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君と異界の空に落つ2 第15話

 翌朝も一番鶏(いちばんどり)の声で目覚めた耀である。あいつら今日も元気だな……と苦笑しながら伸びをする。まだ朝は脚半が無いと寒いので、それを巻いたまま師匠の袖を持ち、弁当と籠を持って外へ出た。
 先に下の用事を済ませ、小川で手を洗い、裏山の入り口で瑞波に祝詞を読んでから。代わりに瑞波は穢れを祓い、互いに準備を整えて、二人は仲良く山へ入った。
 春が近付いてきたために、日の出は段々早くなる。山の神が祀られた山へ分かれ道から踏み入る頃に、赤く染まった東の空を眺めた耀である。景色が綺麗だと思える余裕が今の自分にはある訳で、後ろに控える瑞波にもその気配を感じ取る。
 山は若葉の走りが見えるが、まだまだ寂しい枝野原。楤の木はやや白色なので、歩いていればよく目立つ。特徴的な棘を見て、立派に伸びる太芽を見れば、昔、丈弥(じょうや)に聞いた通りに、残しながら進んだ耀だ。
 そもそも善持と二人きりなのでそれほど量は要らないし、これだけ自由な生活だから、食べたくなったらまた来れば良い。手前の山が終わりなら、深山に入ればいい事だから。
 程よく散歩するように、例の社まで来た耀だ。

『此処かぁ、あの山から見えた場所。神様……俺、やっぱり分からないや』
『ふふふ』

 優しく笑う瑞波にも、矢張り気配は読めないようだ。

『でも何だか変な気分になるね。こういうのがゼロ磁場ってやつなのかな?』
『ぜろじば?』
『うん、そう。ゼロ……そうだな、何も無いって意味なんだけど、地殻が〜からの説明とか要る?』

 ふるふる、と瑞波が首を横に振ったので、だよねぇ、神様にそういう説明ってナンセンスな気がしたんだよねぇ、と。耀は『まぁ兎に角、変な気分にはなる場所だね』で、話を終える事にする。
 丁度、腹も減ってきたので、此処で休憩にしようか、と。念の為、失礼にならないように社からは離れるが、それをまじまじと観察しながら彼はおにぎりを頬張った。
 その場所は社と言うより塚を四方で囲った風だ。中央の石組みを守るように杭を打ち、1メートル四方の枡を作る。そのうちの一方に小さい注連縄(しめなわ)が掛けられて、紙垂(しで)が風に揺られるように下がって見えた。
 屋根は無い。人が造るものだから、そこにどんな想いがあるのか推測するしかないけれど、瑞波が語った通り社と言うより印なら、何より納得出来ると思った耀だった。
 山神……山神か……と。
 笹の葉を綺麗に折り畳み、次は清水を目指して歩き出す。

「ご馳走様でした」

 きっちりと手を合わせ、作ってくれた善持と、育んでくれた大地へと、少しばかり気を向けた耀だった。

『うふふ……』
『?』
『耀?』

 不意に振り向いた伴侶へと、瑞波が不思議そうに声を掛ける。
 振り向いた先には、山神の社があるだけだ。
 辺りは大分(だいぶん)明るくなって、柔らかな日が差している。

『今……いや、なんでもない』

 そうですか? と呟く瑞波へ、行こう、と促し、離れた耀である。
 玉のような声だった……と惹かれるような気がしたが、気の所為、とした方が良い気がしたからだ。
 予定通り、喉を潤す清水の場所に到着すると、善持の足で二刻は掛かる温泉へ向かって歩き始めた。獣道のような細い跡しかない道を、転ばぬよう、足を痛めぬようにゆっくり登る。
 途中、どうしたのです? と瑞波が問うてくるので、耀はそのまま今の気持ちを彼に伝えた。

『いや、何か楽しいな、って』
『だから笑っていたのですか』
『そう。だって温泉楽しみだし』
『それに?』
『うん、凄い。分かってるね瑞波。それに、まだひと月くらいしか経っていないと思ってたんだ。なのにさ、結構クるよ。足がもうパンパンだ』

