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君と異界の空に落つ2 第29話

「善持ー! 来たわよー!! ヨウを貸しなさい!」

 それからお堂を使うわよ! と朝から通る声である。
 まだ気配も無いうちに瑞波がすっくと立ったので、耀にはこれから起こる事が予め分かっていたようだ。急に様子が変わって朝飯をかき込んだので、善持にもある程度、何が起こるか分かったようだ。
 さえだけなら不思議な事は不思議だなで済むけれど、耀の様子を見ていると、不思議だけれど”あるのだな”。それが分かってきたようで、それなりに興味が湧いてきた。
 月の夜、銀杏の木に話しかける耀を見て、さえと二人で色々と話し合った彼だった。あの子は動物霊は視えた。人霊は視えないと言っていた。今は木と話をしているね。じゃあ、神方面の方が得意な子供なのかも知れないね。
 さえが言うには拝み屋にも色々居るそうで、呪(まじな)いが得意な者、交渉が得意な者、家相や地相を視るのが得意な者と、何でもかんでも出来る訳じゃなく、それぞれ得手不得手があるらしい。それこそ耀のように神が身近な場合もあって、近いうちに確認したいね、と、さえは呟き寝入っていたのだ。
 その後、急に、山に行きたいと言い出してきた事があったから。神さんに呼ばれたとも語っていたし、さえの勘が正しいような気になった。だからといって善持は耀に何かさせたい訳ではないが、耀の得意な場所というのが神様関係なのかは気になる。さえも相応に気になったようだから、また何か聞けるかも知れない、そうした楽しみが出来ていた。
 怪しい話、怪しい分野であるから、出来るなら関わり合いにならないで居たいと思っていたが、まともそうな耀を見ていると、知るのも悪くないのかもと思えてくるから不思議である。きっと”さえ”が極端なだけで、他の土地の拝み屋は、もう少し”まとも”というか、そういうものなのかも知れない。都の近くの地域の寺院で修行をしていた坊主がこれである。ならば、それを躾ける側はもっと賢い人達で、荘園を持てるのも分かるような気がする、と。
 この時代、貴族だけではなく、強い武家や大きな寺院もそれを持つのが普通であった。荘園は後に町や村になるもので、不輸不入というように、その場所を持つ者が、独特の統治をするのを許されていた地域である。名主も似たような働きをするが、食材の調理法を知る為ならば、その人を頼って外へ出ていく善持である。それとなく世の中の動きも知っていて、字も読めるから集落の人達よりも学があるのだ。
 善持は耀が感じた通り、謙遜する側の人間なだけで、出来る事や分かる事は案外多いのだ。一人暮らしは寂しいと感じていても、一人で暮らせていたように。感情も安定しているし、支配欲も希薄であるので、改善する余地があるとするなら怠け者の部分だけ。
 怠け者と語ってみても畑仕事はするように、生きる努力はする訳で、子供も拾って育てる人間だ。こうした人間の方が徳が高い部分があって、だから食うに困らなかったり、人に恵まれていたりする。魂の気高さは物質界の”成功”に非(あら)ず。物質界で成功するのは幼い魂だ。それを味わってから難度を増して、より深く、抑圧されても負けないような強い存在になる為に、何が起きても”自分の生を生きる”命題に挑んでいく。
 料理以外に執着のない善持を見れば歴然で、程よく力が抜けているから怠け者に見える部分もあろう。気性の激しい”さえ”の相手もぼちぼちこなしている訳だから、本当の人格者とは彼のような人を言うのである。禍根を残さず、業を残さず、上手く生きてきた人間の良い例だろう。
 何も辛い事ばかりの生が、魂の高さを言うのではない。終わりに差し掛かった頃に、回収しなければならないものが多いのは、やり残しの多い生を歩んだ、分かり易い例なのではなかろうか。確かに古い魂だろうが、宿題の残りが有るか無いのかは、その人が歩んできたものの反映であり、辛くないから魂の階級が低いという訳でもない。
 それを体現したのが善持という人間で、流れ流れてその人間に託された耀だった。人とは、生とは、神とは何なのか。業とは、縁とは、因果とは何なのか。何故これほど導く者が多いのか。同じだけ惑わす者も多いのか。遊びと言われればそのようでいて、ただそれだけに留まらない何かの気配がするのである。
 人として生きる耀にも善持にも、そこまでの深さは必要ない。互いに今見えるもの、現実に対処するだけで、差し当たり曲者である”さえ”の相手が優先されて、互いに緊張感を抱くだけ。
 慌てた耀に「今日は俺が茶碗を片付けるから」と、さえの方を宜しく頼むと伝えた善持である。耀は神妙に頷いて、家の戸を開けて行き、お早う御座います、と挨拶をしたようだ。
 全く、いつになっても丁寧な奴だよ、と。呆れ半分、尊敬半分、善持はその場で微笑していく。さえは耀さえ出迎えれば良いようで、あとは勝手にお堂を使うのだ。
 その日、彼女が連れてきたのはこの間の武士(もののふ)と、線が細く薄幸そうな女性であった。男の方は耀を見つけると嬉しそうな顔をして、女も出てきたのが子供と知ると、ほっとしたような顔をする。さえは「今日も修行だよ!」と強気の姿勢を見せて、耀は苦笑しながら「はい」と言う。
 前回のように両側の雨戸を開けて、風の通りを良くした後に、お水を、と。暖かくなってきた季節、玖珠玻璃の水を思い出し、喉が渇いただろうと思い用意する。客人は息を吐くように喉を潤し、きびきびと働いている”弟子”を見るのだ。

