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君と異界の空に落つ2 第13話

 一番鶏(いちばんどり)が鳴く。まだ外も暗いうち。昨日、善持(ぜんじ)に見せて貰った畑の鶏舎の鶏だ。
 耀にとって鶏と言えば白い印象なのだけど、此処で飼われているものは真っ黒なものである。膨れ上がった体毛も跳ねた尾羽も真っ黒で、鴉(からす)の羽より艶々として、雄は渋色の鶏冠(とさか)を被る。この辺りで昔から飼われている種の鶏らしく、一羽一羽が物々しくて、特に雄は威厳が凄い。卵も取れるし鶏糞を畑に使うから、と。その畑にも冬だというのに作物が成っていて、寺の庭は賑やかで豊かに見えた。
 坊主と言っておきながら、善持は肉も食うらしい。耀にも食わせてやると言ったし、その辺は緩いようである。どうして僧侶が肉や魚、卵を口にしないのか。それは煩悩を増幅させると信じられているからで、異界の記憶がある耀は、遠からず、と理解が出来る。
 体が大きく筋肉質なら、気持ちも大きくなるだろう。もし、その気持ちを制御出来ないというのなら、体は小さい方が良く、力も弱い方が良い。体や力が弱ければ、弱い者の心が分かるので、驕り高ぶりに通じる道が初めから消えるから。
 血肉は不浄だと言う者も居る。自分達人間に近い知能ある動物を、口にするのがそもそも間違いだと言う者も居た。では、知能のない植物ならば、血を流さない植物ならば、自分達から遠いから食しても良い、は釣り合うか?
 どうして植物に知能が無いと言い切れるのだろうと思う。植物とて赤色ではないだけで、血のようなものを流すのに。
 不浄という言葉の中には様々な意味があるだろうが、彼方でも此方でも耀が一貫して思うのは、他の生命を頂く事でしか体を維持する事が出来ない、命を繋げない存在を、不浄なる存在と呼ぶのでは無いだろうか、という事だ。
 つまり、自分達は何を口にしたとして”不浄”から、抜け出す事は出来ない事になる訳だ。この地に生まれついた限りは。人として生まれてしまったからには。ならば、あれを食べたら不浄、これを食べたら不浄だとする、無意味に見える論争を続ける事が、まず愚かしい事なのではなかろうか。
 少なくとも耀乃(あけの)が居た時代では、僧侶が肉を口にしても、魚や卵を口にしても、人格が破綻する程の煩悩を生じてしまうなど、考えられてはいなかった。力の象徴、武人とて似たようなものであり、むしろ武を習うなら、礼節に厚く、弱きを助く人でなければならない、と。立派な道場程、鍛えさせられる筈である。
 入る場所は違っても、心を鍛えるのは同じ事。心を鍛える為には知性も必要だ。武の最高位が文武両道の道ならば、見えざる世界に繋がる坊主が目指すべき極致とは、如来や菩薩に見るように、悟りを得る事だろうと思う。あらゆるものが”邪魔”となるこの世の汚濁から、解き放たれて、真理の道を見つく事。
 並大抵の事では無いのだろう。あらゆる汚濁は清らかな姿を借りて、よく人を騙し、欺瞞や堕落へ誘致する。肉や魚は敵であり、大蒜(にんにく)や葱(ネギ)、野蒜(ノビル)のような味が濃く匂いの強い植物も、精を活性化させるから忌避しろと言ってくる。純粋な者は考えず盲目に信じるが、疑心が生まれてからは事情の裏を読み、体得した者は使用を試みて、満たされ手放した後に素直に還る。
