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いつかあなたと花降る谷で 第2話(8)

 外へ出ると夕焼けの橙が建物に反射して、目を細めなければいけないくらいに眩しい様子である。通りを行き交う人もぐっと増え、地元の人と旅人と、思い思いの目的を持って、忙しく動いている風である。
 宿屋街の近くの通りの屋台街が賑やかで、香ばしくて美味しそうな匂いも届く。外へ出て自然とフィーナが繋いできた手を握り取り、向かいたそうな気配を察してそちらへ向かうことにした。
 色気より食い気のお嬢さんも可愛らしい。なのに自分から手を繋ぎにくるわけで、アンバランスに見える情緒を、幼いものと見たマァリである。多分、今の状況は、保護者枠に近いと思う。安心して自分を任せられる位置に、マァリはありがたくも居るわけだ。
 以前、教えてもらったような同族の男から、何もアプローチをされなかったせいだ、とも推測した彼である。アプローチされていたらそれはそれで妬けるけど、対象として見ているという、知らせがなければ目覚めない。こんなに可愛い妖精を、どうして対象にできなかったのか謎だけど、好みが人間らしいので、随分変わった奴なのだろう。
 いつか会ってみたいと思いつつ、フィーナもフィーナである訳で、同族の男を見ても目覚めなかった不思議を思う。
 育てられ方が良かったのだろうか。男を危なくないものだと思っている。フィーナの父親はどうしてここまで、彼女を純粋に育てたのだろう。フィーナの母親こそ、どうしたわけか。娘の伴侶について、思うところはなかったのだろうか、と。
 もしかしたらそれこそ人間の社会の洗脳で、彼ら幻獣族の中では、別に必要だとは思われていない事柄なのかもしれない。マァリはそう思うことにして、フィーナと屋台街を歩くことにした。

「うわぁ……どれも美味しそう……!」
「少しにしようね。宿で夕食を頼んであるし」
「そうね! うぅーん、どれにしよう……!?」

 彼女の中ではここで何かを絶対に食べていく予定らしい。
 マァリは微笑みながら「どれにしようか?」と乗っていく。
 肉を焼いたもの、魚を焼いたもの、麺類に、小麦粉で作った類のもの、パンも甘い菓子の類も、なんでも揃う風だった。通りの端から端まで歩く間に、何を食べるかお互い決めよう、そんな暗黙が漂った。
 マァリの隣で目移りしている彼女の耳に、エールだよ〜! という景気の良い声が届いた。耳が立つように反応をした彼女を見下ろして、「飲む?」と聞いた彼である。

「美味しいかな?」
「苦いお酒だよ」
「苦いの? それって美味しくはないわよね?」
「好きな人は好きだけどね」
「マァリは好き?」

 俺は飲んでも酔わないから、と、返した彼だ。

「待って。フィーナ、飲んだら性格が変わるとかあったりする?」
「?」
「お酒、今まで飲んだことは?」
「ないわ。そういうのがあるっていうのは知っているけど」
「そうなんだ。じゃあ最初は慎重にいったほうが良いかもね」

 ちょっと怖い、とは思ったけれど、やんわり注意するだけにとどめた。宿の食堂で頼んでみよう、飲めなかったら俺が代わりに飲むから、と。
 聞いたフィーナは特大の安心をしたようで、ありがとう、嬉しい、と伝えたようだ。彼女の興味を削ぐことなく、好奇心を良い方に変えてくれた彼の提案へ、彼女が抱いた感謝はかなりのものだった。やっぱりマァリのことが好きだわ、と、進んだ一歩があったから。
 結局、屋台街では揚げ物を選んだようで、家で作るには難しい食べ物へ、舌鼓をうった彼女である。マァリは薄い小麦粉の皮で包まれた、サラダのような食べ物を食べた。野菜類は新鮮であればどれも美味しいものだけど、ドレッシングの存在はまた別物だ。香辛料に炒め玉ねぎに甘辛いソースと読んで、家で再現できそうな味を記憶していく彼である。
 隣ではパリパリの皮に感動しているフィーナがあって、しきりに「美味しいわ」とこぼすので、油と油を使える鍋も購入していこう、と、予定を改めた彼もいた。そうして楽しく食品のバザールへ、二人は歩いて行ったのだ。
 空に藍色が差した頃、バザールの入り口に立った二人である。
 通りは更に賑わいが増していて、夕食の材料を急いで買いつける人の姿があった。旅人らしい服装の人たちは、珍味を求めていずれかの店主と話し込む。呼び込みの声も響いて活気があって、圧倒されたフィーナだった。

「こっちかな」

 いくよ、と、背の高いマァリが手を引いていく。
 フィーナの身長からすると、旅人が肩から下げる鞄が顔にくる位置だ。ぶつかったら痛いだろうし、歩いている人の様子を見るに、誰もフィーナの存在に気づいてくれないようである。だから自分で気をつけなきゃ、と彼女は思うけど、気づいたマァリが積極的に背中の後ろに保護してくれた。あとは付いていけば良いだけで、目的の店に着いたら「どれにする?」と問われるだけだ。

