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まっすぐなもの、まがったもの

久しぶりにnoteを更新しようと思ったのは、夜中の気まぐれである。こんな時間まで起きているのは、実に1年ぶりかもしれない。昔は平気で長時間働いていたはずなのに、今はもうとっくに体が追いつかなくなってしまった。26歳、老いるにはまだ早い。 仕事政治の世界で働いている。 特に隠しているわけでもないが、公にすることもあまりなかった。それはどこかで、政治というものに線を引きたい私がいたのだと思う。なんとなく近寄りがたい、そういうものには私も近寄りたくなかったから。今ここで働いても

    • 行先

      自分が「好き」だと思っていたものを「もしかしたら好きじゃなくなってしまったかもしれない」と気付く瞬間がいつも悲しい。 それはいつも突然で、ふとした瞬間に降りてくる。なんでもないものなんてひとつもないはずなのに、ある日ふとなんでもなくなっていく。 溢れる好きを詰め込んだはずなのに、ぱちん、と割れるそれは、まるで空気を入れすぎた風船のようだ。 ここじゃない故郷最近はずいぶんと忙しい。 体調を崩したり帰省をしたりしていたこともあるが、なんとも落ち着かない。近々、パスポートを作

      • (26歳女性・独身)

        26年目を生き始めた私は今、誰もが通る道のど真ん中にいるような気がしている。 人生に起こるなんらかのトラブルには2つの種類がある。「突然現れる巨大な壁or崖」と「誰もがヌルッと通らなければいけない道」、私は今たぶんその後者のど真ん中にいる。 なんともはっきりしないのは、私が恵まれているからだ。金銭的にも環境的にも、困っている要因は明確ではないし、本当に、みんなが歩く道をなんなら少し早足くらいで歩けている。 では何がトラブルで、何が私を悩ませるのか、いや、もしかしたら悩ん

        • 徒然③

          「面倒臭い」という感情が積み重なれば積み重なるほど、日々は退屈になっていく。 私は(自分がそうあるかは置いておいて)どんなに感情が消費されても、たとえそれで死にたくなったり、時には死んでしまったりしたとしても、目の前のものごとに一喜一憂できる人間のほうが「面白い」と思う。 しかしそれはいつもだいたい面倒臭いのだ。面倒臭い人間にならなければ、面白く在れないとさえ言えるのではないか。 命を面白がるか、面倒くさがるか、両者はいつも近くにいて、時に交わって、そうしていくうちに社

        まっすぐなもの、まがったもの

          0.5%の塩水

          井の中の蛙大海を知らず ということばがありますが、井戸から飛び出した蛙は海を知ったことで海を自分のものだと思って波に飲まれてしまうことがありますね。波に飲まれてしまっては、せっかく大海を知ってもその大海で波に飲まれてすぐに死んでしまうように思います。 井の中の蛙が今の井戸より広い世界で生きるために必要なことは、自分のキャパシティを越えない範囲で大海から水をひいたプールを作ること。蛙は塩水では生きていけませんから、その塩水をある程度自分が元々住んでいた井戸の水で薄める必要も

          0.5%の塩水

          徒然②

          「私は間違っていた」と自認したところで、私以外の間違いが正解になるかと言われればそれは違う。正解も間違いもないよ、というのは道徳的に考えればの話であって、目的を定めればそこに正解か間違いかは生まれて然るべきものなのだ。 *** この冒頭の文をどういう感情のどのタイミングで書いたかもう覚えていない。最終更新は7月2日の深夜、2週間ほど前のものだ。 考えていることを言語化して垂れ流すことなんて2〜3年前までは延々やっていたはずなのに、最近は自分の感情を言語化できなくなってき

          徒然①

          「大人になれば敵なんていなくなるから自然と丸くなるよ」と言っていた奴はその時すでに大人だったはずなのにめちゃくちゃ尖っていた気がする。それでも大人になったら目立った敵はいなくなったし、好きの反対はもっともっと無関心になった。人だけじゃない、流行りも、ニュースも、好きじゃないものが目に入ることはあっても、電車の中で何を考えていたかなんてお昼ご飯の頃にはわすれているのだ。 . 手取り20万弱で10万円近い家賃と5万円の奨学金を毎月返済しながら満員電車に揺られている人たちに、もっと

          高校の時私のことが大嫌いだった先生から、「お前の反省文は気持ちが悪い」と言われたことがある。毎日毎日洗脳のように同じような言葉を並べさせることに力を入れていた頭の硬いハラスメント教師には、教師ごときが無理やり書かせる文章よりも私の文章の方が余程崇高で尊いことは分からなかったのだろう。その瞬間の感情や目の前に起こっていることを言葉に変える。それを他人に強いられず素直に続けることが、どれだけ難しいことか。 歳を取れば取るほど、勝手に感情が複雑になっていく。言葉にならない気持ちが

