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いつかあなたと花降る谷で 第2話(11)

 目を覚ましたら離れていたはずのベッドがくっついて、触れる腕がマァリのものだと気がついたフィーナだった。別に同じベッドで良かった、昔、お父さんと街に遊びに出た時、同じベッドで眠ったように。そう思っていたフィーナだから、目を開けた時、ベッドがくっついていて嬉しかったのは本心だ。
 触れていたらしいマァリの腕は、彼が好きにさせてくれた雰囲気で、難しい顔をして寝ているらしい彼を見ると、寝てる……と思って暫く額をくっつけた。
 なんとなく悪いことをした気になるフィーナであるが、彼の腕に触れていると落ち着くような、満たされるような気分になった。マァリがミオーネに「ひょろひょろ」と言われていたけど、これでもある方、と答えた彼の言葉の通り、フィーナには鍛えられた腕のように感じられた。柔らかいけど張りがあり、触れていると気持ちいい。悪いことをした気持ちになるのは、これは普通の男女の距離ではない、と、何と無く分かるからだろうかと。
 でも、そんなのには囚われないフィーナだった。起きて一番初めに目に入ってきたものが、同居人の彼である。頼りになって、好ましい、紳士的な人間だ。昨日の記憶も楽しくて、好感度は言わずとも高い。マァリが望む男女の距離には程遠い様相だけど、彼と恋人同士になるのも良いかもしれない気持ちも生まれた。そうよ、もっと近くに居たかったのよ、と、開き直りに近い気持ちも浮かぶ。
 素直にこの距離感を喜んで、ニコニコと彼の目覚めを待っていた。彼女は別に、どうしてベッドがくっつけられたのかは気にならない。もっと言うなら昨日の記憶が、食事のところまでしかないことも。
 持ってきた寝衣も着ているし、体もサラッとしていて、夜のうちにお湯を浴びたのがわかるから。そんな記憶もうっすらあって、彼に迷惑を掛けたこと、全く記憶になくて気楽なものだった。
 目を覚ました彼はどことなく、疲れたような雰囲気だ。
 寝つきが悪かったのかしら? と、一応、フィーナは遠慮した。具合が悪い? 大丈夫? と心配の声も掛けたけど、マァリは柔らかく微笑んで「大丈夫だよ」と返すだけ。

