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イギリス近現代史と鉄道とのかかわりに関するメモ

※この文章は、自分用のメモをそのまま転載しただけなので非常に読みづらいです。近いうちに修正します。

「鉄道」はイギリス近現代史、とりわけ産業革命後期のイギリス社会経済史を論ずるうえできわめて重要なテーマである。このメモにおいては、イギリス近現代史と鉄道とのかかわりについて述べていく。

【1. なぜイギリスが世界ではじめて鉄道を実用化した国になりえたか】

鉄道の普及前、イギリス国内のモビリティの根幹をなしていた、運河での水運


 蒸気機関車によって牽引され、旅客および貨物の双方を輸送する本格的な鉄道は、イギリスにおいて19世紀前半に登場した。まずストックトン・ダーリングトン間鉄道が1925年に開業し、その後より本格的なリバプール・マンチェスター間鉄道が1930年に開業した。

 産業革命期イギリスでは綿工業が盛んであった。綿工業においては紡績機が用いられるが、19世紀後半にはそれまでの水力紡績機に代わって蒸気機関による紡績機が用いられるようになり、その後旺盛な需要と開発競争によって蒸気機関の発展と技術蓄積が進行していた。また、ジェームス・ワットやスチーブンソンなど、18世紀から19世紀蒸気機関の開発・発展に関わった英国の技術者および発明家は、世界史的にも著名な存在となっている。そのため、イギリスが世界に先駆けて鉄道の実用化の普及に成功した根拠を、イギリス製蒸気機関の他国に対する技術的優位性に見出す論は、以前から存在する。
 しかし、同時期には米国やフランスにおいても蒸気機関の研究開発が進んでおり、そしてそれら蒸気機関は技術的観点においてイギリス製のものとさほど遜色のないものであった。そのため、イギリス製蒸気機関が技術面においてとりわけ秀でていたわけではないことは、湯浅威ら近年の研究者によって論じられている。

 イギリスが世界に先駆けて鉄道の普及に成功した要因として、湯浅は著書「鉄道の誕生:イギリスから世界へ(2014・創元社)」において以下の点を挙げている。

①それまでの運河と馬車を利用した貨物輸送は多大なコスト・時間がかかるうえ、その安定性が天候や季節に左右されていた。そのため、炭鉱業者などによって「国内で安価に石炭を運ぶ」手段が望まれたこと

②新技術である「鉄道」が、有望な株式投資の対象とみなされたこと

③蒸気機関車のコンペティションなどを通じ、発明家間の技術競争や大衆への宣伝がなされたこと

④議会において、鉄道事業者と地主や既得権益層との間ですり合わせが行われ、鉄道に関連する法整備が早期に進んだこと

 湯浅が提示した以上のポイントを、「近代とのかかわり」という論点で再整理する。
 まず、①に関してはイギリスの地理的・産業条件が関係している。産業革命期の英国では、石炭を主要エネルギー源として利用しており、マンチェスターを筆頭として鉱業を主要産業とする地域が多く存在した。このことが、従来の輸送手段(=水運・馬車)より合理的・低コストな石炭輸送手段の追求につながり、石炭を輸送する安価なモビリティとして鉄道が着目されるに至った。
米国やフランスも、鉄道を早期に実用化しうる技術力こそ持ってはいた。しかし、それを実現するに足るだけの「動機」が不足していたといえる。

 ②、③、④に関しては、当時の英国が財政/軍事国家政策や重商主義などを通じ、「科学と工業の発展を容認する高度な商業・経済社会」を実現していたことが関係している。
 ②の「株式投資」は「投資家」の存在、そして③の「コンペティション」は「発明家」や「メディア」の存在・社会的普及なしには果たされえぬファクターである。そして、④の「法整備」の事例は英国においてある程度成熟した議会制度が存在し、国民の利害調整や産業促進のための役割を果たしていたことが背景として存在する。

