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いつかあなたと花降る谷で 第2話(3)

 ワイバーンの巣は記憶の通り、海に面する絶壁に作られていた。
 羽の無いものは近づけないし、巣を襲うにも勇気がいる場所だ。
 彼らは群れで子育てをすることで、外敵から身を守るらしい。若い雄が率先し、常に崖の周りを飛んで、敵が近づいてこないかを警戒しているらしいのだ。そのほか、一羽一羽が見張りを担う様子もあるし、子育てをしない雌たちは気ままなようでいて、警戒しながら飛翔を競う、若い雄達の品定めをしているようだ。
 マァリは及び腰になっていたフィーナを呼び寄せて、一緒に飛竜の背中に乗ると、その飛竜の案内で繁殖地の中央に来たようだ。一等広い岩の出っ張りがある場所で、降ろされたフィーナは勧められるまま岩地に座る。
 鳥の繁殖地のように、糞で汚れているかと思えば、彼らは想像以上に賢いらしく、それら全てを遥か下方の海原へと落とすらしい。だから岩場は綺麗なもので、匂いも潮の匂いしかしなかった。
 緊張のあまり、へたり込んだ彼女を見ると、マァリは篭を失礼し、彼女の代わりにお茶の用意をし始める。
 フィーナは自分を見てくるたくさんの飛竜たちを、緊張しながら見上げるだけで、とても可愛い反応だ。そろそろと近づいていく首領の子供らしい個体が一匹、フィーナへと首を寄せ、匂いを確かめたようだった。
 背の方の死角から急に首を寄せられたので、ひゃあ! と驚いたフィーナである。小さい白いのが首を伸ばす様子を見遣り、あぁ、貴方の子供ね、と確認するように親を見た。
 くんくん、と匂いを嗅ぎ分ける、子供の飛竜がすることを、ひゃあぁ……と照れた顔をして、暫く耐えたフィーナだった。最後にほっぺたをペロリとされて、びくっと肩が跳ねていく。
 何が恥ずかしかったのか、真っ赤になった彼女である。

「ワ、ワイバーンって、可愛いのね」

 と、照れ隠しをするようなことを呟いた。
 彼はフィーナの照れた顔を見て、何かが心に入りかけたが、ぐっと堪(こら)えたようであり「そうだね」とだけ返したようだ。
 それから飛竜の子供はフィーナを気に入ったようであり、首を足の上に乗せ、甘えるように寝そべった。こいつ……とは思いはしたが、マァリはちゃんと大人である。大人であると自制をすれば大人を保てるくらいには、彼はしっかりとした大人である訳だ。
 代わりにフィーナにお茶を渡して、反対側に腰を下ろした。そうして大海原を見る。肩が少しだけ触れていた。

「ありがとう」
「どういたしまして」
「景色がいいわね」

 と、触れた肩など気にならないように、フィーナは近すぎるマァリへと、いつもの調子で話しかける。
 二人の視界いっぱいに広がった海原は、開放的で、白波が映え、グラデーションの青が綺麗だ。

「海が近いのは知っていたけど、見に来たことってあまりなかったかもしれない」
「気に入った?」
「気に入った。マァリのおかげね」

 あまりにあっさり返されたので、マァリはちょっと固まった。
 そりゃあ、いい雰囲気になれば良いなと思っていたし、しれっと距離を詰めたりもして、少しでも意識してもらえたら嬉しかっただけに、である。

「絶景じゃない? マァリがここの子たちと仲良くなってくれなかったら、絶対に見られなかった景色だと思うのよ」

 笑顔で語るフィーナの様子に他意はない。
 本当にまっさらで、何の裏もない顔である。
 一瞬固まったマァリだけれど、すぐに気が抜けた顔をする。フィーナの腰に回しかけた手の方は、そのまま地面にくっ付けた。
 くしゃりと笑ったマァリを見上げ、フィーナは少しだけ「間違ったかも?」と思ったようだ。どうしてそう感じたのかは、まだまだ分からないけれど。いつもの彼の微笑みに苦笑が混ざった気配があった。それじゃないんだけどな、と、思われた雰囲気があったのだ。
 でも、すぐに「良かった。羽も手に入ったし、これでいつでもフィーナに付いていけるよ」と、彼の微笑みが降りてくる。見慣れたマァリの顔にほっとしたフィーナだから「怪我もなくて良かったわ」と微笑めた。
 崖のどこより広いけど、それでも岩場は狭いから、家にいるより彼との距離が近いせいもあったのかもしれない。普段と少しだけ違う気がしたマァリの気配に、飲まれたのかもしれないと考えた。