「二、三日は寝なくても、平気な質(たち)だから」
「人間って丈夫なのね……」
「ははは」

 と誤魔化した彼である。
 暗に寝てないと滲ませたけど、フィーナは安定の純真だ。こういうところも可愛いんだよな、と、結局、癒されたマァリだった。
 宿屋は基本的に先払い。追加があれば鍵を返す時、支払うシステムだ。客の中には商売女を呼ぶ男も居るわけで、事後の片付けが手間であるので、そういう時に追加の支払いが発生する。
 二人は男女であるけれど、姉弟という設定を使う前、宿屋の人が勝手に兄妹と思ってくれたよう。追加料金も発生せずに、すんなりそこを後にして、前の町より1日に出る本数が多い、乗合馬車に乗り込んだ。
 忙しなく人が移動するそれなりの街と大きな街だから、馬車を使う人たちも都会風の気質であって、声を掛けられることもなければ、誰も誰にも興味がない。フィーナは柔らかい空気ながらも無言になったマァリを見遣り、同じように無言で流れる景色を楽しんだ。
 見たことのないものを売るお店。随分綺麗な配色の、お洒落な店もある。人だかりになるような食事処に、綺麗な服を着たご婦人、と。
 仕事をしている人も多いけど、雰囲気の良い男女も目に入る。きっちりとした服装の男性と、着飾った女性である。マァリはよく襟付きの白いシャツを着て過ごすけど、なんとなくそれに近いような雰囲気だ。出かける時やワイバーンを捕まえに出た時は、汚れが目立たないような色の服。旅行中は家にいる時のように白い襟付きのシャツらしく、その上に何とも言えない地味な色の上着を被り、帽子で顔を隠しているようだ。
 フィーナも灰色に近いなんとも言えない上着を着ていて、同じように帽子を被り顔を隠して移動する。自分達と似たような人は少なく見えて、でも、確実にそういう人は他にも居るようだ。
 あとは、そう。馬車の中から外を見ていて、やっぱり気になってしまうのは、人間の街の男の人は乱暴そうな印象がつくことだ。これは子供の時にも見たが、基本的に男性は、女性や子供に優しくない。子供の手を引く母親が、前から歩いてきた男を見ると、子供を体の後ろに隠して守ってあげるような雰囲気だから。
 フィーナも昔、ぶつかって、見下ろされたことがある。よそ見をしていたわけではないし、自分は避けたつもりだったけど、避けたのを追いかけるようにして、わざわざぶつかってきた印象だった。
 隣を歩く父親が、フィーナの頭を押さえたままで、フィーナの代わりに「すみません」と謝罪したから覚えている。そのまま顔を伏せさせられて、抱き上げられてその場を離れた。
 だから街に住む人間の男とは、そのような荒っぽい人間で、優しくもない印象で……マァリとは全然違う。マァリとは仲良くできるけど、他の人とは無理そうだ。もちろん、全員がそうとは思わないけど、大人の男性特有の”じとっ”とした視線も苦手である。
 それはフィーナを値踏みしている視線になるけれど、理由が分からないなりに、嫌だな、と感じる彼女だった。街は賑やかで楽しくて、美味しいものもあるけれど、マァリに誘われなかったら、一人では来ない場所だと思う。
 流れるままの景色を見ながら、知らない人と目が合って、そっとマァリへ身を寄せたフィーナだった。
 マァリは「どうしたの?」と問うことはしなかった。自分の視界の範囲の中で、彼女へ視線を向けていた者を見たからだ。あぁ、と思ってそのままフィーナが自分の影に入るのを、良しとするようにして口を噤んだ。守り方は色々ある。指摘してしまって彼女の不安を残すより、自分の影に隠したままでしっかり安心できるまで、庇護してやる方がいいだろうと考えた。
 全く……子供が好きな悪い大人が多すぎる。自分を棚に上げるでもないけれど、悪態をつく彼だった。気持ちは分かるが、フィーナの価値は見た目だけじゃないと思うのだ。まぁ、彼女が希少な光の妖精であることを、もしかしたら無意識に感じ取っているのかもしれないけれど。

 誰にも渡さない────。

 ふと浮かんだ本心を、小さな罪悪感を持ち、少し打ち消した彼だった。自分より相応しい相手が居たら、多分、身を引くだろうと思うから、と。
 共に生きるために契約したのは、嫌われ者の死妖精。霊魂も精霊魂も目にすることができ、人も幻獣も一緒くたにして弔うことができる存在だ。悪くなってしまったものを葬ることができる存在で、死に遠い存在を、死に近づけることもできる存在だから。
 縁起が悪い、と思う彼は、小さく自嘲する。
 人が多い街の中は、死者も溢れかえっていると言っていい。全てが悪いものではないけれど、たまに悪いものがいて、積極的には関わらないが、都合が悪ければ処分する。
 彼の目には久しぶりにそれらの姿も映り、人の街は賑やかだな、と、苦笑するような気持ちも浮かぶ。
 程なく街の門をくぐって、乗合馬車は街道へ出た。牧歌的な景色の中に小さな町や村が見え、道の横を走る子供たちが小さいフィーナへ手を振った。フィーナは子供が好きな様子である。彼らに手を振りかえし、少し戻った自然へも意識を移したようだった。狭まっていた二人の距離も、ほんの少し遠くなる。行動で全てが分かる彼女を横目にすると、やっぱりマァリは愛しくなって、自然と優しい笑みが零れた。
 ただ、今夜はフィーナへと、あまりお酒を勧めないこと。密かに固く誓った彼だった。
 前の町からの街道よりも、整った道を行きながら、昼には次の街の門をくぐった乗合馬車である。身分証を提示して乗車券を買うために、乗合馬車は乗員を待たせることなく進んでいける。外の長い列を見て、驚いた顔のフィーナだった。