          これからの人

          久しぶりに会えて嬉しい。もう、4年も経ったの?嫌ねえ、年を取ると、時間と時間の間がゆっくりになったり早くなったりするもんだから、あんまりそういうの考えないのよ。お仕事でご一緒した方から少しお話は聞いていたけど、素敵な女性になっているじゃない。そんな謙遜しないで。顔つきで分かるわ。でもきっと上手くいっていないから、こんな日に、こんなおばあちゃんに連絡してきたのよね。何か無いとあり得ないもの。話したくないことは話さなくて良いわ。私があなたにお話ししたいこと、たくさんあるもの。さあ

          これからの人

          前略

          「世の中が前を向いているシーズンになんなんだ」と思ってしまえる私は、言われた通り薄情なのかもしれない。同じ時間が流れていても、その感じ方が必ずしも同じではないことはきっと分かっているはずで、それでもどうしようもないことに押しつぶされていることも理解しているつもりだ。 これは私のエゴでしかない。 それでも私は、私だったら、生きていてほしいと思うし、生きることこそが背負うべき十字架だとも思うのだ。たとえ誰かがそれを許さなくても。 主語は、あなたであり、私である。 空白大学生

          他人の後ろ

          意識の高い考え方は、聞いている側も言っている側も気持ちが良いものだと思う。心からそれを思って信念としている人も多い。真っ直ぐで純粋な思いは、いつの時も素晴らしく、尊い。 大人になると、大きな理想というものは「一度でもその理想を叶えられた成功体験を持つ者」にしか響かなくなる。努力して走り続けても、手に入れたいものが手に入らない人間は存在する。努力すればするほど、どうにもならない、もともとのポテンシャルや環境に絶望することは少なくないだろう。そうして人は挫折を覚えて、妥協を学ん

          他人の後ろ

          「私は殺さない」

          「幸せそうな、できれば女なら、誰でも良かった」 動機をそう述べた犯人は電車の中で刃物を振り回し複数の人に重軽傷を負わせ、未遂には終わったものの、明確な意思を持って逃げられない環境で油を撒いて火をつけようとした。 毎日オリンピックかコロナのことしか流れてこない緊急事態な日常の中で起こったその事件は、ネット上でも様々な物議を醸している。 私が書くのはセンシティブな内容に触れる書き物が多いのに、私のものを書くスタンスのようなものに触れていなかったので、この機会に書こうと思う。

          「私は殺さない」

          弱虫

          「自分は悪くない」 と思いたい感情は、ダサいようで必要な感情だと思う。おそらくこれは、生存本能の一種。そう思わないと、無理矢理そう思い込まないと、罪悪感で息ができなくなることだってあるだろう。ダサくても生きていたい。ダサくても、自分だけは自分を肯定してあげたい。 かっこよくいるためにダサくあることは、矛盾するようでいて何かを続けるために無くてはならないものなんだと思う。 社会的動物社会人になってから1年と少しが経ったが、落ち着いたな、とはまだ思えていない。 目まぐるしい

          自分らしさ

          そこそこに幸せ最近の私はやけに平和に生きている。 もし、街角で突然マイクを向けられて「あなたの悩みを教えてください!」なんて言われても答えられないかもしれない。 そんな悩みのない生活の中でも、それなりに「嫌なこと」は散らばっていたりする。 ちょっと太った、望む容姿に近付けない、ちょっと関わりにくい人がいる、嫌味なことを言われた、派手な洋服を着れない、毎日メイクをしなきゃいけない、朝もうちょっと寝ていたい… 日常における「嫌なこと」を、昔よりは飲み込んで生きられるようにな

          自分らしさ

          宗教とは

          全てのものには神様が宿っている「八百万の神」という考え方をなんとなくどこかで耳にしたことがあるような気がするけれど、その言葉からイメージされる神様はめちゃくちゃ日本人っぽいビジュアルをしている気がしないだろうか。イエスキリストの名を聞いて、織田信長みたいな見た目を思い浮かべる人はいないだろうし、神社に行って「神様お願いします!」って言いながら金髪の青い目をした人間を思い浮かべることもないだろう。 調べればほとんどのことが手の中に出てくる時代になってもなお、人は目に見えないも

          宗教とは

          ほんとのはなし

          なんでも、目に見えてしまう。知らなくて良かったはずの誰かの日常も、知りたくなかったあの人のいじわるも、手の中にすっぽり収まる画面の奥に、世界は広がる。これは本当に「本当」なのだろうか。 買い物を済ませレジに並ぶ。金額が表示された画面はアクリル板が邪魔をしてよく見えない。透明なバリアの奥にいる店員は、早くしろよとでも思っているのだろうか。トレイに乗せられた小銭を財布に移しながら見た店員の顔は、マスクで覆われて表情がよく分からなかった。当たり前じゃなかったことは簡単に当たり前に

          ほんとのはなし