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『355』『大怪獣のあとしまつ』

『355』

世界各国の女性シークレット・エージェントが集合し、共通の目的のためにチームを作り上げるというあらすじのアクション映画。ジェシカ・チャスティン、ダイアン・クルーガー、ルビタ・ニョンゴ、ペネロペ・クルス、ファン・ビンビンといった俳優の格闘や銃撃がたっぷり盛り込まれた、楽しい作品です。当初はいがみ合っていた登場人物どうしが、利害関係を考えても共闘した方が得だろう、と考えてチームを組むのですが、やがて友情らしきものが芽生えていき……という展開も、定番ながらグッとくるものがありますね。

個人的に好感を持ったのは、武闘派の女性ばかりではなく、臆病な女性、知性的で論理派の女性など、人物それぞれの性格を細かく描き分けている点、またそうした差異がチームの強さに結びついているといった描写でした。銃のマガジンを「パチーン!」と気持ちいい音を立てつつ一瞬で交換してしまう凄腕エージェントばかりではなく、銃が怖いと感じるメンバーを入れておくことで、「世の中には、ある状況に強い人もいれば、弱い人もいる」という前提が伝わってくるのが好きでした。設定はユルめなのですが、それも含めて心地よく展開される娯楽作という雰囲気があるフィルムです。

『大怪獣のあとしまつ』

事前の評判があまりよくない作品でしたが、私はこれまでの三木聡監督の作品がわりと好きで、『亀は意外と速く泳ぐ』(2005)『転々』(2007)『インスタント沼』(2009)といったコメディ作品は大いに楽しんでいました。監督インタビューを読むと、今回の作品は三木監督が自分で出したアイデアだとのことでしたが、三木監督の作風と、ディザスター映画的な企画の方向性がうまく合致しなかったというのは実際あると思いました。ストーリーから考えても、あまりふざけない方が全体のテンポはよくなると思うのですが、三木監督にふざけない映画を作れというのも難しい話です。また、怪獣の死体をどう処理するかという手順の説明や、死体処理を進めるにあたって「何をしようとして、どううまくいかなかったのか」の描写が明確でなく、全体的にあいまいであると感じました。

たとえば劇中、ダムを破壊して川の水流を一気に増加させ、その水流で死体を海まで流してしまう、という計画が描かれます。この計画は失敗するのですが、失敗したかどうかの明確な説明がないまま話が前に進んでしまうので、見ている側は「怪獣は流れてないし、ダム破壊計画は失敗ということでいいのかな?」と、すっきりしないまま見続けるほかありません。画面で明確に失敗を示すとか、誰かに「ダメだったか……」と言わせるなどして区切りをつけないと、見ていてわかりにくいと感じました。あらすじの中心となる計画が進んでいくのも「計画1失敗→計画2実行→計画2失敗→計画3実行」という風に展開のメリハリがついておらず、いままでにいくつの計画を立てたのか、それらは成功だったのか失敗だったのか、各々どの程度効果があったのか、という流れが明確でないまま進んでしまうため、スリルが高まっていきにくいと感じました。

三木監督のギャグについては、前半はそれなりにうまく行っていた気がするのですが(「玄関の前にラクダの死体があったら嫌だ」はとてもいいと思いました)、後半になりギャグの質が失速してしまい、小学生じみた下品でひねりのないギャグ(ギャグの内容を説明するのも恥ずかしいような低レベルなもの)が中心になってしまったので、そこははっきり苦手でした。三木監督、もっとおもしろいギャグ思いつくはずなんだけどな。一方、岩松了がよくわからない例えを何度もするくだりはよくて、ほんらいの三木監督らしさが出ていると思いました。とはいえ全体を通して見た際に、独特のデタラメさは持ち得ており、ラストシーンの不可解さも含めて、「妙な映画を見たな」という印象を残す作品になっていると感じました。この感覚は重要だと思います。とはいえこの話をつきつめていくと「映画にとって失敗とは何か」という遠大なテーマを論じるほかなくなってしまうので、今回はそこには立ち入らないようにします。

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