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【日本とカンボジア】アンコールワットに書かれた日本人の墨書


アンコールワットには、17世紀初頭に訪れた日本人の墨書が少なくとも14箇所確認されています。その墨書を見てきました。鎖国前の朱印船貿易で栄えたこの時代、プノンペンとピニャールー(当時の王都ウドンの近郊の港)には、日本人町が存在しました。

墨書に書かれた内容からは、肥後、京都、大坂、堺などから、武士商人を問わず、単独だけでなく団体や夫婦でも多くの日本人が、ここを祇園精舎と信じて参拝していたことがわかります。

最も有名なのが、当初のヒンズー教から仏教寺院に改修されてたくさんの仏像が安置されていたと推察される十字回廊の柱に残された森本右近大夫の墨書です。ポルポト時代に汚損されたとも言われており、現在は殆ど判読ができなくなっています。ただ1994年に初めてカンボジアを訪れた私は、保存されていない文字を見たような記憶もあり、インドによる薬剤を使った洗浄の影響等も考えられます。

十字回廊にある有名な墨書


落書きだった自分の墨書が消される可能性を想定していた森本右近大夫は、実は別の場所にもう一つ墨書を残していました。こちらも剥離や劣化が顕著ですが、今なお判読が可能です。

森本右近大夫の2つ目の墨書


有名な十字回廊のものは寛永9年(1632年)正月20日ですが、もう一つには30日と書かれており、少なくとも10日間の長期滞在をし、父の長寿を願い母の菩提を弔うために、4体の仏像を奉納していることがわかります。おそらくは日本から持参しこの十字回廊に奉納したと思われる仏像は、今どこにあるのでしょうか?

森本右近大夫が渡航した船、経由した日本人町や日本帰国後の鎖国令の影響など、後日別途書き記したいと思います。

(剥離のリスクに配慮し、具体的な場所についての記述は控えます。)

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