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『ミナリ』と、アメリカン・ドリームの残骸

これは誰の夢なのか

1980年代、レーガン政権下のアメリカ。カリフォルニア州に暮らしていた韓国人一家が、農業での成功を目指してアーカンソー州*1 へ移り住んでくる場面から、映画『ミナリ』(2020)は始まります。カリフォルニア州ではひよこの雄雌鑑別を職業としていた夫婦ですが、独立してひと山あてたいと願う夫(スティーヴン・ユアン)は移住を決意。アーカンソー州の美しい自然がとらえられたオープニングのショットに胸が躍りつつも、これが「夫の目線から見た風景」であるようにも感じられます。周囲の景色がきらめいて見えていたのは、夫だけではないのか。

目的地へ到着して早々に始まる夫婦のいさかいによって、夫の夢である農業への参入に、残りの家族が渋々付き合わされていることが判明します。家族が住む「新居」とは、実際のところ粗末なトレーラーハウスでした。機嫌よくアメリカン・ドリーム*2 にひたっているのは夫だけです。トレーラーハウス住まいに失望する妻(ハン・イェリ)をなだめながら、この土地で成功するのだとみずからに言い聞かせる夫。妻はただ不安がつのるばかりです。一方、まだ幼いふたりの子ども(姉:ネイル・ケイト・チョー、弟:アラン・キム)は、なぜ自分がアーカンソーくんだりまでやってきたのか、いまひとつわかっていないようでした。

現代版『怒りの葡萄』

こうした『ミナリ』のあらすじは、米作家スタインベックの小説『怒りの葡萄』(1939)を連想させます。貧困生活の脱出を目指して、オクラホマ州からカリフォルニア州へ移り住んだ一家が描かれる『怒りの葡萄』。しかし、夢を抱いて到着したカリフォルニア州で、一家は途方もない苦難に遭遇します。『怒りの葡萄』は「まっとうに働き、立派な暮らしを手に入れる」というアメリカン・ドリームの残骸にまつわる小説でした。そこには、1930年代の不況と、農業が機械化されていく時代の変化も影響しています。『怒りの葡萄』では、トラクターの登場によって職を失う小作人が描かれますが、『ミナリ』で中古のトラクターを入手する夫の姿には、どうしても『怒りの葡萄』が重なってしまいます。

『ミナリ』の劇中、「カリフォルニアには何もなかった」と失望をあらわにアーカンソー州へ移動する韓国人一家の姿は、かつて夢を抱いてカリフォルニア州に移住し、失望した『怒りの葡萄』の一家の未来を連想させるような部分があります。カリフォルニアでも夢は叶わなかった、だからここを出るのだと。その一家が白人ではなくアジア人であるところに、2020年のアメリカ映画としての必然性が生じているようにも感じられるのです。「移動によって社会的地位が上昇する」というアメリカ的価値観を信じて挑戦する夫。しかし、農業用水の確保や、農作物の販売先などの問題が生じ、一家は苦境に陥ります。

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祖母の無意識

日々の仕事に追われ、このままでは幼い子どもの面倒もままならないと考えた妻は、韓国から祖母(ユン・ヨジョン)を呼び寄せて生活を立て直そうと試みます。かくして、小さなトレーラーハウスに三世代が同居することとなりました。英語の話せない祖母。周囲に対しては英語を使うが、家庭内の会話では韓国語を話す夫婦。そして、両親に対しては韓国語を使うものの、姉弟の会話ではごく自然に英語が出てくるふたりの子ども。家族のなかにすら世代間の差異があります。ワイルドな祖母の登場によって、硬直していた一家がほぐれていくのが、本作の転換点です。家族が再生するためには、異なる世代の融合が必要だったのです。

この物語で賭け金となるのは、夫のアメリカン・ドリームです。夫にとって成功は自分自身の存在証明でもあり、農業を通じた夢の達成を求めました。しかし、その一世一代の賭けに敗れて、家族は離散の危機に陥ります。この危機を救うのは祖母なのですが、では彼女が「反アメリカン・ドリーム」なのかというと、決してそうではないと思われます。彼女はただ自由に、自分の好きなようにふるまっているだけであるにもかかわらず、あらゆる行動が結果的に、アメリカン・ドリームに抗うよう、ひとりでに作用してしまうのです。祖母の無意識、韓国から持ち込まれたルーツと価値観が、家族にとって大いなる救いとなる。その化学反応が『ミナリ』をユニークな作品にしています。

祖母はただそこに存在しているだけで、家庭を崩壊に導くアメリカン・ドリームの幻影を追いやり、家族をふたたびひとつに結びつけることができます。彼ら一家は、それまで必死にしがみついていたアメリカ的価値観(独立独歩、有用な人間であること、勝利)から自由になることで、ついにアメリカ人として生きていく準備が整ったのかもしれません。夫があれほど苦労した農作物の栽培ですが、祖母はいともかんたんにセリ(韓国語でミナリ)を繁殖させてしまいました。そこにルーツというものの強さを見るのです。

1.  アーカンソー州は米国でも貧困の比率が高い州のひとつであり、なぜ一家が夢を抱いて移住する土地なのか、少しふしぎではあった。ビル・クリントンの出身州でもありますね。貧困率の高い州については、以下リンクを参照。

*2 アメリカン・ドリームという言葉には「とてつもない成功をおさめて大富豪になる」といったイメージがありますが、本来の語義は「みずからの力を頼りに働いて家を持ち、豊かな暮らしをして、子どもを大学まで進学させる」ことであり、本稿ではその文脈でアメリカン・ドリームという言葉を使用しています。

※ 『怒りの葡萄』はみごとな小説ですので、ぜひ読んでみてください。

『ミナリ』と『怒りの葡萄』の関連性については、以下のレビューが指摘しています。


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