ボスニアヘルツェゴビナ サラエボ
なぜボスニア?
当初、クロアチアの次は、セルビアの首都ベオグラードに行く予定だった。
しかしセルビアには、ワクチン証明で入国できるものの、日本のワクチン証明は公式なものとして認められてないということが分かった。
つまり入国条件を満たさず、入国できないので、急遽行き先を変更することにした。
詳しくはクロアチア編で書いたけど、結局ボスニアヘルツェゴビナに行くことにした。
当初ボスニアは行きたい国リストにも入ってなくてその時行くことを決めたので、どんな感じの街なのか全く想像がついていなかった。
でも、だからこそ行きたいよね。
多くの日本人が行かないところがいい。
サラエボの基本知識
サラエボは「ヨーロッパの火薬庫と呼ばれるバルカン半島に位置し、現在のボスニアヘルツェゴビナの首都。そこで、オーストリア皇太子が殺され、第一次世界大戦が勃発した。」と世界史の授業で習った。
この部分はすごく覚えている。
サラエボ事件が起こった橋。
またかつてバルカン半島にはユーゴスラビアという国があり、カリスマ指導者チトーの下で、いくつもの民俗が一緒に暮らしていた。しかしチトーが亡くなってから民族主義が台頭し、ユーゴスラビア内戦が起こり、ボスニア紛争も凄惨を極めそれらが終結したのはたったの20年前。
たったの20年前。
当時の映像が生々しく残っている。そんな街に私は今から行くのだ。
今までの行き先とはかなり違うので、少しだけ心配だったけど、治安は安定しているらしい。
実際に当時の建物がまだ残され、壁には無数の銃弾の後や、爆撃を受けてほぼ原型を留めていない建物などが残っているらしい。
多くのこれらの建物は決して、記念碑として遺されているわけではなく、復興から取り残された形だ。
サラエボめちゃくちゃ面白そう!
サラエボには、そのような負の歴史も未だに色濃く残っているけど、調べれば調べるほど面白そうな都市だということが分かった。
オスマントルコから侵攻を受けた経緯から、ムスリム系の住民も多く文化がミックスされているらしい。
トルコもいつか行きたいと思ってる国の一つだ。
ここまで、チェコ、ポーランド、ドイツ、フランス、スイス、イタリアなど、いわゆるTHEヨーロッパの町並みを堪能してきた身としては少し気分転換をしたかった。
正直、この辺りの町並みはどこもそんなに変わらないというか。
そんななかで、トルコ文化も味わえるサラエボは魅力的でしかなかった。
真夜中に到着したぞ!
サラエボへはクロアチアの首都ザグレブからバスで向かう。到着予定時刻はなんと午前2:30。この便しか無かったので仕方ない。
事前にボスニア人の先生から使うべきタクシーのアプリも聞いていたので、まぁバス降りてからホテルもなんとかなるだろうと思ってバスに乗った。バスは隣に誰も座らなかったので、鞄を枕にしてアイマスクをして横になって寝てた。
だんだん意識が遠退いて、眠りに落ちる。そして、運転手の「サラィエボ!」という声で起きると、私と英語を話す2人のお兄ちゃんしかいない。
他の全員はもう前のバス停で降りたらしい。
Wi-Fi飛んでないやん。
SIMも使えない。
大急ぎでバスを降りると、Wi-Fiが全く飛んでない。ここまで使ってきた日本のSIMの電波も全く入らない。
時間は午前2:30。
この状況は想定外だった。電波がないとタクシーが呼べない。
到着した人を乗せようと怪しげなタクシーがゆっくり近づいてくる。
絶対、この手のタクシーはぼったくられる。
周りに私たち以外誰も居なかったので、ここはこの英語を話す2人に電波を貸してもらおう。
「Wi-Fi無くて困ってる。」って話しかけると、「僕たちも同じ問題で困ってるんだよね。」と言われた。
でもとりあえず、Wi-Fiを探して街の中心部に移動してみるという話しになった。
辛うじてGoogle MapのGPSが動いたので、それを便りに街の中心部に向かう。
異国の深夜で英語話せる男性2人。
めちゃくちゃありがたかった。
その間も、怪しいタクシーは私たちの回りをゆっくり回ってる。
正直、この2人がいなかったらぼったくりタクシーに乗るしか手段はなかったと思う。
話を聞いてみると、2人はトルコとドイツからきた交換留学生でザグレブで勉強してて、週末の旅行できたみたい。
教訓
ここでの教訓は、まず、
・契約してるSIMがその国で使えるかどうかを確認する。
・使えても使えなくても念のため、行動範囲のGoogle Mapをダウンロードしておく。
・電波が届くところにいる間に、到着地点からホステルまでのルートを何回か確認しておく。
・マップ上で、ホテルは☆、到着地点は🏴など、自分でマークのルールを決めておき、ごちゃごちゃにならないようにする。
ホステル到着!
そして、30分ほど歩いた後、やっとWi-Fiが見つかった。
よかった~!
でももうホステルまで10分の距離でタクシーを使うほどでもなかったので、3人とも歩くことに。
そして、ホステルの手前で2人とバイバイする。ありがとう!
ホステル鍵かかってるやん!
