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若者の悩みに触れて、なりたい何かは必要か考えてみた話

子供の頃、将来は何になりたいの?と周りの大人に何度も問われた。

当時は、若き日の母が志していたCAになって、母の夢を継承したいと思っていた。

だが、英語を話すことに楽しさを全く見出せなかった私は、いつの間にか“なりたい”を失っていた。

進学先の大学を探す頃には、英語専攻ではない路を模索していたため、高校に上がる前後でCAという路は諦めていたように思う。

それから社会に出るまで、というか今も、この職業に就きたいと思ったことは一度もない。

目の前に落ちてくるものに持てる限りの力で挑んできた。それだけ。

でも私は、だいぶ幸せに生きている。
なりたいものなんてなくたって、夢が夢で終わったって結構幸せになれるものだ。

とはいえ、これは私の一例に過ぎない。

のほほんと生きにくいこの時代、なりたいに限らず、明確な目標を求められがちだが、そんなものは真に必要なのだろうか。

考えを巡らせてみたい。

思案に至ったきっかけ

新生活シーズンのこの季節。

当店のお客様の中にも今春、ご子息、ご息女を送り出されたお客様が数名いらっしゃる。

その中のお一人が先日、ご息女が大学には入学したものの、なりたいものがないんだというお話をして下さった。

お客様によると、ご息女のご友人達は「看護師」とか「理学療法士」とか、明確になりたい職業が決まっているらしく、ご息女は自分だけ目標が明確でないことに悩まれているという。

夢や目標が見つからず悩めるという“今”があまりに眩しく、羨ましく、求められてもいない私なりの答えを見つけたくなったため、思案するに至った。

18の頃の私

まずは自身が同じ歳の頃、何をして、どんな事を考えていたのか、時系列を追って思い出せる限りで書き出してみたい。

まずは見知らぬ地で一人生きていくことに必死だったように思う。

先のことに悩む余力も時間もなく、ただただ毎日必死に生きていた。

しかしその中でも、「おもろそう!」とか「楽しそう!」という直感を大切に、興味の湧いた仕事(アルバイト)や学びには積極的にトライしていた。

自営業の父の収入は安定せず、母一人の収入で生活していた我が家に、娘に仕送りするお金はなく、生活費は自身の奨学金とアルバイト代で工面していた。

そのため、余暇や趣味に使えるお金はわずかで、ストレス発散も楽しさも全て仕事に見出していた。

こんな状況だったために、今を生きることに全力投球だった。とにかく今しか見えていなかった。

同じく一人暮らしでも、もっと悠々自適に暮らしている同級生もいて、はじめは羨ましくも思ったが、社会に出る前にこんな苦労ができてラッキーなのかもしれないとも思っていた。

お金がない中でなんとか工面して生き延びることは、人生自体がゲームのようで、貧乏結構楽しいじゃーんと開き直っていた。

ここまで綴っておいてなんだが、どこを振り返っても将来について悩んだ節がなく、全然参考にならないから次にいこう。

なりたいはいるのか

こうして改めて自身の短い人生の一片を振り返ってみると、一瞬一瞬は情熱を傾け、丁寧に生きているものの、全体的には適当で、いいかげんに生きてんなぁと感じる。

でも、死んでないから。

死なないんだから、夢とか目標とかそんなのはなくてもいいと思う。

そりゃできたらできたで、それに向かって情熱を傾けてみると、それはそれでおもろいんだと思う。

うまくいってもいかなくても、確かな財産にはなるだろう。

でも、そんなものがないからと悩んで、今に情熱を向けられないのなら、今すぐそんなものを探すことはやめた方がいい。

なんだかよくわからず、降ってくるものに必死に食らいついて本気で挑む。

先が見えないなら、それで充分だと思う。

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