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私とインターネットの22年

※この投稿は、2021年8月にはてなインターネット文学賞へ応募した作品を再編集したものです。


初めてインターネットに触れたのが1999年なので、もう今年で22年の付き合いになる。記憶から掘り起こしたエピソードとともに、私とインターネットについて振り返ってみたい。

インターネットへの だいいっぽを ふみだした!

父がSEをやっていたこともあり、1989年生まれの割には小学校に上がるか上がらないかくらいの頃からパソコンを触っていた。また名古屋にお出かけできるという理由で、大須のパーツショップや今はなき笹島のツクモ電機まで父の買い物についていっており、同年代の中ではダントツでデジタルネイティブだったように思う。

しかしインターネットとなると、父が友人とパソコン通信のニフティサーブ(現在は終了)で連絡を取っていたくらい。未だに自分もよくわかってないのだが、パソコン通信とインターネットは別物らしく、インターネットはできなかった。

そんな中、ニフティサーブとインターネットプロパイダのInfowebが合併し@niftyとなることにより、我が家でもインターネットが可能になったのが1999年11月。

1999年11月3日、ポケットモンスター金・銀 発売18日前。

わたしは いま! インターネットへの だいいっぽを ふみだした!

君と夏の終わり 自作HPの夢 大きな希望 忘れない


しばらくは、当時NTTとサンリオが運営していた「マグネット」というサービスで遊んだりする程度。この「マグネット」でネチケット(今は死語?)についてたたき込まれた記憶がある。

小学校5年生の時、友人の母親がホームページを作ったのをきっかけに、友人もホームページを作ったとの話を聞いた。私も作りたい!と言ったら「夏休みの宿題が終わったらね」ということだったが、結局夏休み終盤の8月27日まで宿題は終わらず。

2000年8月27日、ZONE「secret base 〜君がくれたもの〜」発売1年前。

君と夏の終わり 自作HPの夢 大きな希望 忘れない

私のホームページは産声を上げた。

 「どうぶつの森」のヒット

しばらくは友人向け・内輪向けホームページだったのだが、小学校6年生、2001年4月14日に大ヒットゲームが発売され、私のホームページは一気にアクセス数が増加した。

その名も「どうぶつの森」

今でこそ有名タイトルだが、発売当初からヒットしたわけではなく、口コミから広がっていってブームに火がついた記憶がある。

このゲームが面白くて、内輪向けから一歩進んでどうぶつの森ネタも扱うようになったのだが、当時はほとんど扱っているサイトがなく、いつの間にかアクセス数増加→ちょっとした有名サイト化してしまった。

どのくらい有名サイト化したかというと、ホームページに来てくれていた大人の常連の方々が10数人規模で関東で私抜きのオフ会をするレベル(お誘いは受けましたが小学生なので親NGが出ました。そりゃそうだ)。

アクセスカウンター全盛期、そりゃアクセス数は稼ぎたかったが、正直ここまで狙って作ったわけではないので、小学生ながら「ほぇーーーー」って感じだった。今でもあの時期は夢だったんじゃないかと思う。

ちなみにどうぶつの森シリーズはe+くらいまでは遊んでいたが、それ以降は長い間離れており、「あつまれどうぶつの森」で久々に復帰した。
といいつつ今はリングフィットアドベンチャーしかやっていない。笑

mixiと大学受験

中学2年生頃になると森が落ち着くとともにホームページも落ち着き、高校受験や部活等でインターネットズブズブではない生活が続いた。というかリアルが充実しすぎていた(恋愛以外)。

そして部活も引退間近の高校3年生のはじめ頃から、やたらとみんなmixiをやり始めた。当時のmixiは招待制かつ18歳以上だったが、みんな誕生日が来るまでは年齢詐称してやっていた(もう時効ですよね!?)。

受験のモヤモヤや高校生活のイベントについて、恋愛について、友人それぞれがmixiに書いていた。おそらく黒歴史ポエムの宝庫だったと思うので今回の投稿に際してわざわざログインするのはやめた。mixiはどちらかというとブログに近い形態だったが、1日に複数投稿もザラで、正直今のTwitterに近い雰囲気があったと思う。

大学の合格発表の時も、合格がわかると速攻mixiに書き込んだ。当時は合格発表が3/10で国公立大学の中で最も遅い大学のひとつだったので(東大や京大ではない)、みんな合否をすでに書き込んでいたし、特に空気読もうとかいう感覚はなかった。

Twitterと卒業式祝辞・河村たかし市長

2009年、大学2年生の時にTwitterをはじめた。短文でつぶやけるサービスというのは画期的で、mixiよりハードルが低く、周りはどんどんmixiから移行していった。

就活の時もTwitterは役に立った。就活の時にTwitterで出会い、20代半ばで東京に行って初めて会った友人もいるし、9年越しの29歳で神戸で初めて会った友人もいる。就活の帰りのバスで隣の席になったのをきっかけにTwitterアカウントを交換して、そこから友人になったこともある(10年経った今でも連絡を取っている)。ゆるいつながりを持つのにTwitterは最適なツールに思う。

そして、実況に強いというのもTwitterの特徴だ。
私の大学は比較的地味でおとなしいので、卒業式の式典中に騒いだりするような人はほとんどいなかった。しかし、卒業式の祝辞で今まさに渦中にいる河村たかし名古屋市長が出てきた際、Twitterに書き込んだらちょっと不謹慎かな~と思いつつTwitterを開いてみたら友人たちがこぞって
「河村たかしなう」
「河村たかしなう!」
「河村たかしww」

とつぶやいており、声は出さないものの心の中でめちゃくちゃ笑った。

ちなみにこのときの市長の祝辞は20分近くあったのだがとても面白く、周りも(Twitterでつぶやきながら)真剣に聞いていた。

10年近く前の祝辞なのでさすがに詳細までは覚えていないが、「自分の人生が上手くいかない時は、社会のせいにしなさい」という言葉が心に残っている。普通の人がこれを言ったらただの「他責思考」だが、政治家が「社会のせいにしなさい」と言ってくれるのは「政治でどうにかする」というメッセージであり、とても心強く思うとともに「政治でどうにかしてもらうため」選挙に行かなきゃ、と思わせてくれる出来事だった。
なのでメダルを噛んだ件はとても残念でしかない。まーじで残念でしかない。

マッチングアプリと結婚

今の夫と出会ったのはマッチングアプリだ。これもインターネットの恩恵のひとつだと思う。

実はマッチングアプリで出会う前に仕事のやりとりで電話やメールをしていたのだが、出会ったこともないのにそれだけで結婚に行き着くケースはほぼないだろう。

私たちの場合はマッチングアプリで出会う→「連絡してたあの人!?」と盛り上がる、というプロセスがなかったら「いっぱいいる異性の1人」でしかなく、箸にも棒にも引っかからず会うことすらしていなかったかもしれない。

Twitterをフォローしていただいている方ならご存じの通り、私の夫は(私にとって)最高であり、これだけでインターネットに足を向けて寝られないかもしれない・・・

といいつつ、周りには説明が面倒なので「仕事で出会った」と言っている。先に仕事で出会ってるのは本当だし。ごめんねインターネットの神。

インターネットと私とこれから

私の人生にはいつもインターネットがあった。インターネットなくしてできなかった体験がたくさんあったし、これからもお世話になっていく存在だ。
インターネットが人々に幸せをもたらす存在であるように、人を傷つけるような発言や表現には十分に気をつけつつ、私のブログやSNSでの投稿が少しでも誰かの役に立ったり、くだらないな~と思って笑ってもらえるよう、ゆるく発信していけたらと思う。