指向や挑戦を理解している人がいるということ。幸せなことです。 

・1991.07 ALL IS VANITY
・1991.12 TEARS BALLAD
・1992.07 あるがままに
・1992.12 君をこえる日

さて、この頃から彼の私生活がざわついてきます。作品が一気に内省化した名盤『ALL IS VANITY』がリリースされた時には、奴は本当に大丈夫か…と心配になりました。詳細はあえて語りませんが、かなり悩みは深かったようです。案の定、行き詰まった彼は活動凍結宣言してしまいます。とはいえこの時期の作品は個人的には好きな曲が多いです。凍結武道館(1993.01.27)公演に向けてのツアーではMC無しのステージになりましたが、長いMCが苦手だった私には、かなり集中してライブを楽しめた記憶があります。しかしそこには、とは言っても、きっと彼は戻ってくるという確信があったからなのかもしれません・・・。

個別のアルバム評については、また別の機会に。


以下の記事も公開しています。ご覧いただけたら嬉しいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?