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いつかあなたと花降る谷で 第2話(12)

 食事中は平和なものだ。個室へ通されたのだから、当たり前と言えばそうだけど。フィーナが食べ終わる様子をみながら、マァリは先程買ったものを自分の鞄にしまってしまう。
 案外、こうした動きも見ている人は見ているもので、マァリが持つ薄汚れた布でカモフラージュしている鞄でも、明らかに容積の点でおかしい動きがあった時、実は高価なものであるのを悟られる恐れがあるためだ。
 左手はフィーナの手、右手に菓子の袋では、どうにかなるが咄嗟の時に菓子を潰す恐れがあった。誰にも見られずに鞄に入れるには、一度、人の目を遮断する必要がある。自分の周りが平和になっても、染み付いた警戒心が無くならない彼だった。
 昼食を終えた後は、また人通りの多い道に出た。
 興味津々と辺りを見渡すフィーナを守りつつ、宿屋街に着いたらすぐに良い宿を見つけてしまう。王都の隣の街ともなると宿屋街ごとにランクが違うため、歩いている人の服装だとか、使う言葉や動きを見ると、区画ごと何処を選んでもほぼ同じという雰囲気だ。
 フィーナはそれまで彼と楽しんだ分だけの、金銭感覚が身についていた。高いんじゃないのかな? と心配したけれど、他の人がいるところで口にするのは悪いかも知れないと思う。だから前日と同じように、確認のため部屋へ登り、二人きりになった時、聞いてみた。

「こんなに高いところで良かったの?」

 マァリは「ん?」という顔をして、問題なさそうな雰囲気だ。

「人が多い場所はね、少しいい所にしておかないと、結構怖いことがあるからね」
「そうなんだ……」
「うん、そんなもん。それに小さめの部屋だから、そんなに高いわけじゃないしね。もっと良い部屋に泊まってみたければ、変えにいくこともできるけど?」

 丁度、部屋に着いたので、鍵を開けて中へ入ってみる。
 フィーナの目には十分な部屋に見え、昨日の壁ごとに寄せられたベッドじゃなくて、初めから並ぶようになっているものを見て、彼女は一目で気に入った様子を見せた。

「うぅん。ここがいい。ベッドがすごく綺麗ね」

 ふかふかの布団に触れて、感動した顔をする。シーツもパリッとしていて、段違いな宿屋に見えた。
 マァリは「そう?」と聞いたけど、もっと良い部屋も取れるよ? と念の為聞いていく。彼女が気を遣わないようにこのくらいに留めたけれど、望まれれば一番上の部屋だって取れるのだ。
 フィーナは満足しきった顔をして、凄い、ありがとう、と振り返る。

「なんだか良い思いばかりさせてもらって……マァリに悪いみたい」
「何それ。付き合って貰っているのはこっちの方なんだから。もう部屋も確認したから、そろそろおやつでも食べに行く?」

 ぱっと華やいだ顔を見ると、くすっと笑えた彼である。

「フィーナの荷物、重かったら、置いて行っても大丈夫だよ。ちゃんと魔法を掛けていくし……ん、まぁこんなもんかな」

 窓に寄って手をかざし、何らかの魔法陣を描いた彼だった。
 人間が使う魔法はフィーナには理解できないけれど、その魔法の意志や働く方向のようなものが、守りに動いた気配はわかるのだ。
 フィーナの荷物は着替えくらいで、盗られて困るようなものもない。ならば言葉に甘えようかと荷物を置いて、外へ出たマァリに続いて部屋を出た。
 宿の鍵をかけてから、マァリはまた魔法を描く。フィーナの安全のためだけど、念入りだな、と思ったフィーナである。
 荷物を置いて身が軽くなった彼女は、うきうきしながら宿を出た。マァリは来たことがあるためか、迷わず歩みを進めていく。若い人たちが犇く区画には、甘い匂いが漂って、フィーナは端から端までを目移りさせながら歩き抜けた。前の日の夕方のように、一度、端から端まで歩き、本当に食べてみたいものを決めてから挑むようだ。
 彼女の視線があちこち動くのを見遣り、今日は夕ご飯を頼んでないから、好きなだけ食べて帰ろうか、と。

「えぇぇ……そんな……だって、マァリ。私、ご飯も、もの凄く、楽しみにしてるのよ?」

 はた、と止まった彼は、つまり、塩っぽいものも食べたいのかな、と。

「夕飯用の屋台街は他にあるから、お腹いっぱいになったら、そっちに歩いていこうよ」

 と。

「それともちゃんとしたお店に入りたい?」
「うぅん。今のマァリの提案、凄く良いな、って思ったの」

 かくして、二人の食い倒れの旅は、ここに成った、という風だ。
 フィーナは食べてみたかった甘いものを端から選び、その都度、感激した顔をした。マァリはフィーナの半分も食べなかったけど、鉄板で焼いた薄くて甘い小麦の生地に、ジャムや蜂蜜を塗ったもの、目の前で製作過程を見せてくれる飴細工や米粉焼き、卵を使ったカスタードクリームを、焼いたパイ生地で挟んだもの、と。それらが全てフィーナのお腹に収まっていく様を、隣で見ながら楽しそうにして見えた。
 ちょっと胸焼けしそうな光景でさえ、好きな子が喜んでいると思ったら、全て”可愛い”に変換されて幸せな気分になっていく。香りの良いお茶に氷を浮かべたものを、最後に飲んでから屋台街へと移動した。その移動の間に髪留め屋を発見し、マァリはフィーナの髪を結うための、髪留めをいくつか買っていく。