 耀は亜慈(あじ)が語ったように、今生でそこまでいけるとは、露ほども思っていなかった。自分は使用を試みる段階にある。今は貧しい時代であるので、蛋白質は必要だ。善持が食わせてくれるというのなら、有り難く頂くべき”場所”に居る。
 亜慈も”よく食べろ”と言っていた。体が丈夫なら、出来る事が増えるから。例えば一人でも、道端の仏さんを、抱えて埋めてやる事が出来るから。その為には筋肉をつけねばならないし、なるべく骨も強く折れにくい方が良い。人間の体では作れないアミノ酸もある訳で、効率よく摂取出来るなら食べないという選択は無い。
 心を鍛える方は継続していかなければならないが、自分は少しは大丈夫だろうと思うのだ。間違った方に行こうとすれば止めてくれそうな瑞波が居るし、誰より厳しいお師匠様、面倒見の良い亮凱(りょうがい)様も居る。何も一人きりで生きている訳では無いのだし、登る道は千人居たら千通り。早さを競っている訳では無いのだし、納得して登るのが良かろう、と思うから。
 耀は昨日、部屋の角に掛けて乾かした、いつもの着物を確かめた。しっかり乾いているようだけど、今、羽織るのは寒そうだ。部屋はあの山より寒いだろうか。着てさえいれば凌げるけれど。家は雨風の影響を受けないで済むけれど、床の下から冷たさが登ってくるようだった。
 まだまだ冬が続くから慣れなければならないが、昼まで師匠の袖を着る事にして、脚絆(きゃはん)を巻いたまま外へ出た耀だった。独特の長音を持つ二番鶏が続いて鳴いて、すっかり目が覚めてしまったからである。
 善持はまだ寝ているようで、家の中は静寂だ。こんなに激しく鶏(とり)が鳴くのに寝ていられる訳だから、慣れって凄い……と耀は感じた。
 寺の樋殿(ひどの)、便所は畑の奥だ。都からは遠いと言われていたけれど、地方に比べたらあれでも近い。浄提寺の部屋の一つ一つが”都”風の呼び方で、地方では通じない事も知っていく。境内を案内して貰った時も、尿(しと)と糞はあっちだ、と言われただけだ。穴を掘って一杯になったら土を乗せ、また別の所に穴を掘るのを繰り返す。
 下の用事を済ませると、近くの小川で手を洗い、耀は顔を洗う為、井戸へ行く。伸びた前髪が水に濡れて落ちるので、そのまま後ろの方へ撫で付けた。
 前髪が後ろにあると彼の雰囲気が少し変わる。子供ながらに端正な顔が顕になって、見ている瑞波の空気が揺れた。大抵、瑞波は、やや後ろから耀を見つめて過ごすので、見られているのが常なのだけど”空気の揺れ”で気持ちが分かる。
 あぁ、これ、好きなんだな、と。耀はくすっと笑いが浮かび、寒さを忘れるようにして瑞波の事を手招いた。
 寺の本堂、特に名前は無いそうだけど、此処では本殿ではなく本堂と呼ぶらしい。その本堂の裏手を行って、裏山に入る道の横、そこには銀杏(いちょう)の若木が生えていた。
 若木と言っても大分大きく、それでも、もっと大きく育つと感じられるものである。銀杏は落葉するので葉が無いと分からぬが、冬の前に落ちた葉が、茶色く敷き詰められていた。種が見えぬので雄の木だろう。生命力に満ち満ちたものである。耀はそこまで瑞波を誘(いざな)うと、三礼、三拍、一礼の後、日課である祝詞を奏上した。
 昨晩は善持の手前、遠慮をしたが、昨日の瑞波の話の中にも大樹信仰があったので、木に祈るふりをするならば、それ程おかしいとも思われないと踏んだのだ。

