見出し画像

劔樹人『あの頃。男子かしまし物語』(イーストプレス)

楽しいファン生活

映画『あの頃。』(2021)がきっかけで、アイドルとは何かを学んでみようと考えた私でしたが、劔樹人さんの描いた原作をまだ読んでおらず、ようやく手に取ることができました。映画を見たとき、アイドルファンって楽しそう、とまぶしく思えたことをよく覚えています。私は同性と仲良くするのが苦手で(それをいうなら、異性も苦手なんですが)、こんな風に男友だちと楽しい時間をすごした劔さんがうらやましく、終始「いいなあ」と憧れながら読みました。エッセイマンガともまた違う、イラストと文章のつらなりも独特の味を出しており、とてもオリジナルな表現になっていると感じました。

『あの頃。男子かしまし物語』は、大阪でバンド活動をしつつもうまくいかず、人生に行き詰まっている主人公の「劔」が、友人に教えてもらった松浦亜弥のMVに感動してアイドルファンになり、同じ仲間と知り合っていくという著者の実体験が元になっています。トークイベントを開いたり、誰かの家に集まって雑談に興じたりと、平均年齢30歳の男性たちが子どものようにはしゃぐ様子が実に楽しく描かれます。結果「モーニング娘。」や「ハロープロジェクト」とは、応援の対象であると同時に、彼らファンが集合するための目印、集合地点に立てられた旗のようなものになり、その場所に集まってきた男性たちは、競ってバカな真似をしては笑いあっていたのでした。

画像1

著者の優しい人柄

本書を読んでいると、劔さんの優しい人柄や、他者への信頼が伝わってくるような記述にはっとさせられます。「それまでひとりでアイドルヲタ活動をしていた僕は、もしかすると一緒にアイドルを応援できる友達ができるんじゃないかと期待を寄せ、ひとりでそのトークイベントに向かった」と語る彼は、その願いが通じて、熱い思いを共有できる仲間を見つけられるのです。これは実際、意外に難しいことだと思います。私は過去に、映画好きの人たちが集まる会があると聞き、集合場所の喫茶店の前まで行ったところで、急に怖くなって帰ってしまったことがありました。どうしても中に入る勇気が出なかった。だからこそ劔さんが「この仲間たちとのイベント、そして『恋愛研究会。』の結成に、僕は何ともいえない達成感を感じていた」「それでもなんとかその辛い時期をやり過ごし立ち直れたのは、ほかでもない、周囲の友人や大切な人たちの献身的な協力のおかげであった」と語る様子がまぶしく感じられました。

たとえば「この頃ようやくできた大切な彼女が、急に東京への転勤が決まったのだ」「アイドルを好きになったことによって出会った、最高の友人たち」と、気負いなくさらりと書ける劔さんはすてきだと思うし、そうした素直さがこの本を魅力的なものにしています。アイドルについて書いているように見えて、実はアイドルを応援していく過程で生まれた人間関係について描いた作品であるのがポイントで、映画化はその構造を忠実に踏まえたものであったように思います。思えばアイドルとは、人間的魅力のかたまりのような人たちのことです。そして、アイドルを通じて意気投合した仲間たちは、人の魅力を発見したり、人を好きになったりすることに長けているように思えるし、「誰かを好きになること」にこだわって生きている人びとであるようにも見えます。できれば彼らのようになりたかった。そして私は、かつて喫茶店のドアを開けられなかった自分自身を思い出して、言いようもなく恥ずかしい気持ちになるのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?