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いつかあなたと花降る谷で 第2話(7)

 幸い、まだ外は明るい様子である。人々の喧騒を聞きながら、宿屋街に向かうマァリだ。フィーナの家に向かう時、世話になった場所でもある。自分一人なら安宿でよかったけれど、彼女が一緒なら、彼女を保護下に置けるような宿がいい。かといって仕切りも何もないのでは嫌がられるかも、と予想して、多少は悩んだ彼である。
 割と綺麗な宿屋が並ぶ区画に来たときに、後ろの気配がいなくなる。そうか。その程度の認知の人間でよかった、と。どうやら人間の町に不慣れな幻獣族、と思われていたらしい。金の無い幻獣族なら安宿を選ぶだろう、と。安宿は壁が薄いが、薄い故に突破が容易い。防犯も各自に任されるので、扉の鍵などあって無いものである。
 高い宿になればなるほど防犯の要素がついてくるので、その辺を見たくらいで諦めてくれる程度の人間だったのだ。やりようなんていくらでもあるから、マァリは儲けた気分になった。このくらいの宿屋で大丈夫なら、美味しいご飯がつくところでいいかな、と。もちろん罠は仕掛けるけれど、気が軽い。
 自分達と同じ旅人らしい、ふくよかな人を見つけると、マァリは自然と近づいて宿の情報を貰いに行った。この辺で、出される料理が美味い宿屋と聞かれたら、その人は得意そうに教えてくれる。当たり前に上宿の方が出されるものの質は良いが、自分達は日常の中にある美味しいもので十分なのだ。家で作れるくらいが最も好ましく、相手はマァリの説明にちょうど良い所を答えてくれた。
 見た目で百を判断してはいけないだろうけど、人間は見た目で間違うことがあまりない。それにマァリは聞きに行っても馬鹿にすることはない訳で、助かりました、ありがとう、と言われたら相手も悪い気はしないのだろう。念入りに頭まで隠す警戒心の強い二人組である。帽子の下に隠れたものがそれらしいものならば、説明されずとも幻獣族か、との判断がつく。他種族に頼られるのも悪い気はしないわけで、可愛い子供に「ありがとう!」と言われたら、それこそ悪い気はしてこない。
 旅人がフィーナに対して思っていることを、指摘することもなく離れたマァリである。
 教えてもらった宿には問題なく到着できて、問題なく部屋も取れ、夕食の予約も入れられた。一緒の部屋でいい? と緊張しながら聞いてみたけど、フィーナはあっけらかんと「もちろんよ」と言ってくる。衝立はついてますか? と、そのくらいの値段ではあったので、彼女に聞かせるように確認はしたけれど。どうもフィーナの感覚の方が、例の人攫いに近いようで、壁が薄くても扉の鍵が怪しくても、屋根があるならいいじゃない、と思っているようなのだ。
 多分、フィーナの父親は、その昔でさえ、ちゃんとした宿に泊まったのだろうけど、存外その辺の感覚はこのお嬢さんには受け継がれずに、楽観的な部分だけ強く受け継がれた雰囲気だ。屋根があってマァリが居て、部屋に鍵が掛かるなら、もうそれで大丈夫と思っているようである。
 彼は苦笑しながら部屋の鍵を受け取った。一度部屋の場所を覚えるつもりになって、二人で三階まで階段を上がっていく。それなりに大きくて、小綺麗で、階ごとに警備をしてくれるような強そうな男達が座っている。入口には一番強そうな男が居るし、繁盛している店なんだな、と、マァリは思う。一階の食堂が広く、味自慢のようなので、宿泊客以外にも食事の客をとるらしい。だから利益が出るのか、と、彼は単純に思ったようで、三階を警備するらしい男へと頭を下げた。
 お世話になります、と声をかけたが、こういう丁寧な客の方が少ないらしい。驚いたような顔をして、慌てて「ごゆっくり」と言ったので、ありがとうと返したマァリの顔が和らいだ。男は息を飲んだのだろう。都会でもそう見かけない、美麗な男だったのだ。
 部屋に入った二人は壁際に一つずつ、並んだベッドを見ると、どちらがどちらを使うかを決めた。衝立は端に畳んで置かれていたために、マァリがそれを動かそうと隅へ行く。フィーナは本当に気にならなかったようであり、せっかく顔が見えて楽しいんだから、立てかけなくてもいいんじゃない? と。

