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『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』と、私のために作られた映画

オーダーメイドの映画

「これは自分のための映画だ」と感じることが、映画ファンにはあります。他の人にとってはあまり響かない作品かもしれないし、映画としては不完全かもしれない。しかし、これは自分のために撮られたのだと感じるようなパーソナルな作品。『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』は、まるでオーダーメイドの服でも着ているかのような、まさに私のために撮られたと錯覚してしまうような映画でした。80年代に活躍したイギリスのバンド、ザ・スミスの解散を知ったティーンエイジャーたちの一夜を描いた本作は、私自身の過去の記憶と深く結びついたディテールに満ちていて、全編に渡って魅了されてしまい、「私はこの日、本作の登場人物のひとりとして、この夜を彼らと共に過ごしたのではないか」とありもしない夢想をしてしまいました。

1987年、コロラド州デンバー。ザ・スミス解散の報を知ったファンの若者たちの失望から、本作は始まります。熱狂的スミスファンで、スーパーのレジ係をしているクレオ(ヘレナ・ハワード)は、テレビのニュースでスミス解散を知り、思わず叫んでしまいます。同じスミスファンで、レコード店に勤める青年ディーン(エラー・コルトレーン)を訪ね、お互いの気持ちを語り合いますが、ディーンはどうやら何かをたくらんでいるようでした。やがて同じ町に住むスミスファンの若者たちが集まり、彼らは夜のパーティーへ繰り出すのですが、ディーンはそこには参加しません。彼は地元のラジオ局へ、銃とスミスのレコード一式を持って押し込み、スミスの曲をかけるようDJを脅迫するのでした。この映画はフィクションですが、ラジオ局の事件は実際のできごとだったようです。

『6歳のボクが、大人になるまで』(2014)に出てきた男の子です。おっきくなったねえ

引用で成立するせりふ

劇中、スミスの楽曲が次から次へと流れる構成もさることながら、登場人物のせりふが歌詞の引用で成り立っている脚本も印象的です。たくさんの会話が、細やかな引用によってやり取りされるため、スミスをまったく知らない人が見たとして理解できるのか、楽しめるのかの判断がつかないのがもどかしいところです。デンバーの田舎暮らしに疲れた少女が "Denver, so much to answer for" と叫ぶ場面。「どこへ行く?」と声をかけられた少年が "Take me anywhere, I don't care" と答えるくだり。あるいは、ラジオ番組で曲をかける前に "Don't forget the songs that made you cry" とつけくわえるDJのせりふ。登場人物シーラの名前は、"Sheila take a bow" への目配せでしょう。こうした引用はどれも、スミスファンにとってたまらない要素で、引用がわかるほどに感激も増すという仕組みになっています。歌詞とストーリーの文脈も合っており、ファンでなければ書けない脚本だと感じました。

好きな場面は多々ありますが、若者たちが集まった店で "The Queen is Dead" がかかり、みながいっせいに踊り出す場面は本当に美しく、青春映画のきらめきをつかまえたシーンだったと思います。スミスファンではない観客が本作を見た際、映画としての普遍性を備えているかについて、うまく判断がつかないのがもどかしいのですが、思春期の若者たちが持つ情熱をつかまえたフィルムとしての魅力もあるのではないだろうか。クレオを演じるヘレナ・ハワードはたいへんチャーミングな役者です。また、とある少年が口にした「僕は女の子を好きになると、その女の子と付き合いたいのか、その女の子みたいになりたいのか、自分でもわからなくなる」というせりふは本当にすばらしいと感じました。これは最高ですね。いかにもモリッシー的でフェミニンな視点だと感じたし、新鮮なメッセージだったと思います。この映画をきっかけにスミスを聴き始める観客はいるのでしょうか? それはそれで、すごくおもしろい遡行の体験になると思いました。

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