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読書記録

別れの言葉を私から  唯川恵

「仲間」「三角関係」「遠距離恋愛」「永すぎた春」どれも興味深い短編小説で続きが気になって仕方がない。ハーフ・ノーベル、ハーフ・エッセイという形でエッセイの部分は何度も読み返したい、参考書のようなページ。

角田光代さんのPresentsに続き、私にとってのバイブル本になりそう。

まだ読み終えていないが「永すぎた春」の中で考えさせられたことについて書きたいと思う。

主人公朋子は、九年付き合い、結婚を意識した相手がいた。しかし、いつからか朋子は男性との結婚に疑問を持ち始め、男性とはやってゆけないという答えに行き着いた。その答えに行き着くまでの迷い、そしてそれに対する唯川さんの見解が本当に興味深い。自分の今の状況と重ねながら読み進めた。

女性の男性に対する口に出さなかった不満は、消えてしまったわけではない。小さなシミのようになって残る。そして、その小さなシミのようなものは、いつか心の中で数を増やすようになっていた。そういえばこういうこともあった。そういえばあの時・・・そういえば・・・どんどん増えていく。

人は個々に生きている。違う考えがあって当然のことだ。何もかも一緒でなくては結婚できないなどと思っていたら、相手なんかいるわけがない。十あるうち、九違っていても、最後のもっとも大切なひとつが結び合っていればいい。けれど、十のうち九が一緒でも、その大切なひとつが合っていなければ、いずれは破綻がやって来る。

前に、好意を抱いていた男性には隠し事をされ、一気に冷めた。浮気をされたわけでもないし、「え、それだけで?」という人も中にはいた。その時は、私が真面目すぎるんだ、もっと心を大にして許せばよかったと後悔もした。だけど、ある日、同じ理由で恋人を別れた友人の話を聞き、やっぱり間違ってなかったんだと思った。確かに「それだけで?」と思う人もいるだろう。でもそういう人とは、十ある考えのうち一番大切なひとつが違っていたんだと思う。今になって思う。あの時、あの人から離れて正解だったと。

まぁ、過去の話はどうでもいいのだが。ここで考えた。
私は、今の同居人と十あるうちいくつの考えが同じなのだろう?そして、もっとも大切なひとつはちゃんと一緒だろうか。

唯川さんも「この一番大切なひとつというものが何なのか、とても難しいところです。」と仰っていた。でも、ほほ〜なるほど!と思ったのは、「理屈や理論を頭の中でこねくり回す前に、まず日常の光景を考えてみるってとても大切だ。」という言葉である。

日常の光景と言うと、
・言葉遣い
・食事の仕方
・人との接し方
・歩き方
・物の扱い方

などだろうか。特にこれに関してはこれまで違和感をもったことはないな〜

ただ、心配なのは、今後の人生に対する考え方が違う。友達や家族に相談すると、「えっ、それって大問題じゃん」と言う人もいれば、「そんな先のこと今考えても仕方がない。今が楽しければそれでいいよ。なんとかなるよ。」と言う人もいる。

この人生に対する考え方の違いについては、今話し合いを重ねているところだ。どちらも大事にしたいものがあるからこそ、悩むし、簡単に解決策というか、妥協案というか折り合いをつけることが難しい。だけど、この本を読んでいたら少し考え方のヒントになりそうな文章があって、もしかしたら何かが変わるかもしれないとわくわくしている。今は頭の中がぐるぐるして思考の整理ができていないから、いつか書いてみたいと思う。

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