ホステルには到着が3:00ごろになることを伝えていた。
が、24時間レセプションと口コミでかいてあったのに、入り口は鍵が閉まっている。「ベルを鳴らしてください」と書いてあったが、そのベルが見当たらない。
翌日確認したら、頭上50センチくらいのところにあって、めちゃくちゃ分かりにくかった笑
そして、誰も出てこないまま、とりあえず入り口に座った。でもそうしてても誰も出てこないので、隣のファストフード店に入り、Wi-Fiを求めて店員に声をかけた。
しかし、この手の店の店員さんは本当に態度が残念というか、ワールドスタンダードというか。
「そのオープンWi-Fiが繋がらんかったらどうしようもないわ!どっかいけ!」みたいな感じの態度を冗談抜きに取られる笑
笑顔なんてものはない。
この人たちも家族や友人には優しいのだろうか。あまり想像できない。
でも、まぁ外国でこのような態度はあるあるなのでその時はなんでやねん!!って思うけど、その後は特になにも思わないかな。
隣のホテルのドアが開かないから電話貸してといっても、「ドアを叩きなさい、叩けばいいでしょ」と言われる。
もう、仕方ないな~という感じで、その店を出て、とりあえずドアを叩く。
少しするとレセプションの人が出てきてくれたのであぁ、よかった!と。
店員さんは正解でした。
サラエボ観光
翌日はとりあえず観光地に繰り出す。
夜の誰もいない雰囲気から打って変わって街には活気が溢れていた。
ミナレットというイスラームのモスクの四隅に建てられた塔がまず目に入り、次にヒジャブをかぶった女性がたくさんいる。
おぉ、完全に異世界だ!!
とりあえず街を歩く。
一つ通りに入ると、カンカンカンという金属を叩く音がする。銅製品を叩いて模様付けしてるところで、多くの職人さんが実際にその場で商品を作っていた。
多くの場合、こういうハンドメイドの製品は、工房と店は別な場合が多い気がするけど、サラエボでは実際に職人さんが作業をして店を開いている。
それだけで商品の付加価値が上がる気がする。
本当はボスニアンコーヒーのセットを買いたかったけど、よく考えて。
日本でどうやってボスニアンコーヒー飲む??
サラエボの一番面白かったところは、山の斜面に無数に家が建ってたこと。
サラエボの街を望もうと丘より高度の高いはげ山?に登った。
眺めは素晴らしく開放的だ。
この斜面に立つ無数の家を写真に納めたいと思うも、私のスマホでは限界があった。
残念。
サラエボ土産
サラエボで買いたかったお土産は、カーペット、銅製品だけど、現金がなかったのと、スーツケースがもうかなりパンパンだった。
特にボスニアンコーヒーのセットはものすんごく魅力的だったけど、いくらか聞くと買わされそうになる不安と、スーツケースにもうスペースがなかったので、値段も聞いていない。
私のサラエボ事件
サラエボでは海外旅行らしいハプニングが起こった。
体調が悪い中、最後にお土産を買いに行こうと街に出た。
カード不可のお店が多かったので、まずお金を下ろそうとATMを探す。
海外では道端ATMは使わない方がいい。
なぜなら、カードの情報が盗まれたり、カードが吸い込まれて出てこなくなったり、レートが非常に悪かったりするから。
だから、私は銀行内にあるATMで現地通貨を引き出そうとした。
ATMの列に並び、自分の番になってカードを挿入する。
毎回海外でキャッシング時にカードを入れる時は緊張する。
だって、出てこなくなるかもしれないから。
でもこのATMは銀行内にあるし、前の人も問題なく使えてたし大丈夫だろう。
カードを挿入する。
すると、画面に「out of order(故障中)」の文字。
え、待って、、!!!
まさかの私のカードを吸い込んだまま故障した。どのボタンを押してもうんともすんとも言わない。
運悪すぎん???!笑
すぐに私の取り乱した様子に周りの人が気づいてくれて、事情を説明した。
英語を話す人でよかった。
そして、私のスマホでは銀行に電話できないから、電話してほしいと頼んだ。
2人も電話してくれたのになかなかオペレーターが出ない。
土曜日だったことを完全に忘れてた。
そして、やっと一人の方がオペレーターと繋がったようでボスニア語で話をしている。
私は状況が全く分からない。
もう1人の女性が英語で何を話してるか教えてくれた。
ありがたい。
でも話してる途中から明らかに、電話してくれてる女性が相手に語気を強めてる。
電話の内容を教えてくれた。
「土曜日だから誰も来れない。私は、オペレーターに誰も来れないってどういうこと!?ってだいぶ怒ったんだけど、無理って。これがこの国ってこと。」
ということだった。
もうここまでしてもらって、できることはもうない。ここは諦めるしかない。
一連の説明を聞いてから、私は日本のカード会社に電話をして、事情を説明し即カードを止めてもらった。
とりあえず不正利用は防げる。
あぁ、確かにカードが一枚なくなったことは悪い出来事だったけど、そのお陰で、ボスニア人の親切に心打たれた。
外国人のトラブルにわざわざ自分の時間を使って電話をして、主張もしてくれる。
英語でことを説明してくれる。
本当に感謝してる。
ま、とりあえずカードはもう一枚持っていってたので、大丈夫。
でももう今回の旅行中、キャッシングは絶対にしない。
もう一枚のカードを失うことはできない。
海外旅行の際は必ず複数枚のカードを用意しておこう。
行けてよかったボスニア
もちろんカード吸い込まれ事件とか、体調崩したとかあったけど、ボスニア、行けてよかったなぁ!!!
全く何もイメージを持たずに行ったので、見るもの全てに圧倒された。
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