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『L.A. コールドケース』と、誰がビギーを殺したんだ?

ギャングスタラップは怖かった

90年代のアメリカ音楽界で人気者だったふたりのラッパー、2パックとノートリアス・B.I.G.の殺人事件をベースにしたサスペンス映画。2パックは96年、ノートリアス・B.I.G.は97年にそれぞれ死亡している。いまだに犯人が特定されていない未解決事件だ。この事件の捜査にあたった実在の刑事ラッセル・プール(ジョニー・デップ)と、この事件を記事にしようと取材を続けるジャーナリスト、ジャック・ジャクソン(フォレスト・ウィテカー)と共に調査を進めると、警察の汚職問題が浮かび上がってきた……というあらすじ。

90年代当時、私は2パックもノートリアス・B.I.G.もまるで知らず("Big Poppa”だけは、すごく流行っていて12インチを買った。好きな曲)、彼らがけんかしていたこともリアルタイムではよくわかっていなかった。その頃、私のヒップホップ理解は浅く、ギャングスタラップは粗暴な人たちが自分のやった悪いことをじまんするだけの音楽だという誤った先入観があったのだ。スヌープは聴いていたが、レコードジャケットが犬のイラストでポップだったからという、これまたどうでもいい理由だった気がする。私は昔から、怖そうな人が演る音楽が苦手だったのだ。90年代、アメリカのラッパーは西海岸と東海岸にわかれていがみあい、抗争していたという話だが、何でそんな物騒な事態になるのかがよくわからなかった。まあけんかなんて、始まりはたいていどうでもいい理由なのだろうけれども。

若きラッパーの死にとりつかれたふたり

真犯人はわからない

そんなヒップホップ弱者の私だが、『L.A. コールドケース』は好きな作品だった。基本的にはフーダニット(誰が犯人なのか)映画なのだが、未解決で誰がやったのかわからないままなのがいい。誰かがビギーを殺した。犯人らしき男の目星はついている。しかし真犯人はわからないまま映画は終わる。現実に解決していないからだ。そこが好きだった。映画で真犯人がわからないのはとてもいいことだと思う。事件にとりつかれる元刑事やジャーナリストの虚無がより強調されて、切ない印象になるのがストーリーの深みにつながっているためだ。かつて刑事だったラッセルは何十年も、ひとりのラッパーの死について考え続けている。目撃者に会い、容疑者の家へ行き、現場を何度も検分した。しかし答えがでない。だからこそいまだに考え続けている。同じことを考えすぎて、社会から断絶してしまっているが、考えるのを止められない。その悲しさがフィルム全体にあふれていて、共感してしまった。

アメリカらしい競争社会の過酷さ、成功に対する執念が暴力と一体化するまがまがしさがよく出ているのが本作の妙味だと思う。私はすべて後追いで知識を得ているので、劇中でシュグ・ナイト(レコードレーベルの社長、何でも暴力で解決しようとする危険人物)が出てきた時、「あっ、スヌープが文句言ってたのはコイツか〜」という、テスト範囲を勉強していたら試験に出た的な興奮があった。ラップマニアの方が見れば、もっと違った印象を得るのかもしれない。それにしたって、2パックは25歳、ビギーは24歳で亡くなっており、そんなに短い人生じゃ何も味わえなかったろうに、と思う。

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