 お菓子を食べてお茶を片付けたなら、飛び立った二人と一匹だ。

 群れの首領に跨るマァリは、生き生きとして見えていた。専用の鞍も具合が良さそうで、どちらも動きやすそうである。
 フィーナは割と、穏やかじゃない方法で彼が飛竜を手に入れると思っていたので、親友のように息が合う二人を見遣り、先に帰っていても良いわよ、と提案をした。
 何せ、飛竜が翼で扇ぐたび、小柄なフィーナの体が風圧を受けてよろめくのである。体勢を安定させようと、翅に集中するけれど、どうしても小さなフィーナは思うように進路を取れない。
 二人はフィーナの進度がゆっくりなので、上へ下へと移動して楽しんでくれているけれど……これならいっそ楽しい同士、先に行ってくれた方が楽である。
 ばっさ、ばっさ、と空中で、停止姿勢を取りながら、よろめくフィーナに気づいた二人が沈黙した雰囲気だ。

「あの……フィーナ。もし嫌じゃなければだけど……」

 うん? と向き合う彼女へと、手を伸ばして言うマァリ。

「ここ、乗ってみない?」
「え?」
「乗ったことないでしょう?」

 翅のある妖精が、ワイバーンに乗ろうだなんて、確かに、考えたこともなかった、と。

「大丈夫だよ? ね?」

 マァリが飛竜に伺いを立てて、グルル、と機嫌が良さそうな、飛竜の声が届くのだ。
 ごくり、と唾を飲むような、緊張感と好奇心がある。
 フィーナは必然的にマァリの腕に抱かれるが、そんなことは全く頭に上らなかった。だってワイバーンに乗れるのである。そんなの、マァリと一緒じゃなければ、この先も無理だと思うから。
 ほんの少しの時間だけれど、彼女には長い時間に感じられた。その時間で、緊張を好奇心で塗り替えた。

「いいの……?」

 怒らない? 本当? 大丈夫?
 念入りなことである。
 マァリはフィーナが初めて見せる姿を見遣り、なんだか可笑しくなったというか。飛竜に跨り、空を駆けるのとも違う、楽しい気持ちになってきた。

「いいよ。大丈夫だよ。ほら、おいで」

 マァリに言われて、ぱっと華やいだ顔である。
 可愛い……と思った気持ちを押し殺し、彼はフィーナを飛竜と自分の間に迎え入れた。

「落ちないように掴むよ?」
「私も掴んでいい?」

 願ってもいないことだけど、積極性に目を回す。
 飛竜に乗れるという期待からくるきらきらの、瞳を見下ろしながら「どうぞ」と言えた彼である。
 もっと気の利いたことを口にできれば良かったけれど、こう見えて意中の女性とくっつくのは初めてだ。人間の子供の体型だけど、大人の女性の言動で、フィーナの小さな体は華奢なのに柔らかい。
 遅すぎた二次性徴の兆しのような反応を、絶対に見せまい、と、心に誓った彼である。フィーナの見えない場所で、耳だけ真っ赤になった彼だった。
 横抱きのままフィーナには前を向かせ、右手は手綱へ、左手で彼女の体幹を支えていく。落ちても翅があるから大丈夫、という意識はどこへ。まるで、振り落とされてしまえば命が危ない、と。そんな気配で、彼女もマァリの腰へ自分の腕を回したようだ。
 その先は彼の衣類をきつく握りしめたよう。左手はマァリと同じ手綱の、余った部分を持っていく。

「いくよ」

 と言えたマァリは、飛竜へ飛翔を促した。

「ひゃっ!?」

 と声に出てしまうほど、飛竜の飛翔は早かった。

「すごい、すごい……!」

 フィーナの体はぐんぐん上空へ持ち上げられる。
 あっという間に彼女の視界に、住んでいる山の全貌が収まった。

「人間の国のお城……」
「行ってみたい?」

 山の全貌が収まると、次は人の世界が見える。
 女の子はそういうのが好きかもしれない、と。人間の女性の感覚で、マァリは何気なく口にしたのだ。

「人間のお姫様が住んでいるんだったっけ?」
「そう。王子様もいる。王様もお妃様も」
「大きなお家ねぇ……掃除が大変そう」
「ふっ……いや、それはね、お手伝いさんがやるからさ」
「あ、そうだったわね。マーメーナの本で読んだんだった」

