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君と異界の空に落つ2 第11話

 暖かい山のおかげで、ぐっすり眠れた耀だった。
 瑞波へと祝詞を唱え、腹の穢れを祓って貰う。それから二人は昨晩知った温泉を目指して歩き、耀は道中、食べられそうな山菜を採っていく。
 源泉ならば熱かろう。その場合は何処かの川から道を引かなければならないが、食べ物も豊富であるので頑張れる、と考えた。住みやすそうなら温泉の近くに住居を構えても良いと思う。取り敢えず屋根さえあれば。壁は少しずつ整えよう。そうか。この山になら家を建てても良いかも知れない、と。斜面を登りながら明るくなった耀だった。
 目的の温泉には昼前に着いただろうか。果たしてその場所は、既に出来上がった”湯”に見えた。大人三人は入れるだろう浴槽が作られて、湯と水の道が引かれていたのである。ご丁寧に泉の前には脱衣が楽なよう、石が敷き詰められていて、土汚れも気にならない。泉の中も石が敷かれて、具合が良さそうなのである。暫く人が来た気配は無いが、明らかに人の手が加わった場所なのだ。

『何か……凄いね、 此処。近くの集落の秘湯とか?』
『集落……? いえ、暫く降りますよ』

 あるんだ……と思った耀の気が抜けて、使ったらまずいかな? という視線を瑞波に向けた。

『気にする事では無いと思いますが……北の山になりますと、動物も入りに来たりします。こうした恵みは皆で使うものですし……耀は場を荒らしたり、汚したりはしないでしょうから』

 あぁ、成る程、と持ち直した耀である。
 荒らしたり、汚したりしなければ良いらしい。それなら気兼ねなく使えるし、少し遠いが山を降りれば集落がある、と言うのなら。

『この山、良いかもね。俺、此処に住もうかな』
『そうですか?』
『うん、取り敢えず、暫くね。夏頃に集落に降りてみて……人柄の良さそうな人達だったら、住まわせて下さいってお願いしようかな』
『…………』
『大丈夫。次は一人で暮らそうと思っているし、何かされそうだったら直ぐに逃げるよ』
『……まぁ……耀がそう言うのなら』

 心配顔の瑞波を見遣り、耀は苦笑して頷いた。余り瑞波に心配ばかり掛けてもいられないけれど、人である以上、人と交わらずに生きるのは難しいと思うから。
 それに、次は一人暮らしをするつもりだったから、前よりは心配を掛けずに済むと考えていた。大人達も、血の繋がらない子供の面倒を見るのは嫌だろう。だから、自分は山に住み、困った時だけ頼らせて下さい、と。
 その”頼る”も塩や味噌、保存食、生活に必要なものの購入や、作り方を聞くだけで、集落の大人達の負担になるつもりはない。この山は冬でもこれだけ豊かなようだから、一年を掛けて一人分の食べ物は手に入りそうである。
 お礼に山菜を持っていけば良いと思うし、深山へ踏み入れる自分達なら、彼らが手に入れ難いものも譲れそうだから、大丈夫なような気がしたのである。
 着物も色褪せてきたとはいえ、まだ師匠の袖もある。二十歳くらいまではその心配も要らぬだろうと、耀は難しくなく考えた。
 丈弥(じょうや)と葉月(はづき)に聞いた村での暮らしぶり、山の恵みを頂く事への暗黙と、色々と聞いておいて良かったと思う事だらけである。過ぎた日々は戻らないが、どれも大事な思い出で、生きる助けにもなると思えば、人との交流は大切だ。
 それに、ふと、丈弥……と面影を思い出す。
 彼は隼(しゅん)と勇士(ゆうし)と3人で居た記憶が多い。浄提寺では勇士と共に物静かな兄さんをやっていて、皆の調整役という雰囲気だった。夏の山菜採りでは綺世と三人で山を回った。それまでは距離を感じていたけれど、共に仕事をするうちに、自然と打ち解けた印象だ。
 あの時、俺の死を無駄にするな、と、彼は夢の中で語ってくれた。思い出せ、あいつだ、と手掛かりをくれたのだ。自分がどのような状況に置かれていても、彼は冷静さを失わなかった。尊敬できる兄さんだ。
 弔ってやりたかった。遺体は浄提寺の外殿に。魂(こん)を呑まれたと聞いたから、もう其処には居ないだろうが。せめて、お師匠様の元へ帰った時には、心を込めて経を読んでやりたいと思う。いつか魂魄揃って輪廻の輪に戻れるように。祈りにはそれだけの力があるだろうと思うから。
 消えない面影を抱きながら、まずは目先の事だ、と気持ちを戻して耀は言う。

