先週に引き続き、二次元表現利用の件について

 前回二次元表現の文章を挙げてたが、もう一度この件について触れたいと思う。

 前回ブログを載せた時は件の動画は未視聴だったのだが、それはさすがに無責任だなと思い、視聴することにした。同時に全国フェミニスト議員連盟の抗議文と、今回の騒動についての番組も軽く視聴した。

 こう言ってはなんだが、最初動画を見たときは拍子抜けしてしまった。ありがたいことにYou Tubeで普段質の高い映像を見慣れていると、どうしても件の動画はクオリティが高いとは思えずそれが先に気になってしまった。あえていえばテレビ局で全国に区対する地方局の番組という比較になるだろうか。いい意味でヘタウマとか、素朴ということなのだろうが、あまり口が動かない戸定梨香や、率直に言ってうまくない声優さんの声を聞いていると、内容より動画の質が目に映った。

 とはいえ、交通安全PRとしては普通の内容だ。戸定梨香のビジュアルについては、ぱっとみプリキュアやアイカツのような女児向けキャラクターの印象だ。「飲酒運転はやめよう」と青少年向けと思えないPRがあったり、わざわざルビをふって「致死率」という言葉が出たり、実態としては女児向けのキャラクターをパロディー化した若干大人向けの内容かもしれないが、少なくとも自衛隊のストパン騒動のような悪ノリ(と自分は感じた)には感じられなかった。

 というのが最初の印象だが、あくまでそれは二次元美少女キャラクターに慣れてしまっている自分の感想だ。普段アニメやゲームに触れることの少ない人にとってはもっと違う感想が出てくるだろう。そもそも男女を比較し、一般的には女性の方が異性から「見られる」ことによる文化的・精神的影響は大きい。美少女キャラクターは二次元上のファンタジーではあるが、男性からの何らかの願望が反映されていることを含意すれば、女性は当然それを受け止める。公共空間でこうしたファンタジーの二次元美少女キャラクターを見て反発が出る人がいることは十分考えられるし、また考えるべきだ。

 では、自分は今回の全フェミ議連の抗議を支持するのかというと、そうでもない。
 
 警察署という公的機関に対して抗議をすること自体が問題だとは思わない。また、抗議に反発する人たちのように、「抗議する側こそが女性差別だ」というような意見もない(恐れ多くも「これがフェミニズムだ」なんてこと、浅学な自分には言えない)。

 ただ、抗議文にある「当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求め」ることは手段として適切ではなかったと思う。
 
 謝罪を求めるというが、この場合は誰に、何の謝罪を求めるのだろうか。全フェミ議連に、当該vtuberを使ったことを謝罪するということか。わからなくもないが違和感も残る。youtube上とはいえ、基本的に当動画は市内の小中学生を中心とした市民向けPRだ。だから謝罪される対象として考えらるのは松戸市民一般ということになる。しかし、松戸市内で今回は削除を要求したような運動が起こったわけでもないので(全フェミ議連の共同代表の1人は松戸市議会議員ではあるが)、いまいちその方向で考えても釈然としない。急いで抗議文を書いてしまい、あまり細かい内容にまでは意識が向かなかった印象を受けるが、謝罪まで要求するのであれば、そこはしっかり書くべきだろう。

 また、せっかく戸定梨香の問題点を指摘したのであれば、動画の中止ではなく、動画の修正を提案することはできなかったのであろうか。自分は一概にキャンセルカルチャーを否定はしない。しかし、今回のような件では問題点があれば修正を繰り返す、ということを市民と行政間で続くことの方が、より二次元表現に対する双方の理解が進むのではないだろうか。問題があれば削除、ということが続けばVtuberや二次元表現を公的機関が起用すること自体がリスクと感じるかもしれない。さらに、こうした削除の動きが続くことが当の市民の理解を得るとも思えない。

 何も全フェミ議連の対応のみを批判したいわけではない。警察の対応も残念だ。批判を受けて動画を削除したようだが、理由も示さず、あくまでそれは「市民からの」批判で削除したとのこと。いかにもお役所仕事という印象だが、消極的になかったことにするのではなく、批判をどう受け止めて、今後どう対応するのかまで説明すべきだったろう。それと、全フェミ議連にたいする抗議についても、抗議することは自由だが、その相手は動画を削除した松戸警察になるだろう。どんなに全フェミ議連に抗議したところで、動画を利用する決定権を握っているのは松戸警察なのだから、なんともちぐはぐな動きだ。

 前も書いたことだが、これまで何度も起こった公共空間での二次元キャラクター起用問題については、人によって認識に差があるのが実情ではないだろうか。具体的にどんな表現が適切なのか、議論が深まらないままいつも時間だけが流れて虚しい。批判する側も肯定する側も、歩み寄って落とし所を見つける段階ではないかと思っている。


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