「身分証の確認がとれないと、街に入れないんだよ」

 そっと耳打ちしてあげる。
 そうなのね、と返した彼女は、まだ驚いた顔をしてそちらを見ていた。

「王都だともっと厳しいよ」

 続いた言葉を聞いて、彼女は更に「そうなの?」と。

「ねぇマァリ、この街、前の街よりすごく大きい……」
「そうだね。前の街より気をつけて歩かないといけないね」

 降り場に着いて、人の隙間をぬって、二人はしっかり手を繋ぐ。

「今日も先に宿を探す?」
「うん。そうしようかなと思う。夕方になって宿が取れないんじゃ、焦る気持ちになるもんね」

 そうね、と頷くフィーナを見下ろして、「宿屋街まで馬車に乗る?」と一応聞いてみた。

「ううん。あ、でも、嫌じゃなかったらなんだけど……すごく大きな街だから、ちょっと歩いてみたいな、って」
「構わないよ。よさそうなお店があったらさ、ミオーネやポッサンにお土産を買っていこう」
「あ! それなら珍しいお菓子が欲しいんだけど……その、たまに森の皆とね、女の子だけのお茶会を開くの。それぞれお菓子を持ち寄るんだけど、人の街のお菓子なら、珍しいから喜んで貰えるんじゃないかな、って」

 無理ならいいのよ。帰ったら自分で作るつもりだから。慌てて付け足すフィーナへと、構わないよ、と返した彼だ。
 マァリには初耳だったけど、そういう話があるのなら、せっかく来た人の街、フィーナが選んだらいいと思うよ、とも。

「女の子だけのお茶会って……いつも何人くらい居るの?」
「マーメーナがいなくなっちゃったから、3人に減っちゃったんだけど、チャールカが来てくれたから、誘って4人でやりたいな、って」
「へぇ」

 と返したマァリの脳裏に、真っ黒な翅を持つ、泣き妖精の姿が浮かんだ。
 ちょっと面倒な存在だけど、割と太い縁を持つような、ある意味特別な子供である。前任者から存在は聞いていたし、近くに寄れば成程と思う、不思議な雰囲気を持つ妖精だ。
 それと付き合うつもりなのか、と、止めたい気持ちになったけど、ポッサンの家で見たフィーナはというと、仲良くしたい雰囲気を持っていた。確かに、と思った彼である。仲良くしたいフィーナなら、張り切るお茶会だろうな、と。
 通りに面するお店を覗き、何軒か回った後に、彼女たちへのお土産に良いものを見つけた二人だった。可愛らしい動物の姿焼き。食べるのがもったいないわとフィーナは言ったけど、釘付けのまま暫くその場を離れなかった。
 マァリは店員を呼び寄せて、フィーナの後ろで購入を済ませた。味も確認したいだろうと多めに買っていく。服装はどうであれ沢山買ってくれた良客だ。店員はニコニコしながら包装してくれた。
 さ、行こ、と整ってからフィーナへ言うと、目を剥いて驚いた彼女だった。彼の腕に下がった袋に、済んだことを知ったらしい。

「え? マァリ……いいの?」
「うん。これ気に入ったんでしょう?」
「そう……だって可愛いから……」
「ん。じゃあお店の邪魔になると悪いから」

 外へ出よう、と促すと、はにかんだフィーナだった。
 マァリの体からひょいと出て、お店の人の方を向くと、対応していた店員さんへ頭を下げた。はにかんだままお辞儀をしたので、嬉しさは誰より伝わった。お父さんと娘と呼ぶにはお父さんが若すぎたので、お兄さんと妹さんだとここでも思われた。微笑ましく見送った後、店を出て手を繋いだ二人を見つけ、羨ましく思ったほどだ。
 惚れたお土産を買ってもらえて足が軽くなったフィーナを見ると、マァリも微笑ましくなっていく。

「お昼どうする? そろそろどこかで食べようか」
「うん!」

 と返した彼女と歩き、適当な店に入った彼だ。
 人の目が無い方が安心して食べられるので、フィーナには何も告げずに少し高い店に入る。席に通されてメニュー表を貰い、食べたいものを選びつつ、昨日のお酒と似たような名前を見つけ、はた、と止まったフィーナだった。

「マァリ」
「お酒はダメです。夜に1杯だけにしましょう」

 どうして敬語? と思ったけれど、彼の圧に「うん」と言うしかなかったフィーナである。
 マァリは同じ轍は踏まない。絶対に。絶対に。

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