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君と異界の空に落つ2 第40話

「古来より武力というものは卑しいものとされている。大陸でも官僚、つまり文官が国政に影響力を持つ。それは儒教が根底にあり、国家とは斯くあるべきという、人民の中にある理想と道徳、知性を持つものが、政をすべきであるという思想に基づく。つまり文尊武卑であり、武は軽んじられるものなのだ」

 流れてきた大陸人の影響を受けたこの国も同じである。戦いを担う武士(もののふ)は乱世においては重要視されるものの、一度(ひとたび)平定が叶った後は文官が世を治める、というように。

「書記や古事記を見ても荒々しい神は忌避されがちだ。荒(すさ)ぶ神であられた三神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)や、日本武尊(やまとたけるのみこと)の話が有名だろう。国の起こりと政(まつりごと)をそれらから読み解くと、いずれも天の系譜の皇子が武力を以て平定した後に、その国を統治していくという記述がある。国譲りから天孫降臨の話は最たるもので、漸く落ち着いた世を見た天照様が、自らの子孫を地上へ送り、統治させようとした所など。文尊武卑とまでは言わないが、それもまた荒れた世が終わった事を察したお方が、では次の統治を別の者に託しなさい、と、覇武によって纏まった国を”譲れ”と脅してきたように」

 口には出さないが、御当主は、武には武の序列があって、規律があるのだ、と、何者かに伝えたいような気迫を帯びていた。蛮族を下し、纏め上げ、序列と規律を整えた者へ対する”気遣い”が、余りにも軽すぎる……軽んじられているのではなかろうか、と。

「そもそも、姉である天照様より、余りに悪戯が過ぎた為、高天原(たかまのはら)から中津国(なかつくに)へ降ろされた素戔嗚尊も同じである。蛇とは水や川を象徴するのは知るだろうか? 八岐大蛇(やまたのおろち)とは荒ぶる川の象徴で、時期を迎えると氾濫し、田畑を流してしまう大河を表しているという。大蛇を退治するとは治水の意、奇稲田姫(クシナダヒメ)は稲田の神とされるので、治水によって稲作を盛んにした事への記しと読むが、荒々しい御神とて、それだけの知性を持つのである」

 此処が大陸の国とは異なる、この国独自の感覚だ。
 武士は荒れた世が治った後、相応の努力に依て、文化的教養を養い、施政者の面を発揮する。文武両道とは正に此の事。素戔嗚尊の血が根付いている事を思わせる。
 国譲り、天孫降臨と、その後の話にも見られるように。

「国譲りでは、天照様の使者であり、高天原一の武神である武甕槌神(たけみかづちのかみ)と、その頃、地上を平定していた大国主尊(おおくにぬしのみこと)の息子、建御名方神(たけみなかたのかみ)が相撲を取ったと言われるが、もしそれが確かなら全く穏やかな方法で、息子が譲ると言うのなら国を譲るとおっしゃった、大国主尊がいかに優れた統治者だったか……大事な息子や民を失う事も無く、天照様の子孫とされる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)へと、国をお譲りになられた事へ敬意を抱かずにはいられない。国津神から国を奪った天津神に思う所が無いでもないが、そも、大国主尊は素戔嗚尊の子孫である故に、天津神の血を引くと考えたのなら、いかにも神話、というように」

 ただ、高天原に住まう天津神側には、良い国家を作るという神念があった為、この世の統治者である天皇は、どうしても天照様の子孫でなければならなかった事がある。争いの絶えない社会を先ず、武を以て平定し、それを成すのに相応しかったのは、素戔嗚尊の血筋だったのかも知れない。
 そう語った御当主を見て、耀は頭に浮かんだものがある。国を造るに止まらず、国を強くする為に、神々は見えない世界にも規律を生むべく、”法”のようなものを持ち込んだ話ではなかったか。
 この国の神々は天照様を筆頭に、神と人と妖怪が、同じ”法”の元に契約出来る、根幹となる”約束事”を、整えた話ではなかったか、と。
 御当主は続けて語る。只の武神では駄目なのだ、と。

