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君と異界の空に落つ2 第33話

『思ったよりも穏やかだね』
『陽気がですか?』
『ううん。人柄。もっと殺伐としているかと思ったよ』

 殺伐……と考え込んだ瑞波であるが『昼だからだと思いますよ』と、明るいから、と言ってくる。

『夜は危ない?』
『そう思います。日の光に当たるだけでも祓われますし、浄化されますからね。日が出ている時間に外へ出られなくなった者達が、跋扈している夜の方が危ないです。闇に紛れると言うのでしょうか、妖怪が好む逢魔時が一番危ないと思いますが、魔が好む丑三刻から寅四刻も危ないですね』

 人の穢れが増幅される。自分の身は守れますが、入られやすい人間が多い場所では、耀まで守るのは大変です。呟く瑞波の言葉を聞いて、思い出した耀だった。浄提寺を降りてから何度か遭遇したか。山賊や追い剥ぎ、鬼に魅入られた人間達、それらが歩き回る気配というものに。
 亜慈(あじ)に連れられて町の中を歩き抜けた時も、朧な記憶ながら、生活している人々は、どこか温かみからは遠かった。その地域だけと言われればそうなのかも知れないが、人が多い場所というのは、もっと殺伐としているだろう、と。
 あちらの世界だって似たような時代には、都の中とて死体がごろごろしていたそうだ。煌びやかな人が書く煌びやかな書物だけ、有名になってしまっているから貧の部分は語られない。煌びやかな世界、恋だの愛だのを語る裏側で、民は貧しさに苦しみ抜いて非情な人生を送るのみ。埋められもせず供養もされない道端の死体から、鬼や疫病が生み出され、その苦しみから逃れる為に慈悲を説く仏道が広まった。
 こちらの世界も似たようなものと認識するが、既に仏道が広まった後のようなので、少しは理解のある世の中だろうと期待する。期待はするが、そこまで素晴らしいものとも思えない。あちらの世界であっても克服出来ない課題は多く、千年、二千年を費やしたとて……という印象だからである。
 でも、さえと料理屋の店主のような関係を見て、穏やかな人達も居るのだと分かっただけで良かったのだろう。彼女が拝み屋という職業だから、もっと忌避されているかと身構えていた。善持以外にも知り合いが居たと分かった事で、勝手に安心したのもあったのかも知れない。
 漠然と感じた事に、日の下(もと)という話を聞いて、そちらはそちらで納得をした耀だった。人は日の光を浴びれば幸福を感じられるように出来ていて、悪さをする菌は滅されるようになっている。この国における太陽神は神々の頂点なので、ならばその神からの祝福も当然あるだろう、と。
 あとは瑞波に心配を掛けない事だ。道を行く人々に気を付けて歩かなければならない。気付けば瑞波の胸を抜いたが、自分はまだ子供である。武道も習う前であり、貧弱だ。
 耀は三日に一度の風呂入り、つまり、時間を掛けた山登りと、真面目に農作業をしている事による筋力の増加の部分を、謙虚に”足りない”と感じるようで自分を”弱い”と考えていた。
 実はこの時代の農家というのは全員が筋肉質、足りない道具で広い畑を耕していく訳だから、太る要素のない食事もあって、痩せぎすだが弱くない。理想的な体躯を持ってして、一度(ひとたび)戦の号令が掛かれば、土地の為に戦う戦士である。武道を習えばそれなりに武器も上手に使えるだろうが、そんなものを習わずとも振り回す力さえあれば良いのだ。一対一など綺麗事の話で、実際は入り乱れる団体戦。そういう意味では耀は十分理想的な筋力を持っていて、変質者に出会っても走って逃げられる、十分な脚力も持っていた。
 知らぬは本人ばかり也(なり)。食事所の店主が、さえの家の片付けに、連れて来られたと思うくらいには体格の良い子供に見えたのだ。
 だが、耀は瑞波に語る。

