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いつかあなたと花降る谷で 第2話(2)

 マァリは家を出て沢の方に降りていき、そこから山へ入ると一気にペースを上げた。フィーナと一緒ならゆっくり歩くけど、一人なら気にかける事なく進んでいける。
 羽も翅も使う気はないけれど、そんなものがなくたって彼の歩みは速いのだ。実戦経験も長いため、魔法も器用に使いこなせる。およそ幻獣族の想像を超えた使い方。そうしたことができるのが人間、という風だった。
 彼は素早く山道を登りながら、ワイバーンの気を引くための、鹿を探して仕留めていく。対人のための矢は取っておかなければならないし、片手間、というように魔法を使う。具合良く鹿の群れを見つけたが、二頭だけいただいて他は逃したようである。まさに彼の半分が幻獣族であることを、証明するような「必要数の確保」だった。
 自分の命がかかるなら、止むを得ず相手の命を取るが、無駄な殺生は好まない。そんな風であるから、彼は多くの捕虜を自国に持ち帰ったし、その先の地獄を見越して、よく「殺せ」とも言われたが、その先が地獄であろうが、九死に一生を得ようとも、自分の仕事じゃないから関係ない、という風だった。
 実際、彼が持ち帰る捕虜の数が多すぎて、目溢しをされたり活路を与えられたり、と。数奇な運命を辿った者も多かったのだ。どれもこれも彼の幻獣としての感覚で、殺せと言われても、彼がその人の運命を摘み取らなかったためである。
 果たしてどちらが多かったのだろう、と思う。
 今となっては知る術もないけれど、摘み取らなかった命が苦しみ抜いた数に比べて、目溢しをされ活路を見出した命の数は、どちらが、と。
 彼はもう自分のために、自分の運命を決めてしまった後だ。人の社会とは縁を切ったし、二度と戻るつもりもない。今更そのようなこと、頭の隅にも登らないけど、運命を決めるに至った光り輝く妖精のため、自分のことは極限まで隠すつもりで生きていく。
 あくまで人間離れをしない、という域をもち、簡便な移動用の羽のため、彼は努力をするのである。
 そうした深い部分を除けば、心休まる日々である。
 同じ人間すらついていけないだろう彼の行軍の記録だが、思い切り体を動かせて、楽しい散歩、の認識だ。人間離れをしない縛りも、フィーナの視線がなければ緩まるようで、気楽に振る舞えるので楽そうだ。
 山の景色は相変わらず潤いがあり、美しい。
 フィーナと出かけた時のように、光の筋が、木の葉の隙間をぬって幾本も降りている。ミオーネの家のような巨大な木々が、集まって生えているところもあって幻想的だった。
 時折、ざわざわと音がしたり、ぴたりと止まる音を聞くと、精霊が賑やかな豊かな土地であるのがわかる。これは天空の竜族の住む土地と同じで、人族が寄り付かない深い場所は、まだまだ彼らに祝福されているのがわかるのだ。
 そのような場所をいくつか抜けていくと、段々と潮の匂いが漂ってくる。
 フィーナの家があるタタンの丘の反対側は、ある程度、標高が高い山になる。山の裏は崖であり、崖の先は大海原だ。他の大陸の蜃気楼がたまに見える場所であり、その崖の狭い穴や突起の部分を使い、ワイバーン達は繁殖しているようだった。
 マァリはそんな彼らのうちから一匹だけ見繕い、自分の羽になってくれそうな、強い個体を探しにきたのだ。
 彼がまだ人間の国で雇われていた時に、竜舎で飼われていたのは体が赤黒いものだった。返り血を浴びても見分けがつかず、それでいて目立つので重宝されていたのである。
 個人で決まった一個体をつけて貰えるのがステータスで、兵士はこぞって竜騎士という役職に憧れたものである。飛竜に乗れれば生きて帰れる確率が上がったし、地上で戦う兵士たちよりも安全に攻撃ができるから。
 順調に出世したマァリも、飛竜を与えられる地位を通過したけれど、偉くなりすぎてからは見栄えの良い竜種に変えられた。つまり、フィーナの前では穏やかな男に見せてはいるが、仕方なければ戦闘を厭わないたちである。
 彼の血に半分流れるものは種族の中では冷静な方だけど、冷静に見えていて、煮えくりかえっていることがある方だ。そうするとちょっとしたことで凶暴なものが表に出るので、どちらにせよ似たような性質である。
 案外、好戦的。それがマァリの本質だ。
 だから、飛竜の中でも好戦的な、ワイバーンのことを好いている。彼らは空中での小回りが効くし、急襲もお手のものだから。自分の戦闘スタイルと合うのである。
 潮の匂いに混ざって獣の匂いがしてきた頃に、飛竜の独特な鳴き声が届き始めた。それは彼らがリラックスしている時の鳴き声で、聞いたマァリは「ふっ」と顔を緩めたようだ。それから徐々に威圧感を出していき、誰か俺と戦わないか? と、そちらの方へ滲ませた。