『火は邪魔にならないところで焚けば良いかな。暫く人は来ないよね?』
『そうですね。気配は無いですね』
『じゃあ先に着物を洗っちゃお』

 近くから枯れ木を集め、火をつけて、耀はざぶざぶと着物を洗った。全く不敬かも知れないが、錫杖を袖に通して近くの木に掛けていく。これはお師匠様が持たせてくれた質の良い錫杖だ。先が金属製のものは貴重な時代なので、洗濯に使うのは勿体無いし、罰当たりな感じが否めない。
 だけど、子供の感性というか、耀の感性からすると、それが丁度良いだけなので深く考えてはいない様。きっとこれを雪久が見ても少し無言になるだけで、他に道具が無い訳ですし……と許してくれそうな雰囲気だ。耀の師匠は真面目だし厳しいけれど、案外と合理的。遠くでくしゃみをしたような、その人だった。

『うわ〜っ、あったかい!』

 やる事を終えて、漸く温泉に入った耀の声だ。
 中の石は綺麗に敷いてあり、足の裏にもお尻にも刺さらない。水側とお湯側で丁度を選べて快適だったし、浄提寺でも水しか浴びた事が無い身としては、まさに極楽、楽土を踏んだ気分である。

『最っ高……もう本当、此処に住みたい……』
『ふふふ。それは良かったですね。集落の人間も……前のような人達でなければ良いのですけど』

 小言は言うものの、気持ち良さそうな耀に免じて、瑞波も幾分、柔らかい顔をする。

『瑞波は入んない?』
『え?』
『一緒に。温泉』
『え……?』
『前に居た国には、そういうのがあったんだよ。神様も温泉が好きっていう設定が』
『せってい……?』
『嫌い?』
『いえ……嫌いでは……』
『あ。もしかして入れない?』
『入れない訳でも無いですが……』
『恥ずかしい?』
『まぁ、それも……』

 煮え切らない態度の瑞波に思うところがあった耀は、恥ずかしい以外の理由を知りたそうな顔をした。

『笑わないで、くれますか?』
『うん』
『あのぅ……無防備な姿で居るところに、ですね』

 細い指を着物の合わせに添えながら。

『誰かが来たら……逃げられなくなってしまうので……』

 と。

『あぁ』

 お湯から顔だけ出して、頷いた耀だった。

『偉いよ瑞波。そういうのは大事だと思う』
『え? だ、だって、その……思い上がった考えではございませんか?』

 うぅん、と、あぐらをかいて『大事、大事。そういうのはちゃんとしないとね』と、耀は瑞波の考えに賛同を示すのだ。
 瑞波は合わせに添えた指のまま、静かに感動して見えた。思い上がりや自惚れ、過剰な思い込みの類と考える部分もあったから、耀にそう言って貰えると安心するし、それで良かったんだ、と自分の過去を肯定してやれる。
 対する耀は、今までよくぞ無事だったな……と思っていたけど、警戒心と行動の積み重ねも大事なんだな、と思ったような顔だった。まぁ、瑞波は本当に襲われるのが嫌だったんだろう。なら、彼が求めているのは精神的な”繋がり”で、俺はそっちを先に埋めなきゃいけないんだな、と。
 取り敢えず、あれだ。お湯でぶくぶくと遊びながら、耀は『いつか瑞波が安心して、温泉入れるように頑張るわ』と、此処でも”強くなりたい”と思うのだった。
 十分も入れば十分な風呂時間。手拭いで体を拭いて、温まった体のまま、師匠の袖をさらっと羽織る。
 着物は腰紐で裾の長さを調整できる。この衣類は優秀なデザインだと思うのだけど、どうして廃れてしまったのだろう、と何の気も無しに考える。いつも身につけている着物は暫く濡れたまま。隣の枝に干している褌は笑いを誘うけど、真面目な瑞波には言えない雰囲気だ。
 耀は道すがら収穫してきた山菜を湯に浸けて、しんなり萎んだところに味噌を付けて食べていく。包丁で木の実に切り込みを入れて、火の近くに置いた石へ置いていく。水が無ければきのこの汚れは切って捨ててしまうけど、泉から排水される川に小さな堰(せき)を作って、そこに浸けて汚れや虫を取る事にする。
 硫黄泉ならしないだろうが、匂いの少ないアルカリ泉だ。ミネラルも取り過ぎは危ないけれど、むしろ少なかった方だろうから、一日、二日の温泉洗いは問題無いと考えた。あとはビタミンがあればなぁ、と、枯れた枝を仰ぎ見て、柑橘の類が生えていないか山を探す事にする。
 昼食をゆっくり食べてごろごろしたら、あっという間に陽が落ちて辺りが暗くなっていく。夕食は昼食の残りを食べて、寒くなったら足を湯に浸けて、瑞波と穏やかに会話しながら過ごした時間。
 この日も温かい地面の上で耀は眠った。
 一体、どれだけ時間が過ぎただろう。遠くの方で瑞波の声がする。
 瞼の奥はそれなりに明るくて、耀、耀、と囁く声が、段々大きくなっていく。