『遅くなりそうだったらクサカ様にお願いをして、軒先にでも泊めさせて貰おうね』

 と。
 頷く瑞波も瑞波であるが、彼から見たら耀は子供。まだまだ子供の部類であって、庇護しなければならない対象だ。それが良いでしょう、と語る視線は真剣そのもので、危ない事などさせられません、な、母親の顔である。
 気持ちを入れ替えた耀は、ペースを上げていく。今日は一人で歩くので、さえの歩幅に合わせる必要がないからだ。その道は子供の姿は滅多に見えないが、行き来する人々はそれなりに居るようだ。畑が終わり、田んぼが終わると小高い丘に抜けていき、暫く峠を進んだら一本松が見えてきた。その木を境に折り返しの傾斜になって、途中の清水で休憩を取ったなら、一つ前の町よりも大きな町が見えてきて、田畑もいっぱいに広がっていく。
 耀が善持の寺の裏山まで渡るのに、避けてきた町や村落なのだろう。奥の山際の方には、ぽつぽつと別の村が見え、俺はあの山々を渡り歩いて来たのだな、と。どこか感慨深い気持ちにも浸った耀である。其処から見える稜線は緩やかで、落ち込みの無い波型だった。特に高い山も見当たらないので、歩き易かった筈である。
 坂道を降りていくと、順次、別の村からの道と交わる。往来は交わる度に賑わいを増していき、耀がその町に入る頃には程よく大人に挟まれた。さえに貰った銭だけ大事に帯の間に押し込んで、通りを行ったり来たり、家や店の並びを覚える。
 耀は程よい所で路地に入り込み、女性の家の方へと歩き出す事にした。さえは町の入り口から見て、右側にあると言っていた。武道を嗜む家、それなりに大きい家なのではなかろうか。親戚も多い口ぶりだった。同じ苗字が続くと予想した。ハタナカ、と言っただろうか。この時代に苗字を持つ人達は地方の有力者、豪族の流れを汲んだり、貴族の血を引く人達だ。大陸から渡ってきた人も苗字を持つと学んだか。全てが異界と同じとは思わぬが、似通った世界であるので共通項も多いのだろう。
 ハタナカ、ハタナカ、と反芻しながら、細くなる路地をひた進む。家先で遊ぶ子供達、自分の背の半分程の幼い子達が、親が居ぬ間の時間を互いに寄り添い暮らして見えた。乳飲み子を抱く女性が彼らのお守り役なのだろう、見かけぬ顔の耀を見て、警戒顕に視線をくれる。
 申し訳ない気持ちに浸りつつ、その通りを抜けていく。子供の自分でも余所者というだけで、乳飲み子を抱えた人には怖かろう。耀は彼女らの気持ちも慮って、細かい道へ踏み入る事はやめにした。そうして広めの道に出ると、随分長い塀がある。掘っ立て小屋が続いていたので、それは誰がどう見ても”お屋敷”という風だ。此処だろうと推測したが、往復すれば怪しいし、さて、どうしようかと塀を背にして座り込む。
 丁度、屋敷に植えられた木から浅い影が落ちていて、休憩するに良さそうだと感じた為だった。幅の広い道に面しているが、人の通りは殆ど無い。より大きな町に行くなら入って直ぐの道を行く。旅籠もめぼしい食事所もそちらの道にある訳だから、大通りを外れて歩く人は町人か不審者だ。
 不審者……今は子供であるから目溢しされるだろうけど、大人になったらそういう部分も気をつけなければならないな、と。段々と角ばってくる自身の身を見下ろしながら、竹筒から水を飲み、空を仰いだ耀だった。
 横顔の線は細いが、滲み出る品格だ。人に紛れるようでいて、人の中では浮き立つような。側で見ている瑞波だけ見惚れるように吸い込まれ、此の方は人の世、人の姿であったとて、これだけ燦然と輝いている方なのだ、と。
 私の幽玄……音もなく口にして、側に寄り添い、身を寄せる。
 耀は、急にどうした? と瑞波の動きを見ていたが、自分の背中に隠れるように顔を埋める神を見て、まぁ、それが好きならば、と好きにさせる事にした。
 常緑樹である榊の木陰で、一人と一柱が睦み合う。まさかその気配を読んだ訳でもなかろうが、塀の端に取り付けられた裏口が開き、視線を向けた耀とその人の目が重なった。
 ぺこり、と黙礼をした耀を見て、そっと身を戻した女房だ。やってしまった。今の俺はあからさまに不審者だ。少し落ち込む彼を尻目に戻った女房は、お嬢様を呼びに行ってくれたらしい。遠巻きでも彼の顔を覚えていたその人は、あの日、もう一人の客の付き人と、門の外で待っていた人だった。
 もう一度、裏口が開く音がしたけれど、気を遣って耀はそちらを見なかった。近付いてくる足音も、通り過ぎる人のものだろうから。あー、気まずいな……いや、此処で声を掛けるべきなのだろうか、と。ふと向いた視線の先には女房ではなくて、数日前に会ったばかりのお嬢様が立っていた。

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