 フィーナはタタンの丘から山の方へ羽ばたいて、ミオーネの大樹の家、ポッサンの小洒落た家、シャンドラの住む湖を見て、また山頂の方を向く。
 遠目に、羽を一文字にし、細長く羽ばたく飛竜の群れがいて、何やら興奮している印象を受けていく。フィーナは「マァリ大丈夫かな? どうやって空を飛ぶものを捕まえようとしているんだろう?」と、賑やかな青い空を見て、考えていたようだ。
 もし捕まえるのが無理だとしても、山の中に一、二泊、できるくらいの準備を持って里に降りる手もあるわけだ。急ぎの時だけ、フィーナだけ、山を降りれば良いだけで。どうしてもついてきたそうなマァリだけれど、そのくらいの分別はあるだろう、と。
 虫避けになりたいマァリの気持ちなど、一片も彼女には届いていない。
 段々、山が近くなり、大樹の森を通り過ぎ、ギャーギャー騒ぎ立てるようなワイバーン達の鳴き声だ。不穏そうな気配を読んで、フィーナは慎重に近づいた。
 そんな妖精の気配を知ると、群れの一羽が声を出す。
 警戒音と呼ばれるもので、群れの首領に合図を送る声。丁度、マァリを乗せながら、海上を滑空していた彼は、そちらに反応するように同時にマァリに知らせを出した。
 ちら、と視線を向けたマァリは、遠目にフィーナの姿を確かめた。
 それから跨る飛竜へと、あっちに飛んで、と指示を出す。
 恐る恐る近づいていた小さな妖精は、ワイバーンが皆、彼女を向いて、空中で止まる姿に驚いた。
 襲っては来ないけど、警戒しているようである。
 こうなるともうフィーナも怖くて、これ以上近づいていくことを諦める域である。けれど、視線を外さぬように、そうっと後ろに下がったフィーナへ、警戒する飛竜を飛び越え、一際大きな個体が近づいてくるのが見えたのだ。
 ひえっ、と思って急速転回、ダッシュで逃げようとした彼女へと、マァリの声で「フィーナ!」と届くので、ぴた、と動きを留めた彼女であった。逃げ出そうとした反対側、背後へと視線を向ければ、大きな個体の首の辺りに、マァリの顔が見てとれた。

「マ……マァリ?」
「そう!」
「え……随分大きな個体を捕まえたのね……?」

 彼はお日様のある方から彼女の元へ飛んできたので、彼女の体はすっぽりとワイバーンの影の中へ入って見えた。
 恐る恐る見上げれば、真っ白な個体である。
 こんな子、いたかしら……? と、フィーナはしげしげと眺めてしまう。
 マァリは意中の相手を手にできた喜びか、満面の笑みを浮かべて「俺にも想像以上だったよ」と。

「そうなのね……えっと……これからマァリをよろしく……かしら?」

 フィーナはまさか野生のワイバーンへと、言葉が通じるだなんて思っていなかったけど、存外、彼は理解したようで、グルル、と返事をしたのである。

「すごい……頭がいいのね……」

 フィーナが驚いて声を掛ければ、マァリは飛竜の肩を撫で「褒められたぞ、良かったな」と。
 それから、ぐい、と体をひねり、いつの間にか近づいていた他の飛竜へ「彼女が俺のボスだ」と語り、失礼はしないでくれよ、と語る。
 ツノと牙が長い雄たちと、優美な流線形の雌たちは、まるでマァリの言葉を一瞬で理解したように、グルル、と鳴いてから方々へ散っていく。

「俺の用事は終わったけれど……フィーナ、もしかして、こっちの方で何か必要な食べ物とかあったのかな?」

 と。
 一際大きなツノと、牙が覗いた、白亜の巨体に乗って、彼がそんな風に言うから、気が抜けきったフィーナである。

「マァリのことが心配で……お腹も空いているかも、と……思って、お菓子とお茶を持って来たのよ」

 と。
 手に持った篭を掲げてみせて、中身が見えるようにする。

「丁度お腹が空いていたんだ、ありがとうフィーナ」

 どうせならワイバーン達の巣の近くで食べない? と。
 マァリは随分と豪胆なことを言い、フィーナをお茶に誘うのだ。

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