「只の武神では駄目なのだ。知性を持った武神でなければ。人もまた同じ事。武を振るうつもりなら、知も持たねばならぬのだ。正に、文武両道が正道である。故に我が家は知も磨く。偏らぬ事が大切だ」

 我が血筋に留まらず、他の多くの武芸者も、流派の理念なり極意なりを神話に見出す事がある。皇族が天皇となる時に必要とされる三種(みくさ)の神宝(かむたから)、そちらに剣(つるぎ)が入っているように、武とは皇位の尊さにも通じるものがあるのである。
 一度、話を終えた御当主は、神棚に向かって一礼をした。

「さて、次は武の解釈の話を、耀殿の耳に入れたい。武には三つの解釈があり、一つ目は”戈(ほこ)をもって止(あし)で進む”だ」

 これは、武の敵を倒して前へ進む、という意味を持ち、まさに戦いの世において敵を倒す為の武の解釈になる。

「二つ目は”戈(ほこ)を止める”という意味で、立ちはだかる悪しき武を、自らの武で止める、という意味を持つ」

 耀は”自分はこれだ”と感じた。決して自らが争いの元になるのを、望んでいる訳ではない。致し方ない状況に、対応出来るだけの力が欲しい。其の為に武術を学びたく、師を持ちたい心境だ。
 けれど、話の流れでは、三つ目の”武”の解釈があるらしい。

「そうして三つ目の解釈になるが、先の二つとは全く違い、”武とは舞”であるとする、呪術的な解釈だ」
「舞……ですか?」
「そうだ。舞踊の”舞”である」

 聞いて不思議そうにする、耀の気配を読んだ人だ。桜媛の父親は、伝えられる説明を聞かせてやった。

「昔に生きた人間は、自分の力では、どうにもならない事柄や、為せない状況になった時、神の力を借りる方法として、武器を持ち、舞ったという。つまり、武とは舞であり、呪術的な性質を持つものだ。その舞は占術に似て、神より答えを頂くもの。我が家は此れを伝える────とは言うが、神の前で踊るというのは一種の神降ろし。神宿し、神威を借りて、立ちはだかるものを薙ぎ倒す」
「…………」
「尤も、我が家は武器は持たずに、舞の型を体術に当て嵌めるだけだがな」

 うん? と思っていそうな耀を、少しだけ楽し気に。

「まぁ、つまり、舞うように、流れるように敵を討つ。近い敵を討つのに良いのだよ。娘も豊輝殿の前ではしおらしくしているが、あのような体格に恵まれた男でも、簡単に地に伏せる事が出来得るものだ。もちろん、相手が矛なり剣なりを所持していても戦える。耀殿はこういうものに興味は無いだろうか?」
「あります……!」

 勢いで答えたものの、”ぴん”とはきていない耀である。
 対して、うむ、宜しい、と応えた御当主は嬉し気だった。
 では、と広い道場の、床の上に向かい合い、先ずは受け身を教えよう、と手取り足取り教えてくれる。

「組み手を学ぶ前に、受けた技をどう流すかを、その身に覚えさせなければならぬのだ。そうでなければ危なくて、その先の技を教える事が出来ない。何、一度身に刻んだら、転げ落ちた時も使える。暫く受け身だけを教えるが、どうか腐らずに付いてきて欲しい」
「はい!」

