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私がKAZOKUGOTO NOTEと向き合う理由

KAZOKUGOTO NOTEに向き合う、私なりのいま答えは「いま、家族がここにいる幸せを、未来の自分に残すため」


KAZOKUGO NOTEとは?

未来の自分と、大切な人に向けて綴る、感情のアルバム
どれだけあわただしく過ごしていても、
今日の日常が過去になる日がやってきます。
平等に時間が流れる中で、
人生を愛しく感じるために必要なのは、
過ぎてしまってからではなく、
その瞬間に大切なことに
気づける力なのかもしれません。

KAZOKUGOTO NOTEは、
それに気づくお手伝いをしながら、
時間が経つごとに価値が増す1冊のノートです。

近づけたいのは、
物理的な距離よりも、精神的な距離。

写真アルバムとは違う、感情のアルバム、
きっといつか、家族の宝物になる。

NEXTWEENEND ホームページより

私はこれまで販売初年度の2021年、2022年で1冊ずつ購入。
2022年は2年目だったことと、育休で家族に向き合う時間が長くなることから、比較的記入することが多かったものの、2021年はほぼ書けずでした。
2023年は育休から復帰のタイミングで、ゆっくり向き合う時間が作れず、書けないことに対してマイナスの気持ちを持ってしまいそうだったので一旦お休みすることに。
お休みしてみて、日々の生活に支障が出るほど困ったか、と言われればそうではありません。
実際、この一年は家族の記録を残すどころか、録画したドラマを1クール見切ることさえできないほど、目まぐるしい日々でした。

KAZOKUGOTO NOTEを取り出した日

1月末に保育園で個人面談がありました。
5歳1歳の子どもが家庭でできるようになった事を先生にお伝えしたいな、と思っていたのですが、1歳に比べて5歳は目に見える「出来るようになったこと」って難しいなぁと思うと同時に、
この1年間は5歳のことをちゃんとみてあげられていなかったんだな、という反省の気持ち。
しかし面談で担任の先生からお話を聞いてみると「5歳ちゃんはこの1年間で精神的にとても成長しました。自分の感情のコントロールの仕方、お友達への伝え方…」等々、家では分からなかった(そして外の世界ではそんな対応ができるのね、ということも含めて)ことをたくさん褒めてくださいました。
また家では甘えん坊でしかない1歳くんも、保育園ではできることを着実に増やしていて、外の世界で先生やお友達と関わりながらしっかり成長している姿を教えてもらいました。
私の見えないところで、子供達も精一杯頑張っている。分かっているようで、日常生活の中では忘れてしまっていること。外で頑張っているんだから、家では多少甘えようとわがままだろうといいじゃないか、と思うと同時に、毎日を精一杯生きて成長している二人の様子を書き留めたくなり、KAZOKUGOTO NOTEを取り出しました。

一年前はまだ保育園に入っていなかった1歳くん。
いつまでも赤ちゃんの気持ちだけど、成長してる。

小さい頃の自分の姿は今の自分を作っている

KAZOKUGOTO NOTEに書き残したい!と思ったのは、自分自身が保育園・幼稚園で先生や親からもらったメッセージを大人になって読み返して、自分の生まれ持った性格や強みを再認識するきっかけになったからです。
お誕生日ブックに書かれていた、
「おもったこと、かんじたことなどをどんどんおはなしできる」「ああしたらいいな、こうしたらいいなを行動に移せる」「うつくしいもの、かわいいものに心を寄せる」は、まさに今の私そのまま。
はじめての小さな社会で、成長していく姿を残しておくことは、自分の道を探すとき迷ったときにきっとプレゼントになるはず。また同時に小さい頃の自分を見つめてくれた温かいまなざしを知ることで、心の支えになると思いました。

2年越しに開いてみたKAZOKUGOTO NOTEは…?

KAZOKUGOTO NOTEを書こうとしたとき、購入初年度ほぼ書けていないノートのなかに、数枚の記入したページがありました。
そこには今は見ることのできない、3才半当時の娘の姿が。
当時は特に感動的でもない小さなことを書いていいのかなぁ〜と思っていましたが、すっかり忘れてしまっていたようなエピソードや娘の書いた絵をみて、じわっと心があったかくなりました。
書いている当時は何でもないことが、たった2年後でも宝物に感じる。KAZOKUGOTO NOTEの価値を実感した瞬間でした。

弟が生まれる前のいちご狩り。5歳さんが3歳だったとき。
全てが私だけ、の世界からすっかり変わったんだよね

幸せな人生を送っているんだな、を常に意識できるように

まもなく30代も折り返し地点を迎えるにあたり、これからの暮らし方、働き方を改めてどうしたいのかを考えています。
「幸せな人生」とは何なのか?を考えるために何冊か本を読みました。
そのなかで必ず出てくるのは、「いまある幸せを、幸せだと認識すること」
どこでも使い回されている、聞き慣れた言葉ですが、実際の生活のなかでは物事の大変な面にひっぱられてしまうことが多いし、実際大変なことも多いです。

私にとってのKAZOKUGOTONOTEは、気付けばあっという間に過ぎてしまうであろう「今ある当たり前の日常、子供と過ごす日々」を未来の自分のための残すもの。
きっと今の何でもない日々は人生の中で濃い時間で、おばあちゃんになっても「あの頃は…」と語りたくなる時間なんだと思います。
どんな言葉を残すのか、とかかっこいいことはあまり意識せず、未来の自分に向けて日々のありのままを綴っていければそれで十分。
きっとそれが数十年後「あぁ、私はいい人生を送っているんだな」と未来の自分の心を温めてくれるのだと思います。

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