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小豆を煮る。ありふれた日常に見えても

今日は家族が皆出ていて「そうだ、小豆を煮よう」と思い立つ。
ちょうど袋に残っていた小豆があった。鍋で一煮立ちさせて、一度湯を捨てる。こうすると、アクが取れるのだ。
そしてまた土鍋に小豆とたっぷりの水を入れて煮ていく。コトコト時間をかけて。水が足りなくなったら、ちょっとずつ継ぎ足す。

土鍋で小豆を煮るのが好き。
どうして好きになったのだろう。

☆☆☆
実家の隣りの母屋で。
冬に石油ストーブを使っていた。
ストーブの上には、水を入れたやかんを置くことが多かったが、アルミ箔で巻いたサツマイモや、豆を入れた鍋が載っていることもあった。
シュッシュッ、コトコト、静かな音が茶の間を満たす。じいちゃんとばあちゃんがコタツに入っている。時々誰かがぼそぼそと喋る。それに対して、「あぁ、そうだね」「うん」とか口数も少なく、誰かが答える。

皆コタツの中でまどろんでいる。
まどろみから覚めると、いつの間にかサツマイモがほっくりと焼かれていた。
ハフハフと言いながら、食べる。
やわらかく煮た小豆のこともあった。
特別なおやつでもない。しゃれたケーキでもない。

当たり前の光景。何か特別面白いことがあるわけでもない。
それが、今はなぜか、心にはっきりと浮かび上がる。
じいちゃんとばあちゃんと。
孫が入れ替わり立ち替わりコタツに加わる。
私はまどろみながらも、テレビを観たり、本を読んだり。宿題することもあった。

コタツに入りながら、ばあちゃんからおはじきやお手玉のやり方を教えてもらうことも。じいちゃんからは、よく戦争中のことを聞いた。じいちゃんは、体が小さくて軍隊には行ってない。そんなじいちゃんが、空襲を避けてタンスを背負って逃げた話とか。

「ふぅ~ん」。幼いときは、何気なく聞いていた祖父母の会話。
思春期になると、なぜか祖父母と会話するのを避けるようになり、返事をするのもおっくうに。今考えると、なんて冷たい孫なんだろう。

☆☆☆

ときどき、無性に鍋で何かを煮たくなる。
それも、長時間コトコト煮る必要があるものを。
煮ているうちに、ちょっとずつ昔の光景が目に浮かんでくる。いつも台所でもくもくと何か作っている母の姿。料理好きなじいちゃん、きれい好きなばあちゃんの姿。コタツがあった茶の間の風景。
どんなに懐かしんでも戻らないあの頃。

あの頃は、つまらない日常だと思っていたけれど。なんて贅沢なひとときを過ごしていたのだろう。



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