 九坂の家の方でも素振りという基礎を学ぶのだ。どうして嫌になるというのだろう。どんなものでも基礎が大切なのに。耀の気持ちはどちらかというとこれだった。
 前向きな童子を見ると、男もほっとしたようだ。どうにも血気盛んな子供は、早く技を教えろと言いがちだから。きちんと習おうと思うなら、受け身こそ大切なのに。それは九坂の家の門弟を見ていても、偶にそうした若いのがいるので、仕方ないのかも知れないが。だから、畠中の家ではまだ分別もつかないうちに、子供に受け身を身に付けさせてしまうのだ。思った通り、耀が素直な、理解ある人間で良かった、と。工程が幾つも減るから、互いに良い時間を過ごせるだろう、とも。
 そうして耀は朝食の時間まで受け身の型を三つ習い、共に食事を頂く中で、髪について言及された。もし意図があって伸ばしているのでないのなら、視界の邪魔になるので切ってはどうだろうか? と。
 切るのが嫌ならば結ってやろうと言われたが、丁度そろそろ邪魔だなと思い始めたところだったから、好意に沿って切って貰う事にした。
 食事を終えると女房達が、庭で散髪の準備を始めたようだ。御当主は少しの仕事で奥に下がってしまった為に、代わりに桜媛が見守ってくれるよう。久方ぶりの男児の散髪に、女房達はきゃっきゃとはしゃいだようだ。耀はまた”ちやほや”される時間を過ごし、離れて見ている瑞波の気配に注視した。そちらばかり見ている訳にはいかないけれど、気を向ける、気を遣う、というように。
 予想に反して瑞波の気配は、穏やかというか、嬉し気だ。長めになってしまった髪が散らされて、耀の顔がよく見えるようになると、惚れ込むように見つめたり、恥ずかし気に視線を逸らしたり。
 柔和な顔をしながら女房達にも気を遣っていた耀は、頭の裏側で”何だそれ……”と慄いた。あちらの世界でも思った事だが、瑞波の仕草は女より女らしい。まぁ、顔が好きなのは分かった、と理解した耀に対して、瑞波の方はいつか自分を愛してくれる男神を重ね、そうです、矢張り面影があります、どんどん近付いていきますね、と。もっと深い部分から惚れ込んでいた事を、彼は知らないし、気付く余地も無い訳だ。
 結局、流行りも何もなく、切れるだけ切って貰った耀だった。綺世(あやせ)のように楽さを取って坊主にしても良かったが、瑞波を惚れさせていたいので何と無く留まった。揉み上げも短くして貰ったし、襟足も随分さっぱりだ。柔らかい童子から、さっぱりとした青年に変わって、それにも少しさざめいた女房達だった。
 戻ってきた御当主と共に、昼まで道場に籠った耀だ。
 先ずは受け身、と口にしながら、程よく最初の組み手も教えてくれた。面白いくらいに”ころり”と転がされる自分を知って、習った受け身を取りながら楽しく学ぶ少年である。
 あぁ、これはきっと合気道に似た武術なのだ。転がされている間に思い出した耀である。御当主は何も言わないが、耀の関節も上手に取った。習いたての受け身で取れるだけの速さだが、いい様に弄ばれる自分の体が面白い。
 一方、耀が弱音を吐くかと思っていた男の方も、あちらこちらに投げられるのに、耀の顔が輝いて見えたので、矢張り神様の言う通り、才覚のある童子なのでは、と。自分の身が鈍るのも危惧していただけに、大神は自分の為にも、この童子を遣わしてくれたのだ、と。感謝の心を抱き、大いに楽しんだ。
 昼飯を食べると、うとうとし始めた耀である。旅の疲れもあったのだろう。前の日の疲れも同様に。昼寝の時間を与えられると、思いの外、深く眠り込み、お茶の時間に揺り起こされて茶菓子まで頂いた。
 耀殿がもう懲り懲りと、言ったらおしまいですからね、と。桜媛の方が父親へ釘を刺した程だけど、昼寝から目覚めた少年は、もう少しお願いして良いですか? と。
 天晴れ、心意気や良し。どんどん惚れ込む梁籖(りょうせん)だ。結局その日は陽が落ちるまで受け身と初歩の組み手を教え、忘れぬよう丁寧に体の動きを教えてやった。
 忘れていても良いけれど、出来るだけ覚えておくのだぞ、と。またひと月が過ぎる頃、うちを訪ねて来なさい、と。耀は有り難くお礼を言って、続きを習える事を喜んだ。
 もう一泊をさせて貰って、結局、さえの家に戻って来れたのは、二日が過ぎた頃だった。二日ぶりに顔を合わせた相手は、謎に機嫌が悪かった。

「遅い! 何処をほっつき歩いていたんだい!?」

 す、すみません……と慄いた耀であったが。

「ふん! 腹が減っただろう? 支度しな、直ぐに食べに行くよ!」

 どうも機嫌が悪かったのは、耀の身を心配しての事だったらしい。

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