「いくつか買ってみる?」
「何が違うの?」
「採れる地方とか、量とか、瓶の形とか」
「マァリの財布が大丈夫なら、それぞれ気になったものを買うのでどう?」

 贅沢をしても良いのなら、味の違いを知りたいわ。
 汎用的な香辛料の一つや二つ、それぞれ好きなものを選んでも大した出費にはなり得ない。それなら胡椒だけじゃなく、目についたものも入れなよ、と。高くないから大丈夫、という彼の言葉を信じた彼女だ。
 正面で聞いていた店員が、よく作る料理の様子を聞いて、彼女へ「こちらがおすすめですよ」と色々なものを勧めてくれた。聞きなれない、使い慣れない香辛料は困るけど、色のついた岩塩には惹かれるものがあったらしい。あとは様々な植物からできる砂糖を聞いて、無難なものだけ求めたフィーナである。ジャムで使い果たしていたから、砂糖はとても有り難かった。
 マァリの鞄にはするりとそれらが入り、もの言いたそうにした彼女と店員へ、しぃっ、と指を立てて伝えた彼だ。お釣りは良いよ、とチップも渡していたために、彼の美貌と相まって、快く黙った店員の女性であった。
 旅人さん? どこに泊まっているの? と、誘いをかけたそうにしたその人は、また今度ね、という彼の軽口を信じたそうな顔をした。横で見ていたフィーナはそれで、やっぱり人気があるんじゃない、と。断り方も手慣れているし、どうして彼はモテないふりをするのかしらね、と素朴に思ったようである。
 それは彼の性格がそうさせる問題で、好みの女性に好かれなければ、モテるには値しない感覚なのだ。そういう意味では正しく彼はモテない人間で、お付き合いも初心者すぎる残念な男なのだった。ただ、相手を想いながらもきちんと距離は測れているし、好かれるために必要な努力も怠らない。そういう意味では彼は結構、良い男の部類、と思う。果たして妖精に「良い男」が通じるのかどうなのか、そうした部分は測れないが、と書くけれど。
 少なくともフィーナには良く見えるようなので、全く無駄な努力というわけでもなさそうだ。どうして? とは疑われても、気障ね、とは思われていないから。
 香辛料の店を後にして、鍋屋で小さい鍋も手に入れた彼である。耳にした金額が大きい気がしたフィーナであるが、妙な金属が入っているほうが怖いので、しっかりした高価なものを買っていたマァリであった。それも問題なく鞄に収めると、油屋で植物から絞った油を買った。あとは肉屋でベーコンを見繕い、チーズの店でひと塊りのチーズをいくつか買っていく。

「パンも少し買っていい?」
「良いけれど……帰るまでに腐ったりしないかな?」
「そこは大丈夫。竜族の魔法技術だから」
「へぇ。すごいのね」
「だから内緒ね?」

 マァリが内緒ということの意味を、すぐに理解したフィーナだった。
 うん、と頷いてみせ、庇われながらバザールの通りを抜ける。
 屋台街に戻ったら、前より人が増えていて、バザールと同様に守られて進んだフィーナである。何度かマァリが人とぶつかるも、顔を合わせた相手が慌てて頭を下げていく。その都度、見えない場所で、スリを働こうとした浮浪者の関節を、締め上げるように捕まえていた彼である。帽子の下に隠した美麗な顔は、こういう時に使い勝手がよくて、冷たい視線で見下ろしてやれば勝手に恐れてくれるのだ。
 彼の血に半分混ざったものが、冷気を滲ませていることを彼は知らない。知的で冷静と言われる彼の種族は、怒りを浮かべた時が怖いのだ。滲んでしまう魔力的な要素もあって、周囲の温度を無意識に下げている彼である。よく、鳥肌が立った……と思われていた彼だけど、本当に鳥肌が立つくらい、温度を下げていたりする。まだまだ彼も自分のことを、知るには時間が必要だ。
 もう少し食べたそうな顔をしているフィーナの手を引いて、屋台街を抜けた後は、通りも空いてきたので歩きやすくなった印象だった。前後で歩くより隣を行く方が楽しいわけで、会話が戻った二人である。買ったものへの期待をそれぞれ話し、夕食の話題に移ろった。
 真っ直ぐ宿屋に戻った二人は、席も空いていたのでそのまま夕食を頂くことにする。メニュー表を渡されて、読めるマァリが説明をした。フィーナは魚が入ったクリーム系のパスタを選び、マァリはビーフシチューをメインに頼む。他にサラダやバゲットや、小さいものをいくつか頼み、ジュースとエールを一つずつ頼んだ後だ。すぐに出てきた小鉢を突きながら、まずはフィーナがエールを味見した。
 一瞬で彼女の顔が歪んで見える。
 それを静かに笑って眺めたマァリであった。

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