『善持さんにやめろって言われたら仕方ないけどさ』
『分かっておりますよ。耀のやり易い方法で構いませぬ』

 瑞波は相変わらず耀にだけは優しい神だ。
 傍目には銀杏に向かって話しかけている少年で、それを善持が見て見ぬふりをしている事に、耀も瑞波も暫くは気付かなかった。
 自分は違うけれども、そういう人間が居るのを知っている。まさか祝詞まであげていたとは知らぬ善持だったけど、成る程、それで小坊主か、と得心する部分があったようだ。よく見れば、目鼻立ちの整った体格の良い小僧であるから、都の貴族か武家の子供か、そう言われた方が納得だったから。生まれつき視えない世界が視える子供であるならば、親に気味悪がられた上で、寺に放り込まれたのだろうな、と。
 ならば、彼の師匠が厳しくする理由も分かり、そうした人間の生き方が過酷な事も知る。耀の師匠が厳しかったのは元来の生真面目さから。子供の耀に対するよりも自戒が強かった人なのだから、どの辺が厳しいのか? と素で思うような人である。耀がすらすら覚えた事も一因であり、世の中が思う厳しさと耀が思う厳しさに、少々ずれがある事を善持は知らないが。
 そうした力がある事を打ち明けられるまで、黙っていようと考えた善持である。実際、寺での生活や仕事にそういう力は必要無い。悪念凄まじい怨霊が棲み着く場所でなければ、たまの生贄が出る程度。それを祟った子供の霊が集まる場所でも無いからに、視えざる世界の影響をまるで受けた事が無い。話し掛けていたのも銀杏の木だし、むしろそちらの才能の方が強いのかも知れない。子供のうちはよく視えると言うし……と、段々と面倒になり、考える事を軽く放棄した善持である。
 庭の黒柏鶏(かしわ)は今朝も元気で、卵もいくつか産んでくれていた。ある意味、食べるのが生きる楽しみでもある善持の事なので、拾った子供を喜ばせようとこの日も飯を振る舞った。

「おーい、ヨウ。葱は分かるか? 畑から小葱を取って来い」

 拾った子供は何も言われないうち、境内の掃除を始めたようだ。働き者か、と呆気に取られた部分もあるが、指示を出せばすぐに動く立派な子供なのである。こりゃあ俺より立派な坊主になるな、と、かっかと笑った善持の後ろで米の良い香りが漂った。
 この辺は大地が肥沃で作る側からよく育つ。少し離れた隣の山から清流も降りてくる。着るものや道具には少し困るが、食うには困らぬ土地である。美味いものを沢山食べさせよう、と、善持は玄米の上に卵を割った。葱を刻んで色合いも良く、醤(ひしお)の汁をかけてやる。他所から作り方を聞き齧った穀醤(こくびしお)だが、出来はまぁ悪くないと思われる。
 蕪(かぶ)の残りがあったので、実も葉っぱも刻んで入れて、簡単な汁物も出来ていた。自信作の朝飯を耀の前に出してやると、彼は目を剥いて驚いた顔をする。

「美味いぞ」
「良いんですか?」
「何で駄目なんだ。俺の分もあるだろうが。足りなかったら後ろにあるから、それは自分でやるんだぞ」

 はい……と呟いた耀の顔は、まだまだ驚いた顔である。
 善持が先に箸を持ったのを確認すると、耀も箸を持ち静かに食べる。食事中は喋るな、と言い聞かせられて育ったのだろう。無言で黙々と、音を出さずに食べている。
 どうだ? と具合を聞けば、美味しいです、と綻ぶ顔だ。可愛い顔をしてやがる、と善持は嬉しくなった。
 この年まで縁談も無かったし、生まれてこの方、変な女としかご縁の無い善持には、子を持つという気持ちも感覚も無かったものだ。だけど、耀のような可愛い子供なら、持っても良かったかも知れない、と少し思う。
 魚獲りも教えてやるんだったな、そんな事を考えながら、春になったら蟹獲りにも連れて行ってやろう、と思う。それなりに警戒した筈の善持だが、二日目でこれ程思えるのだから、ヨウは不思議な子供だと感心する部分もあるようだ。

 こうして静かに二人の生活が始まった。
 本島の南の端。海を渡る前の土地の事である。

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