AI時代の「決定的瞬間」

イギリスではここしばらく皇族の入退院がニュースになっていた。万が一のことがあるので一応気には留めているものの、さほど関心はない。しかししばらく経って少々驚くニュースが伝わってきた。
 母の日用に公開されたキャサリン妃の家族写真の配信を、主要国際通信社が取りやめた。複数の加工が疑われるからだという。退院後初めての「登場」だったため混乱に拍車が掛かった。
 「写真なんてどうせフォトショップでいじってあるんでしょ」という人もいるかもしれない。しかしニュースを取り扱う通信社ではどこまでが許されるか、厳密なラインがある。国際的なフォトコンテストでもそうだ。端的にいえば従来の「暗室」作業で許される範囲だ。
 今の時代、「暗室」といった表現は逆に誤解を招くかもしれない。具体的にいえば、コントラストや明るさ、彩度、色温度などの調整、余計なものが写っていると思った場合、クロップ(トリミング)は許される。だが、画面にあったものを取り除いたり、あるいはなかったものを加えたりといったことは禁じ手だ。
 もっと細かいことを言えば顔にあるホクロやニキビを消してもダメ。どうしても何らかの修正が必要な場合、配信の際、キャプションに編集者への注意喚起が明記される。
 結局、キャサリン妃が加工を認め謝罪したのだが、非常に興味深い「事件」だったと思う。加工が疑われる箇所はメディアによって細かく指摘されているので、興味があれば見てみてほしい。例えばBBC。

加工を指摘して写真の配信を最初に取りやめた通信社の一つ、アメリカのAPは、さらに踏み込んでソーシャルメディア時代に皇室のイメージをコントロールする難しさについて触れている。

皇室の写真スキャンダルについて話が長くなってしまった。さてこの話をもっと小さく身近な話に置き換えてみたい。
 「決定的瞬間」という言葉を聞いたことがあるだろうか。ベトナム戦争での路上処刑の瞬間を捉えた写真や、スペイン内線で兵士が撃たれた瞬間を撮影したとされるものを思い浮かべる人もいるかもしれない。しかし写真を撮っていれば決定的瞬間はその被写体ごとにあるものだ。フランスの写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンの著書「決定的瞬間」は英題が「The Decisive Moment」、原題が「Images à la Sauvette」。手元にないのでほぼ記憶で書くのだが、スナップながらこの構図、この瞬間しかないのではというフレームを押さえている。

何が言いたいかと言えば、先の記述に戻るが、どんな被写体にも決定的瞬間がある。キャサリン妃の写真であれば、母の日に退院したばかりの母の周りに子供たちが集まり、お互いに手を回し、笑顔をカメラに向ける。完璧な母の日の写真だろう。まさに決定的瞬間だ。しかしそれはその瞬間が本当にあったならの話だ。
 そういう瞬間を逃したのか、そもそもその瞬間はあったのかなかったのか。少なくともそういう写真がなかったのは間違いないだろう。あれば加工なしの写真を配信すればいいのだから。上に貼り付けたAPの記事にもあるが、メディアのプレッシャーにもかかわらず、オリジナルの写真は公開されないという。

ソーシャルメディア、特に写真に特化したインスタグラムでは「完璧」な写真をよく見かける。小綺麗な街並みを背景にスタイリッシュな若い女性が印象的な光で照らされて写っている。といった具合に「決定的瞬間」を捉えたものは大体AIで生成されたイメージだ。とはいえキャプションやタグでAIと書かれていなければ果たして「AIだ」と断言できるか、自信はない。
 上に書いたキャサリン妃の件でも、通信社は一度は配信している。一刻一秒を争うニュースかと言われれば疑問があるが、提供写真すらすぐに配信できないようであれば競争に負けてしまう。編集者から見れば母の日にぴったりの写真に見えたことだろう。
 映像を消費する末端の受け手の側からすれば、どうすればいいか。ありきたりだが、まずはできすぎた写真には注意することだろう。写真を撮っていればわかるが、被写体が何であれ、そうそう「決定的瞬間」は撮れない。家族写真でも子供が横を向いていたり、不機嫌そうだったり、といった経験は誰にでもあるはずだ。自然光で撮っていれば、光の当たり具合が良くないこともあるだろう。
 先に書いたスペイン内線で兵士が撃たれた瞬間を撮影したとされる写真はロバート・キャパのものだが、何度もやらせではないかという指摘がなされている。
 カルティエ=ブレッソンの「決定的瞬間」は上に書いたように、原題は「Images à la Sauvette」だ。英語では「Images on the Run」、日本語なら「大急ぎの画像」とでもなろうか。もっと意訳するなら「サッと撮られた写真」、さらには「スナップ写真」とでもなるのではないか。「The Decisive Moment」や「決定的瞬間」と題した方が売れるタイトルかもしれない。しかし原題の方が写真の本質を突いているように思う。写真、特にスナップ写真はそもそも不完全な中に最低限伝えたい要素や美を閉じ込めるアートなのかも知れない。

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