 春になったら三日に一度は登ってくるべきだな、と。耀はくすくす笑いを浮かべて楽し気に歩き続ける。

『疲れるのなら偶にで良いのでは無いですか?』
『違う違う、そういう意味じゃなくてね。人間の体ってこんなにも簡単に衰えてしまうものなんだな、と』

 はぁ……と不思議そうに返す瑞波には、耀が感じた面白さは伝わらなかったかも知れない。まぁ、そういうのが面白いんだよ、と適当に流してやって、久しぶりの温泉に辿り着いた。
 もう火は焚いておかずとも、体が冷えすぎる季節じゃない。師匠の袖は瑞波に預けて、自分の着物を脱いでいく。ふと気になってそちらを向くと、瑞波は普通に耀を見ていた。褌を脱いでも恥じらう様子は無い。だから、瑞波は”コト”じゃないなら、俺の裸を見ていても恥ずかしくなったりしないんだな、と耀は思った。ふぅん……と思って温泉に浮いた枯れ葉をどかし、良い湯加減の場所へ動いてお湯を堪能していく耀だった。

『気持ち良い……このままお湯に溶けちゃいそう……』
『穢れも落ちますし、力も受け取れるので、耀にはぴったりかも知れません』
『そうなの?』

 そうですよ、と微笑む瑞波によると、体が綺麗になるだけで大抵の穢れが落ちるらしい。

『”穢れ”は人の心の”気枯れ”、活力が無い状態の事も示します。垢や汚れが無くなるだけで、気枯れが改善される。温泉は地の神の力と水神の力が溶けています。共に強い神の力……もし川の水だけ沸かすなら、御神酒(ごしんしゅ)を足すのが良いでしょう』

 神酒もそれらと同様、地の神と水の神の力があって実った米を使っています。足りない分は神職の力で補われていますから、お力を借りたい時は少し混ぜればよろしいかと。
 ふわ、と笑った瑞波の顔から硬いものが読み取れるので、其処には何か感情の面で引っ掛かる部分があるのかも知れないが、では、その瑞波に取って御神酒とはどのような存在なのか、聞いてみたい気持ちになった耀だった。

『神様ってお酒を捧げられた時、例えばどんな気持ちになるの?』

 古今東西、神に捧げると言えば、農作物や酒である。
 その国で採れるもの。土地の力が宿ったものだ。
 師匠である雪久は主に人霊を相手にしたが、耀に御神酒を持たせたようにそちらにも明るい人だった。札と初穂も使用して、葉月(はづき)が世話をした付喪神とも会話をもっただろうか。主に話をしたのは耀だが、簡単な意思の疎通なら、あの人は出来たのではなかろうかと今は思う。
 都の大神、天菱(あまびし)様に祟られた殿上人が来た折は、師匠のみならず他の僧正も、あれやこれやと話せる程にはそちらの知識も豊富であった。神宮側から樹貴(たつき)を預かったように、道が違うと思っていたが案外二つは遠くなく、どちらの知識も持っておいての”解決”という雰囲気だ。自分達の手に負えないならば相手の力を頼れるように、それなりの関係を築いているのも納得だった。
 雪久は眷属に修まる時も亮凱(りょうがい)と共に理解が早く、どうしたら瑞波に近付けるのか全く分からない自分より、眷属としてやるべき事を分かっていたような雰囲気だ。その人の部屋の棚には対神用の道具もあって、当然、耀は仏道のみならず、神の流れも勉強させられた。それは原初三神、この世の神の成り立ちからだ。神職の樹貴に参拝について聞いた時、そのような話をしたら感心されたので、基礎的な部分は多少、埋められているのだろう。
 だけど、それらは一般的な知識である。広く普及されている簡単な話だから、実際はどうなの? という問いかけは自然に生まれてくる。目の前にはその”神”が居るのだし、聞いてもバチは当たらないだろう、と。
 ふんわりと笑った瑞波は『嬉しいと思いますよ』と。