 どう? 憧れる?
 聞いてみたマァリである。
 フィーナは「う〜ん」と唸って、自分の家が好きかな、と。

「確かに、あんなに素敵な家は無いと思うよ」
「でしょう!? 結構気に入ってるの。マァリにもそう思ってもらえて嬉しいわ」
「そう? あとは、そうだな……ドレスとか?」
「ドレス?」
「うん、興味ある? あるなら買いに行ってもいいよ」
「やだなぁ、マァリ。私が着られるものは、人間のサイズだと子供用になっちゃうでしょう?」

 流石に私、そういうのはちょっと、恥ずかしいって気持ちがあるわよ、と。若葉より明るい緑の、きらきらとした彼女の瞳が、彼を見上げて困った色を浮かべていたのだ。
 マァリは「なるほど」としか口にできなかったけど、「じゃあティアラなら?」と聞いてみて、要らないわよ、と笑う妖精を見る。

「似合うと思うけど」
「使う場所がないじゃない」
「俺に見せてくれるとか」
「それなら試着でいいじゃない」
「人間の世界のもので、欲しいものは何かないの?」

 これでも給与は良かった方だ。使う機会もなかったために、それなりの蓄えは持っている。買い与えたいと思うより、貢ぎたいマァリだけれど、フィーナにはそういう感覚がないらしい。

「う〜ん。でも小麦も砂糖もお塩も使わせて貰っているし。卵はミオーネに分けてもらえるけれど、そういうのがなくなると寂しいかしら」

 妖精たちは別に食べなくても、体を維持できるわけだから。彼女にとって人間のような三食の食事というのは、割合が大きい道楽で、手放せない趣味という風らしい。
 聞いたマァリはくすっと笑い、「じゃあ、ちょっと遠出して町まで行ってみて、食べたことのないものでも一緒に食べてこようよ」と。

「実は俺も旅行とか、あまりしたことがなかったから。食べたことのないものとか、結構多いと思うんだ」

 一人で食べるのも微妙だし……せっかくフィーナがいるならね、と。

「いいの?」

 と、聞きながら輝いていたフィーナの顔なので、マァリは「じゃあその予定で」と、あっという間にまとめてしまう。

「そろそろ降りようか」
「あ。そうよね、随分高いところまで登ってきたみたいだし」
「フィーナは落ちるのとかは平気?」
「へ?」

 抜けた声を出す彼女を抱いて、マァリは滑空の指示を出す。

「落ちる? って、降りるってこと?」
「まぁ似たようなものだけど」

 まったりとしたマァリの声は、これから起こることに対して、不釣り合いな印象だった。
 いつの間にか羽ばたきをやめた飛竜が、急に、ぐん、と地上の方を向く。

「え?」

 浮遊感は一瞬だった。
 自分の体が飛竜と共に、地上目がけて落ちていく。

「えっ……えっ!? えぇぇぇぇ!!!?」

 マァリの方を向いていたから、反転するような彼女の視線の先は、真っ青な空だけになっていく。

「ちょっ! マ、マァリ、マァリ!!」
「大丈夫、捕まっていて」
「!!」

 せっかく結んだ彼の長髪が、風の勢いに飛ばされて、フィーナの視線の先でバラバラにほぐされていく。それだけ強い風圧を、自分達は受けているわけだ。
 だって地上目がけて真っ逆さまなんだよ、と。フィーナは混乱しながらマァリの腰に抱きついた。
 そんな彼女の視線の先に、無邪気に笑う彼がいて、怖いし、注意したいし、怒るべきなのだろうけど。その顔があまりに楽しげで、怒れなくなったフィーナである。
 ワイバーンはマァリの指示通り、フィーナの家の庭まで二人を届けてくれた。今後はマァリが「連絡」すれば、いつでも飛んできてくれる約束をしたらしい。
 野生の飛竜とどうやって……? と、彼女は不思議に思ったけれど、マァリが自信満々なので、人間の世界の技術なのだろう。
 飛び立つ飛竜に向けて手を振ると、ぐるりと上空を旋回してから去っていく。本当に頭がいいのね、と、驚くフィーナを前にして、うん、と意味深に微笑んだ彼である。

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