見出し画像

『レミニセンス』と、堂々たる愛の賛歌

「記憶を再現してほしい」

予告編では、いかにも『インセプション』(2010)を連想させるようなモチーフや映像が見られ、またノーランの弟がプロデューサーとして参加するなど(監督はノーラン弟の妻であるという)、作品の本質とはやや離れた部分で余計なノイズが目立った『レミニセンス』でしたが、実際に見てみると、映画として王道の作り、堂々とした愛の賛歌に胸を打たれました。10代、20代の頃に見てもうまく理解できなかったかもしれない、人間関係のかけがえのなさ、他者への信頼に関する物語で、とてもいい印象を持って劇場を出ました。近未来SFのモチーフも効果的で、世界観の構築もユニークだったのではないでしょうか。

本作は、地球温暖化で海面水位が上昇してしまった近未来の世界を舞台にしています。登場人物たちの暮らすマイアミの都市はほとんどが水没し、残された人びとは船で移動しながら、どうにか居住可能な残された土地で暮らしています。登場人物たちの会話からは、過去に大きな戦争があり、人びとの暮らしや精神に大きな傷を残したことが読み取れます。主人公ニック(ヒュー・ジャックマン)は元軍人の男性です。戦争が終わってからは、脳内の記憶をリアルに再現させる装置を使って、過去の思い出にひたりたい顧客の要望に応える仕事に従事していました。ある日彼は、メイ(レベッカ・ファーガソン)という女性から、自分の記憶を再現してほしいと要望を受けます。

画像1

フィルム・ノワールからの逸脱

メイが初めて登場するシーンでは、いかにもファム・ファタール風のイメージが漂い、彼女の登場によって主人公が転落していく展開を予想させます。実際、物語途中までは、いかにもフィルム・ノワール的なあらすじを見せていく本作なのですが、女性監督リサ・ジョイの狙いは、そうしたジャンル的枠組みからの逸脱であるように感じました。フィルム・ノワールとは端的にいって「女嫌いミソジニーの映画ジャンル」です。ファム・ファタールの表象とは、女性に対する愛憎がいびつに歪んだ結果であったようにも思えます。ゆえにノワール映画の価値観は古く、現代においては成立しないものなのですが、本作はノワール的なものの反転が描かれる点が特徴となっています。

ファム・ファタールとは、他者の根本的な不可解さ、他人というものの理解しがたさの象徴でもあります。かつてのハリウッド映画は、他者と接することの不安を女性嫌悪ミソジニーに置き換えて(女性を悪者に仕立てて)、ひとまずの溜飲を下げようとしました。彼らが怖れたのは、不可解な他者としての女性でした。言うまでもなく、人と触れ合うのは実に怖い。他人とはなにを考えているのかわからない存在です。突如として自分を傷つけたり、姿をくらましたり、別人のような一面を見せてきたりするものです。そのような他者と理解しあうなど、ほとんど不可能なように思えます。「ぜんぶ女が悪い」と責任を相手に押しつけられれば、確かにラクかもしれません。

しかし『レミニセンス』は、内面をうかがい知れない他者と少しでも理解しあえるよう、ともに苦しみながら一段ずつ階段を登っていくしかない、その先にしか存在しない幸福というものがあるのだと伝えようとします。いかに他人を信頼するか。そのまっとうなメッセージに胸を打たれました。このように、フィルム・ノワールのモチーフが、フェミニンな視点からすべて裏返しになるような快感が、本作にはあります。SF的な舞台仕立てや、記憶への潜入といったさまざまな設定が、こうした作品テーマを伝えるために必要なモチーフとして有機的につながっていたのが、『レミニセンス』に深みを与えていると感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?