 湯浅が提示した4つの論点に加え、第二次産業革命によって高品質な鉄の精錬が可能になっていたことも、英国における鉄道の普及を後押しした技術的側面であるといえよう。

 湯浅はさらに、英国人鉄道技術者が国内「鉄道投資ブーム」の終了後、英国政府や「土木技師協会」を始めとする「協会」の保証の基に独自に海外市場を開拓し、ヨーロッパやアジア、各植民地に積極的に鉄道技術を広めた事例を紹介している。この事例は19世紀英帝国の「帝国意識」や、「対外貿易」を巡る姿勢が現れた事例であるといえよう。

【2. 19世紀イギリス社会における、鉄道の役割の動態的変化】

1892年、大西部鉄道"Duke"級機関車が牽引する列車


 湯浅による「イギリス鉄道史」の議論は、もっぱら「鉄道の貨物輸送と技術としての蒸気機関」に着目した技術史的観点に基づいたものであるが、一方でTymothy Leunigはイギリスの鉄道と近代とのかかわりを、「鉄道の旅客輸送と旅客の行動」に着目した経済学的観点において論じている。

Leunigは2006年の論文"Time is Money: A Re-Assessment of the Passenger Social Savings from Victorian British Railways"において、19世紀~20世紀初頭にかけての鉄道運賃・運行速度や運賃等級ごとの利用目的の推移の統計を分析し、英国において「鉄道」の社会的役割がどのように変化してきたかを論じている。
この論文では、開業時から1860年代に至るまでの鉄道は”Travel for the affluent(裕福な者のための移動手段)”としての社会的役割を担っていたのに対し、その後は鉄道会社が「大衆向けのValuableな旅行」の商品性拡大を志向した結果として1890年代には鉄道は”Travel for the mass(大衆のための移動手段)”という社会的役割をも併せ持ったことを明らかにしている。
Leunigによるこの分析は、イギリスの鉄道が19世紀の近代社会において、その社会的役割を徐々に変化させていったことをよく表したものであるといえる。

【3. 保存鉄道とヴォランタリ・アソシエイション】 

ウェスト・サマーセット保存鉄道


 イギリスの鉄道と近代とのかかわりは、現在のイギリスの鉄道にも見出すことができる。イギリス各地に点在する”Herritage Railway(保存鉄道)”の運営方法は、そのような事例のひとつである。

1960年代のイギリス国鉄鉄道網縮小を契機に、英国国内には多くの保存鉄道が生まれ、”Herritage railway Association(イギリス保存鉄道協会)”には2023年現在、のべ160件の保存鉄道が所属している。これら保存鉄道と近代のかかわりとしては、これら保存鉄道の運営主体が非営利の保存団体であり、有志の”Subscription”や”Charity”により運営されていることである。”Herritage Railway Association”に年間21ポンドもしくは141ポンドの会費を支払うことで、会報の購読や保存鉄道の割引利用などの恩恵が受けられるほか、一定のスキルを有する者は列車の運行や車両の状態維持のためのボランティアとして運営にかかわることも可能である。

 このような”Herritage Railway”の運営の在り方は、イギリス近代都市社会において重要な役割を果たしていたヴォランタリ・アソシエイションの仕組みの残滓であるといえ、「『鉄道』と『近代』とのかかわり」を論ずる上では重要なポイントであるといえる。

【4. その他の論点】

1831年の風刺画「鉄道の楽しみ」


 上で挙げた3つの論点のほかにも、イギリスの鉄道と近代とのかかわりを論ずるアプローチは多々存在する。

例えば環境史的アプローチをとることによって、鉄道の出す煤煙や騒音などの公害が環境にどのように悪影響をおよぼしたか、鉄道網の拡充によって従来の交通手段(水運および馬車)はどのような影響を受けたか、などを論ずることができる。

また、鉄道が確立させた安定・大量輸送の「モビリティ」が、いかにして地域の人口動態や産業構造に影響を与え、そして地域社会の変容や労働者の「囲い込み」の進行にどのように影響を与えたか、というテーマについても、興味深い論点になりうるであろう。

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