「ヨウ、挨拶をしな」
「お久しぶりで御座います。その後お変わりないですか?」
「うむ。おかげでこうしてな……」

 男はどこか照れくさそうに、横に並んだ女性を見遣る。
 あぁ、と思った耀はその場で、「それは良う御座いましたね」と。狸の気配もしなかったから、彼も満足してあの世に逝ったのだろう、とも。

「しかしな……少々……」
「問題だよ、分かるかい?」

 男が言いかけたのを遮って、さえが耀に語るので、びくりとした女である。この世の不幸を一身に背負った顔で、恐る恐ると顔を上げた。
 見た目は愛らしい。内気であるようで、控えめで大人しい女の魅力があった。思わず”守ってあげたい”と思うような雰囲気だ。成る程、こういうのが好みなんだな、と。心配している顔をして、彼女を見守る男を見遣る。

「違う違う、問題は女の方さ」
「あ、はい……えぇと……」

 勘を思い出そうとした耀だった。
 額を意識して、指の隙間を使ったら、視やすかっただろうかとやっていく。狸はそれで視えたのだ。さえが連れてきた訳だから、今回も人霊じゃなく動物霊かと考えた。
 けれど、一向に視えぬのだ。何の気配もして来ない。

「すみません、さえさん。俺には視えないみたいです」
「視えない……どうしてもかい?」
「はい。すみません」

 耀の返事を聞いて「ふむ」と思案した”さえ”である。
 客人の方を見ると、「悪いけど、もう一度、この子に説明してくれるかい?」と。はい、と頷いた女は俯くようにして、さえを頼らざるを得なくなった経緯を、耀にも説明してくれた。

「私の家は古い……古いだけが取り柄の、他とは少し異なる武道を嗜む家なのですが……昔から少々、曰くがありまして……」

 曰く……と音もなく、なぞった口を意識して、頷く女は細く一言「神に呪われているのです」と。
 神に呪われる……はて、と思った耀である。

「さえさん、実は俺、呪われた人を視た事も無いのですが、呪われている場合、どのように視えますか?」
「うん。煙が掛かって視えたり、虫がついていたりだね。色々な事が起こるように、呪いの形も色々さ」

 違和感を視るんだよ。これは何だ? と思ったら、それは呪いの場合が多い。

「つまり……人以外の事象や生き物ですか?」
「あたしの場合はそうさね。死人や生き霊が憑いている時は、その人の姿のまんま、へばり付いている風だから」
「では、神からの呪いの場合も一緒?」
「上手い事を聞くじゃないか。神が人を呪うのは稀だ。神は人を祟るのさ」

 うん……? と考えて、あぁ、成る程、と聞いていく。

「では、この方の言う事は、何かおかしい事になりますね?」
「そう。だけどまぁ、あたしらみたいな、視えない世界が視える人達じゃないからね。呪いと祟りが混ざっていても仕方ない。揚げ足を取るんじゃなくて、あたしらがする事は、事実は何なのか”視る”事だ」

 あんたはあたしの弟子だから、呪いと祟りの違いは教える。呪いとは身に覚えがなくても降りかかってくるもので、祟りとは身に覚えがあって因果があるものだ。

「神が人を祟るのは、人が悪さをした時だ。誰かが人を呪うのは、その人を邪魔だと思った時か。知らずに恨みを買う訳だから、それなりに恐ろしいものだけど、呪いの形は様々だから、分かり易いし強弱もある」

 あたしは呪いはやらないが、解いてやる事はする。この人はあたしの目にもおかしい所は視えないが、耀の目にもおかしいものが視えないとするのなら。

「そうだとするならお前の場合、この人の言う事を何と読む?」
「え……っと……」

 そうですね……と。
 耀が本気で困った顔を浮かべたのが分かったのだろう。判断するには流石に話が少な過ぎるか、と”さえ”は思って。

「あんた、この子にもう少し、その呪いがどういうものか教えてやってくれないかい?」

 女は「はい」と小さく返し、身に降りかかった”呪い”を教えてくれた。

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