「どうしたの? 瑞波……」

 夢の中で彼に対して声を掛けたつもりの耀だった。

「たまげたぁ……! ぼうず、こげんで何しよるん?」
「!?」

 驚いたな、小僧、こんな場所で何してる? 耀の耳に理解出来得る言葉となって染み込んだ。異言は方言も通訳出来て聞こえるが、彼が同じ地方の言語をそのまま話すのは気付かない。
 兎に角、この時は、瑞波ではない声を聞き、跳ね起きた耀である。
 きょろ、きょろ、と辺りを見回し、五メートルは先に居る人を見た。
 もう昼だ、と思った気持ちと、人だ……と思った気持ち。
 相手の顔立ちは男だろうか。笠を被って藁を巻き、まるで狩猟者の格好だ。そんな人が急に現れた子供を前に、警戒強く構えて見えた。
 ざっと、その人が武器の類を持っていないと見た耀だ。ならば、こういう場合は挨拶だろうか。瑞波が慌てて呼んでくれていた事を知る。

「こ、こんにちは……」
「お……おうよ」
「えっと……」
「お前、人か?」
「……はい。人です」

 耀はそうっと立ち上がり、その場でくるりと回ってみせる。
 当然、彼の腰の方にも武器の類がある筈もなく。男もそろりと近付いて「親が居るのか?」と聞いてくる。

「孤児(みなしご)です……」
「どうやって此処へ?」
「都の方から歩いてきました。此方(こちら)なら冬を越せるかも知れないと考えて……」
「はぁ!?」

 とんでもない事を考える小僧だな、と。男は目を丸くしたものの、警戒心を薄めたようだ。俄には信じられない話だけれど、もし本当なら耀の見た目が整っている事も分かるし、集落に居る”ぼうず”とは違い、どこか品が滲むのも納得出来るから。

「あの、貴方は?」
「俺は下の集落で坊主をやっている」
「お坊様……?」
「そうだ。何だ? 俺が坊主じゃ駄目なのか?」
「え? い、いえ……あの……私も小坊主をやっていまして……」

 二度目の「はぁ!?」は、「破ぁ!?」だったのかも知れない。耳がきぃんとするような迫力のある声を聞き、上から下へ、下から上へ、その人が視線を動かして、納得するのを待っていた。
 知性があるような、物分かりが良い顔をして、耀が静かにしていたからだろう。狩猟者のような坊主は「うぅん」と悩ましく頷いて。

「まぁ、これも天の恵みだろう。うちに来て坊主の仕事を手伝ってくれ。贅沢はさせてやれないが、飯を食わせるくらいなら。あとは寝れる場所があればいいだろう?」

 それくらいなら俺にも出来る。
 男は語り、耀に「ほら、付いて来い」と、あっさりと手を振った。

「え?」

 引いた耀だった。

「いえ、あの、支障がなければ、この山に住まわせて頂きたく……」
「山ぁ? やめとけ、やめとけ。此処は神さんの山なんだ。数年に一度お供え物をして、恵みを分けて貰ってる。そうでないのに居着いたりしたらバチが当たるぞ。俺は小僧の死体なんか見たくない」

 神さんの山、と聞き、動きを止めた耀だった。
 山の景色を見るように、瑞波の方をそっと向く。
 瑞波は”ふるふる”と顔を振り、そのような気配は……と否定をしたが。人に対して瑞波の言を説明出来る筈も無く、そうなのですか、と問う前に「早く来い」と言われる始末だ。
 得体の知れない子供をあっさり引き取ろうとする、その人の神経もよく分からない感じがしたが、此方が「お願いします」と言う前に持って帰ろうとしてくれるのだから、これはこれで新たな縁……かも知れないと。
 仕方無い感は否めない。が、耀はひとまず従う事にした。
 坊主の仕事を手伝ってくれ、それが本心だとすれば、中年に差し掛かる男の事だ、次の成り手が居ないのかも知れないと思うから。

「ちょっと待って下さい! 急いで荷物をまとめますから!」
「分かった! この道を道なりだ! 俺は先に降りているから、支度が出来たら付いて来い!」

 え。道なんてあったんだ。
 拍子抜けした耀が、荷物を纏めてそちらへ行くと、獣道のようだけど、人が通れる道がある。反対側の山から来たから気付かなかったらしい。人の気配は無かったし、暫く使われていない雰囲気だったが、矢張り、それだけの造りの温泉なのだから、これで有名な場所だったのではないのか、と。
 どうして男が此処に来たのかも気になったけど、下の斜面で「こっちだぁ!」と手を振ってくれるので、「はい!」と答えながら耀は無言で、瑞波と顔を見合わせた。

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