『あ、待って。でもそれっていつものように、俺から奉納されたものなら何でも嬉しい、のやつじゃない?』
『ふふ、そうですよ。神によってもそれぞれでしょうが、あれもまた一つの契約の証のようなものなので。そう言えば以前、耀が、私に、御神酒を分けてくれたでしょう?』
『うん』
『御神酒とは神に捧げられた後、神の力が宿ったものを人へ分け与える為のものなので、本来は他の神へ捧げたりするものではないのです』
『え』
『でも、私は貴方から貰えて嬉しく思いましたし、酒精を頂いたので良い気分になりました』
『それはごめん……御神酒(おみき)って”聖なるもの”って印象で使ってた。むしろその状態にならなきゃ、捧げちゃ駄目だと思っていたよ。瑞波が良かったなら良いんだけどさ……』

 やっぱりちゃんと習わないと駄目だなぁ、と、両手を岩に重ねて顎を乗せた耀が言う。

『じゃあ祭事のあれって、お酒は人間達に返して貰うためのものなのか』
『互いの契約を確認する儀式でありますからね。我々が自分達の利益を求めるとなりますと、人あっての事なので、滅するというよりは、良い志を持つ者を増やした方が……という訳で。その為の力の分け与えなので、媒介に酒を使うだけ……けれど、まぁ……』

 濁した瑞波は”そうでない場合”の事も知るらしい。

『古く力のある神は神前での生贄、動物の血生臭さを好む者も居ると聞きますし……およそ清らかとは遠い印象になりますが、それもまた一つの神の姿。その地で契約を交わした者同士、取り決めに従うのが良いのでしょうね。そうなると酒を捧げる事も無いのでしょうし、神側からの力の分け与えも無いのかも知れません』

 まぁ、尤も、奪ってばかりの神となりますと、余程狂ってしまったか、成神(なりがみ)か。成神? と耀が聞けば、人によって神に祀り上げられた存在ですよ、と説明してくれる。瑞波はさも当然と語るものの、態度の端々に”神とは認めぬ”、そうした姿勢を匂わせた。

『待って待って。それってさ』
『そうです、そういう者達です』
『妖怪とか、怨霊とか?』
『はい。人の世界では別の名前があるでしょうが、私が成神と言ったら”そういう者達”です。生き物を生贄に好む、与える事をせず奪うばかり。どうか大人しくしていて下さい、という”人々の願い”なら、その地に居るのは妖怪か成れの果て……』

 ただ凪彦様も昔は血肉を好んでいたので、大神と呼ばれる神の中にも、荒御魂(あらみたま)のまま存在する神も居るのでしょうね……こればかりは会ってみなければ分かりませんが、穢れに穢れても正気を保つ神も確かに居るので……あぁ、それこそ貴方のような。
 俺? と拍子抜けした顔で返した耀を見て、そうです、とクスクス笑う瑞波は珍しかったかも知れない。本来ならば穢れた存在など瑞波は特に嫌うのだろうが、それが未来の伴侶なら受け入れられるという事か、と。
 確かめぬまま、ふぅん、と聞いた耀はお湯から上がる事にして、持ってきた手拭いで体を拭いて着物を羽織る。瑞波はもう先の話題には興味が無い顔をして、そんな耀の一挙手一投足を愛し気に見つめていたようだ。
 帰りの山道でも楤の木を見つけたら、少しだけ足して降りていく。足元にも徐々に若葉が見えて、確かこれも食えたかな、と、場所を覚える耀だった。気温が上がってきた事もあるけれど、さすが温泉、体の芯から暖かく、そういう意味でも自分の機嫌が上向いていくのが分かるよう。これが瑞波が教えてくれた清めと神の力かと、思えば科学が発達していたあの世での説明が、どことなく味気なく思え、神の力も悪くない、と。
 簡単には説明出来ない見えない世界の説明を、神様に準(なぞら)えて理解しようとする古代とは、案外、心が豊かであった、そう思える気がしたのである。温泉に含まれる成分が、より、大地の神と水の神の力が、と。天菱(あまびし)様は御雷(みかづち)様、凪彦は得体が知れないが、祓えの神である瑞波とくると、他の神にもいつか会ってみたいな、と。足元に気をつけながら耀は寺の裏山を降りていく。
 寺には昼過ぎ頃に着いた。
 善持の方も特に変わった事は無いようだ。
 耀は収穫した楤の芽を渡し、喜んだ善持の顔を、同じように喜ばしい顔で見つめ返した。
 恵みの春である。豊かな山に春が来た。

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