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小指のひみつ

前回の続きです。


政治家や官僚が日々挨拶にやってくるという、まあまあのゴージャスみがある秘書室であったが、その企業自体はいわゆる中小だった。

優良企業だけど、有名企業ではない。知らない人の方が圧倒的に多いと思う。

ただ、社長が日本で指折りの資産家だったのはまちがいない。

持っていた不動産は日本国内にとどまらず、世界の一等地に巨大なビルを いくつも保有していた。
控え目に言って途方もない大金持ちだった。

早い話が、会社はその一家の資産運用管理をしていた。それで何百人と雇えるんだからすごい話だ。

そんな社長をはじめとするとセレブ一族。

鼻持ちならないリッチピープルかと思えば、実につつましやかな人々だった。

ある日、地元から二時間以上かけて一族の年配の女性が秘書室にやってきて
「社長に相談がある」と言うので何事かと思えば、
「居間が寒いからホットカーペットを買おうか迷っている」という話だったりした。

その場で社長が百貨店の外商さんを呼ばせたが、女性は「そんなのわざわざ申し訳ない」と言って辞してしまい、電車で新宿に行ってしまった。

事業に成功し、一家が富を手にしたのは50年ほど前で、女性が小さい頃は普通の暮らしをしていたらしい。
その頃の生活が基本になっていて、お金を浪費することは罪悪だという意識があるという。

その一件で、好感が持てる一家だなあと思ったのをよく覚えている。

その女性のことを「いつまでたっても貧乏くさい」とこぼしていた社長だったが、
そう言う社長自身も過度のぜいたくや華美を好まなかった。

ランチはいつも好物のぶどうパンにバターを塗ったものと紅茶だったり
何十年も着たきりの古いスーツを愛用したりしていた。

スーツは買い替えるのが面倒だと言っていたけど、
暴飲暴食せず清貧を好むので、体のサイズが変わらなかったのが大きいと思う。

そんな人たちなのでお金は貯まる一方で、
「お金はお金を好きじゃない人のところに集まってくる」
というのを地で行っていた感じだった。

ただし、そういう人の周りにはお金が大好きな人が群がる。

それが秘書室の客人たちだった。

直接的な支援の申込もあったし、
“いざというときの太い縁”という感じでつないでいるだけの人もいた。

しかし、財政界のつながりというのはお金だけではない。

それぞれの地盤や商売を仕切る影のリーダーのような存在がいて、
彼らと財政界はまさに持ちつ持たれつといった塩梅だった。

ひと月に一度くらいのペースで秘書室を一人で訪れる男性がいた。

非常に小柄で痩せていて、だいたいいつも地味なえび茶のスーツを着ていた。

年齢は70代くらい。テレビタレントで言う「おひょいさん」に似たおじいさんだった。

秘書室では会社名や役職ではなく、苗字で呼ばれていたので、
私はその人をどこかの大企業のご隠居だろうと思った。

誠に穏やかな御仁で、応接では私の年代の話を聞きたがった。
ただし社長とはまったく違う上品な話題だ。
若いうちに美術館へたくさん行くといいよ、本物を見ておくことは大事だからとよく言っていた。

ある日、その御仁を銀座で見かけた。

珍しく着物を着ていたので、「歌舞伎を見てきたんだな」と察した。

ただ、奥さまらしい人も連れていない。一人で歩いているように見えた。
もしかして男やもめでいらっしゃるのか? 寂しいのではないか。
よけいな想像が、会社のお客様に声をかけていいのかという迷いを霧消してしまった。
いつかお茶でもしましょうという社交辞令を真に受けてもいた。
「すぐそこに文明堂もあるな」、そんな気持ちで、私は駆け寄って御仁の名を呼んだ。

「〇〇さーん!」

それまで何の変哲もなく、休日らしい平和な賑わいを見せていた銀座の雑踏が、一斉にこちらを向いた。

よく見ると一部の男性たちが。サングラスをかけ、ぴかぴかに光るエナメル靴を履いている男たちが。

あれ? と思ったところで、その男性たちに囲まれていた御仁が苦笑いで私を手招きした。

「外で僕に声をかけちゃダメだよ」

御仁はそう言って、着物の胸元に手をさしこんだ。

「困ったことがあったらこれを使いなさい。役に立つかもしれないから」

受け取ってみるとそれは名刺だった。名前しか書いていない名刺。

御仁の小指がないことは知っていた。表の世界の人ではないかもしれないとうすうす思ってもいた。

だけど秘書室で客人のことを詮索することは(少なくとも私の立場では)タブーで、誰も正確なところを教えてくれなかった。

あまりに静かな人だったし、権力を誇示するほかの客人とはまったく違っていたし、
私の知っている範囲の「裏社会の人」のイメージには少しもマッチしていなかった。

その場面に遭遇してもなお、信じられなかったくらいだ。

その日からずいぶん経ってから、ベストセラーになった任侠本で御仁の名前を見た。思っていたよりも大物だった。

銀座で着物を着ていたのは歌舞伎鑑賞じゃない。いま思えば紋付袴だった。
なにか大切な集まりだったのだろう。
もらったのが名刺でよかったが、場合によっては鉛玉だったかもしれない。

「また秘書室でね」

と言って手を振り、男たちの中に紛れていった御仁。
その顔は、やっぱりいつもとは違って、少し険しいものだった。

秘書室ではいつも、ない小指を隠すようにしていた。
それがその世界の人が「表」に出るときのマナーなのかどうかは知らないけど、御仁は裏の顔を私にあまり見られたくなかったのかもしれない、と今になって思う。

御仁が好きだと言っていた印象派の絵を見ると、あのえび茶のスーツの小柄な立ち姿を思い出す。

雑踏に紛れて、あるいは人気のない時を待って、小指を隠して美術館に行っていたんだろうか。

応接で二人きりで美術の話をするとき、御仁が本当にちょっとだけ、素になっていた時間だったのかもしれない。


次は、秘書室の季節行事について書きます。

To be continued…

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