「街って本当に賑やかね」
「そうだね。俺はたまにで良いかなって思うけど」
「そうなの? こんなに楽しかったら、戻りたい、ってなったりしない?」

 なんの含みも持たないフィーナからの問いだけど、彼は十分無言になって、返す言葉を決めていく。

「思わない。フィーナの隣が一番、楽しいよ」

 人混みも忘れて見つめあった二人である。
 一瞬の後。

「私もよ」

 ふんわり笑ったフィーナだった。

「できるだけ長く一緒に暮らしたいわ。あ。でも、無理にとは言わないからね?」

 それは一応の遠慮である。
 マァリのことを慮った、フィーナの遠慮である。
 聞いたマァリはくしゃっと笑ったようで、「ありがとう。全然、無理じゃないから」と。
 その瞬間を切り抜くように、近くで見ていた男がいた。
 マァリを思い遣るフィーナと、フィーナを想うマァリのことを。
 当然、空気は甘く見え、男は二人の様子に目を奪われる。

「あれ……? フィーナ……?」

 そうだとしても今の彼には、話しに行く動機もないけれど。

「オーナ?」
「うん? なんでもない。幼馴染に似てただけ」
「幼馴染……? 随分、小さい子に見えるけど」
「まぁ、妖精なんてそんなものだし」
「そうなんだ。あっ。でも、相手の方、凄くかっこいい人じゃない?」

 男の連れがマァリを見て囁いて、ちょっとはむっとしたらしい彼だった。

「イオナ? それ普通、彼氏の前で言う?」
「あはは。ごめんごめん。私はオーナひと筋よ!」

 本当かなぁ? と疑う彼は、クスクスと軽い笑いを浮かべながら、人間の女性の腰を抱き、雑踏に消えていく。
 離れた場所のそんな一幕に、気づくことのないフィーナとマァリだった。
 フィーナの家を出る前とは随分違う距離感に、違和感を覚えることなく仲良く歩く。マァリの警戒心のおかげで危ないことにはならないし、美味しいものを好きなだけ食べられて、ご機嫌しかない旅だった。
 それも、一度じゃ食べきれない……と残念そうな顔をしたフィーナのために、もう一泊伸ばした彼である。街でしか買えないふわふわのパンを購入したり、厚切りの塩肉を購入したり。フィーナが飲んでみたそうにした異国のお茶や、フィーナが気に入ったお酒の材料なども。人間が好む野菜の苗もいくつか揃え、家にないハーブも買ってみた。他には良い香りのする石鹸や、植物の精油など。油を足せば使えるオイルランプや替えの芯、マァリは山で使えそうな物も色々買った。
 圧倒的に食べ物が多かったのは、二人の好みであるので、笑いが零れる所である。グラタンが気に入ったらしいフィーナのために、料理のレシピ本とグラタン用の皿も買った。
 そうして、グラタンを焼く釜をどうしよう……と悩んだマァリは、少し足を伸ばして土木街にも行ってみた。使いやすそうなレンガと継ぎ目用の泥を買い、人の目がつかないうちにさっと鞄にしまってしまう。
 足りないものが出てきたら、一人で買いに来てもいいしな、と。気楽に考えて、街の観光も楽しんだ。

 大満足で街への旅行を終えた二人だ。

 帰りは来た時と同じように、他で一泊して帰宅した。
 来た時は断念した屋台街の食べ物も、しっかり口にしたフィーナである。こんなに小さな体のどこに、あれだけ食べ物が入ったのだろうか、と。マァリは密かに思うけど、それもなんとなくわかる体だ。妖精は多分、口から得たものを、そのまま魔法のマナに変換するようだ。使える力が増えるというか、体の中に取っておけるようである。
 不思議な生き物だ、と、元人間のマァリは思う。
 特にマァリは元々の資質の上に、妖精性を上乗せしたようなものだから。
 帰りの最後、最寄りの村の村長に、街の土産を渡して挨拶をした。今後ともよろしくという挨拶と、自分達の身の保証の方もよろしく、という挨拶だ。案外、こういう積み重ねが大事だったりするもので、常識的なマァリを見ると、村長も良い印象を持ってくれたようだった。
 家に戻った二人は、旅行も楽しかったけど、やっぱり家が落ち着くわね、と、テンプレート通りの会話を楽しんだ。

「明日、早速ミオーネにお茶会の誘いをかけにいくわ」
「わかった。じゃあ腐らないように、お菓子はそのまま俺の鞄に入れておくから」
「ありがとう。マァリはどうする?」
「俺は買ってきた野菜の苗を植えておこうかな」

 わかったわ、と頷いたフィーナである。
 夜はそのまま互いの部屋で眠りについた二人だった。
 マァリは、やっと落ち着いて眠れる……と安堵したけど、フィーナは、ちょっと寂しいわね……と気持ちの変化が現れた。けれども彼に貸している部屋へ、入る勇気はあんまりなくて、流石に家でそれをやってはいけないと思うフィーナである。
 一緒に寝たい、とお願いするには、恋人にならないといけないのかしらね? と。そうしたものを含めて、マァリとの付き合い方を、お茶会で聞いてみようと思ったフィーナであった。
 翌日、フィーナから話を聞いたミオーネが山を飛び回り、シャンドラとチャールカの保護者のポッサンに話をつけてきた。
 お茶会の当日には、しっかり準備したフィーナである。しっかり準備したというか、マァリが気を利かせてくれて、朝から髪を複雑に結い上げてくれていた。
 マァリと出かける時に使う籠に、お茶とお菓子を詰め込んで、見送りに出たマァリの前で翅を広げたフィーナである。

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 美しい妖精の姿を眺めつつ、微笑を浮かべたマァリである。
 大好きな妖精は、今日も彼を幸せにする。
 ずっと願った幸せが手に入った顔をして、彼は庭先に釜を作るべく、腕まくりをするのであった。

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