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浅酌低唱:浅酌低唱:蕎麦屋のカレーとアンコンシャス・バイアス

先日とある地方都市を歩いていたときのこと。打ち合わせが終わったのが午前11:30で、お昼には少し早かったが、お腹も空いていたので街道沿いにひっそりと佇む静かな蕎麦屋に入ってみることにした。

濃紺が陽に焼けて薄くなった暖簾をくぐると蕎麦出汁のいい香りが店内を充満していた。大テーブルに座りメニューを取ると、中には年季と折り目の入った定番メニューとラミネート加工された季節のメニューが挟まれている。ざっと見渡して、お腹が空いていたので思い切って天ぷらそばとカレーライスを注文した。

店員(男性)の方が注文と同時に水を持ってきた。後から水はセルフサービスだと知るのだが、明らかに一見さんの僕を見てわざわざ持ってきてくれたようだった。注文を受け厨房へ伝えると、「ええ?本当に2つ食べるの?まったくまいったね〜」という店主らしき男性の声が聞こえてきた。なるほど、どうやら少し癖がありそうな店主らしい。

そうこうしているうちに、続々とお客さんが入ってきた。作業服の2人組はまっすぐ水を取りに行って流れるように着席し、「俺は天ぷら蕎麦」「俺は天とじ蕎麦」と注文をする。そうかと思えば60代くらいの男性客は水を手に取り、その足で厨房に寄って暖簾の隙間から「カツ重の合わせお願いね」と言い、積まれた雑誌を手に取って席に戻る。「あんかけね」「たぬきそばお願いします」「カレー南蛮、うどんの方で」続々と常連客が入り、そして注文をする。

注文が続いたからか、出来上がりが前後してきた。僕が注文したカレーと天ぷら蕎麦より前に、次の人が注文したカツ重が配膳された。問題ない、今日の僕には時間の余裕がある。じっくりこのお店を観察する時間が増えてむしろおもしろい。

店主は80歳をゆうに超えていると見える。この道一筋でこのお店を作ってきたのだろう。そして口が悪く、店員の男性への当たりも強い。その当たりの強さ故か、店内は静まり返っている。どう考えても美味しく食べられる雰囲気ではない。

そうこうしているうちに僕のカレーがカウンターのお盆に置かれた。待ってました、蕎麦屋のカレー。僕はカレーが好きだが蕎麦屋のカレーは中でもダントツで好きだ。少し柔らかめのご飯に蕎麦出汁のカレー、そして赤く染まった福神漬、THIS IS 昭和を体現するこの黄金トリオがすぐそこまで来ている。

ところがそのカレーがいつまで経っても僕の前に届かない。店員の方は何やら奥で別の対応をしている。すると店主の「持ってかないと乗らねえよ!」の声が店内に響く。続々と入る注文に大忙しの店主、そんな店主と相反するようにゆっくりと仕事をする店員さん。僕が「これ、持ってっていいですか?」とカレーを運ぼうとすると、店主がちょっと照れくさそうに「あ、違う違う!お客さんに言ったんじゃないの、こっちの話!」と笑いながら僕に言う。その後すぐにカレーが届いた。

仕事柄、僕は地方都市へ行くことが非常に多い。彼らの日常に飛び込んでみると、ある種のデカップリングに直面する。東京、あるいは世界の動きなどまるで知らないかのように分断され、時代が止まっている風景がそこにはある。時が止まり、ローカルルールが定着したコミュニティはあらゆる場所に存在する。日本酒業界も例外ではないが、その中にはポジティブに文化やコミュニティを守るために定着しているものと、ネガティブな意味で残ってしまっているものがある。

ごく私的なコミュニティにおいてはそれも良いだろう。ではこれが公的でかつ業界全体に構造的な影響がある場合はどうだろうか。「うちはこれでずっとやっています」と電話やFAX、あるいは対面でのやり取りが必須であったり、あるいは性別や年齢によって判断を変えて、その人の中身を見ないということがある。最もわかりやすい例は、「若い女性である」というだけで、親しくもないのにちゃん付けで呼んだり、その方の取組に対して上から目線で評価を始める、というものだ。こうした言動のアンコンシャス・バイアスは、日本酒業界ではもう少し見直されても良いように思う。

酒造り、販売、そして飲食の現場まで、これまで業界を支えてきた人たちの思想や功績の多くには敬意を抱く一方で、統計的に右肩下がりの傾向はそうした慣習ややり方では結果が出ていないということでもある。であれば、新しい価値観を取り入れること、そこで試行錯誤をすること、更には試行錯誤の末に自然淘汰が起きて良いものだけが収斂されて残っていくこと、という原理に期待を寄せてみてもよいのではないだろうか。そのためにまずは、自身のアンコンシャス・バイアスに自覚的である必要がある。そしてそのバイアスが影響する範囲の境界線を知ることも必要だ。もっとも、それは自己否定につながる耳の痛い話でもあるため、容易には受け入れられず「自分は大丈夫」と看過するケースが多いのも事実だが。

このような「昭和の価値観」とでも呼ぶべきものが全体にとって悪影響を及ぼしていることは珍しくない。一方で、多様な社会においては、そういった価値観をすべて排除するのもまた多様性に欠けることだと思っている。ある種の痛みの伴う変化に対して、とりわけそれを他者の価値観の否定につながる形で切り込んでいくことは、一朝一夕の話ではない。酒造業界を蝕む構造的なハラスメントと旧来的なメンタルモデルに自他ともに向き合い、長期的に健全な環境を作っていくことを僕としても取り組んでいきたい。

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