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『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』と、2021年のリアリティ

ああ、この平穏はもう戻ってこないのだ

前作『クワイエット・プレイス』(2018)の設定を完全に引き継いだ続編。近頃、映画の続編では、前作を見ていなくても一応理解できるあらすじにしている作品が多いのですが、本作は『1』を見ていなければ理解困難な、かなり強気な作りのフィルムになっています。宇宙からやってきたと思われる怪獣(劇場用パンフレットでは「何か」と書かれています)が地球上で猛威をふるってから89日目の世界を起点とする『1』は、怪獣を倒す方法を編み出したところで終わりました。本作はその後の世界を描く映画となっています。宇宙からきた怪獣は、目は見えないが、音に反応して襲いかかってくる凶暴な生物で、地球上のほとんどの人間を死滅させてしまいました。過酷な環境を生き抜く、生き残りの家族が物語の中心です。

2作目では、まず1日目の顛末を描き、そこから472日目にジャンプするというドラマティックな時間軸の構成が光ります。この1日目の描写がすばらしい。平穏な日常が破壊される瞬間、その崩落の恐怖を巧みに描いており、見ながら「ああ、この平穏はもう戻ってこないのだ」という感覚が味わえます。本作はジャンルとしてディザスター映画と呼べると思うのですが、主人公が荒れ果てた無人の薬局に忍び込んで包帯や薬を調達する場面の物悲しさも、ディザスター映画らしい雰囲気に満ちて実にいい。かつてここには文明があり、暮らしがあった……という諸行無常の感覚がおしよせてきます。もう何度見たかわからない設定ですが、何度見てもいいものはいい。私はこの、無人のショッピングモールや商店に入り込む生存者の描写がたまらなく好きなのです。

「異様な事態が起こり、日常が破壊される」映画の意味とは

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音を出してはならない世界では会話も禁じられており、主人公は普段手話を使ってコミュニケーションをします。赤ん坊が泣き出した場合、酸素ボンベをつけて防音の箱のなかに入れ、怪獣の攻撃を防ぎます。こうした描写は、2018年には映画ならではの突飛な設定にしか思えませんでしたが、現在、誰もがこうしたシチュエーションを「あり得る状況」として見てしまっているという、外的状況の変化がおもしろいのではないでしょうか。この奇抜な設定にすら、いまのわれわれは共感できてしまうのです。ひるがえって『1』にもまた違う意味が付与されてしまいました。私はディザスター映画がもっとも好きなジャンルなのですが、あらためて「異様な事態が起こり、日常が破壊される」というタイプの作品がそう安易に作れなくなってしまったと感じています。相当ひねったアイデアを出さなければ、観客は満足しないはずです。現実そのものが、本当にわけのわからない方向に進んでしまっているからです。

個人的に非常に気に入っている、怪獣撃退装置の秀逸さもみごと。映画を見る楽しみが凝縮されたような、あのコンパクトな装置に胸がおどります。初心者用の小型エレキギターアンプを使った、持ち運びに便利なポータブル式の武器になっていて、あれにエレキギターをつないでフィードバック音を出して怪獣を攻撃すればもっと最高なのに、などと考えたりもしてしまいました。また、危機の場面、クライマックスなどで強調される動作のシンクロも印象的です。緊張感、危機の連続で楽しませてくれるフィルムであると同時に、この作品にどこかリアリティすら感じる2021年のわれわれについて思いを馳せてしまうのでした。

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