「え。でもフィーナ、嫌じゃない? 俺、一応男だし、着替える時とか見えたら気まずくない? いや、フィーナのことは見ないように気を付けるつもりだけど」
「そんなのいつも見てるじゃない。半裸くらい平気、平気。それに私、マァリに見られても気まずくないわよ? あれ? でもちょっと待って。もしかしてマァリの方が恥ずかしい……?」
「その通りです、フィーナさん。俺の方が恥ずかしい……」

 そうなんだ……という顔をしたフィーナの思考は読めないが、なるほど、ここまで自分は意識されていないらしい。マァリは若干落ち込むように両手で顔を隠して、恥ずかしい、を表現してみせた。

「じゃ、じゃあ、着替える時だけ、私、その衝立の方に隠れるわね。それならマァリは恥ずかしくない?」
「え、うん。それなら俺は恥ずかしくないけれど」
「うん。じゃあそうするわ。うーん……えっとね……私の中ではマァリはそんなに怖くない男の人で……あの、気を悪くしないで欲しいんだけど、人間の女の人に人気がありそうなマァリのことだから、私は対象にならないんじゃないかな、って思ってて……」
「うん?」
「その……マァリが子供相手に恋愛感情なんて持つのかな? って」
「…………」

 急に彼女はどうしたのだろう、と、マァリは静かに混乱するが、「あの、私、マァリのことは好きなんだけど、マァリが私のことを好きになるかと思うとね、えっと、男女としての、ね、そういうの、いまいち分からないっていうか……無いんじゃないかな、って思ってて」と。
 フィーナが伝えようと口にする言葉を拾うに、「俺がフィーナを女性としては見ないんじゃないか、って思ってるってこと?」自然と首を傾げてまとめた彼に、フィーナは「そう、それ」と言ってくる。

「なんで?」
「え? だから、私じゃ釣り合わないでしょう?」
「?」

 マァリは自分こそ彼女に釣り合わないと思うけど、彼女がそう思ってしまう理由が分からなかった。だから「俺はフィーナが好きだよ。見て良いならそういう対象としてフィーナのこと、見れるよ」と、いつもの顔で返したが、彼女は彼女で「え? そうなの?」と返しただけで、そうなの?? と疑問にしか思わなかったようである。
 ここはもしかして攻め時なのではないかと思い、マァリは意図的に深い話を振ってみる。

「俺、フィーナとキスできるよ?」
「え。そうなの? そうなんだ。まぁ、私もマァリとならキスできるかな」
「できるの?」
「できると思う」
「まさか、一緒のベッドで眠れるとか言わないよね?」
「え? 一緒に眠るくらいできると思うけど。今回だって、別にベッドは一つでも良かったのよ? 勿体なくない? 私が一個使っちゃって」

 だってすごくスペースに無駄ができちゃう事になるわ。マァリさえ狭くないのなら、ベッドが一つの部屋で構わなかったわよ、と。
 聞いたマァリの方が頭を抱えそうな返答だった。

「や。違う。そういう意味じゃない……あ、分かった、すごくわかった」

 はて? という顔をした不思議そうな彼女を見るに、マァリは振りすぎた深い話を早くも後悔し始めた。

「うん。よくわかったよ。俺たちは暫くこのままのほうがいい」
「?」
「俺、フィーナのこと大好きだから、フィーナの気持ちが変わったら教えて。好きでも嫌いでも、本当にそう思ったら教えて。とりあえず俺はフィーナのこと、大人の女性として扱うからね。だから着替えとか見るの恥ずかしいし、そういうのはちゃんと言うからね。ただ、今回は人間の町に来ていて、安全上の問題とかあるからさ、別の部屋をとっちゃうと危ないかもしれないから、次の街でも同じ部屋にしたいと思ってる」

 うん、としか返せなかったフィーナであるけれど、色々構わないと思った上で、「私もマァリのことは好きよ」とだけは言いたかったらしい。彼は一瞬息を止め、それから「ありがとう」と伝えたけれど、心の中では”深さが違う”と苦笑を浮かべたようだった。
 けれど情緒が追いつかない女性をどうこうしようなど、全く思わなかったから話を切り替える。しばらく自分達はこの距離感のほうがいい。だから。

「腹ごなしに散歩に行こう。胡椒も買いたいし、いろんな食べ物、見たくない?」

 誘われたフィーナの顔が、一瞬でぱっと輝いた。
 うんうん、まずはデートをしよう、と、彼は心の中で返して。
 二人は食品のバザールへ向けて、宿を後にしたのだった。

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