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『バス・ライトイヤー』と、いびつでバランスの悪いヒーロー

この過剰さは何か

情念が過剰に溢れている映画だと感じた。まずは何より、その過剰さに圧倒された私である。本作の『トイ・ストーリー』シリーズ(1995〜)のスピンオフとしての設定は「少年だったアンディが、バスのおもちゃを買うきっかけになった映画」だが、実際の作品はこうした前提と齟齬をきたしているし、多くの観客は、幼いアンディがこの映画でバズのファンにはならないだろうと思う。本作は決して、わかりやすく「子ども向け」ではない。しかし、こうしたバランスの悪さ、いびつさも含めて、『バス・ライトイヤー』はすばらしいのである。生きていく意味を見つける難しさ、無力感、失敗の記憶、老い、それでも歯を食いしばって肯定的であろうとする態度。こうした複雑な感情を、SFのフォーマットで描いた本作に胸を打たれた。

とある惑星へ探索のために立ち寄った宇宙船。乗組員のバズ・ライトイヤー(クリス・エヴァンス)は、事故により宇宙船を破損してしまい、120人の乗組員は惑星から出られなくなってしまった。宇宙船を直し、故郷へと戻る準備のあいだ、惑星で生活することになった乗組員。しかし、いつまで経っても惑星からの脱出はかなわず、惑星の生活は年単位に及ぶ。どうにか脱出のための方法を見つけ出そうとするバズだったが、解決策は得られず、時間だけが経っていく。やがて惑星でその人生を終える者や、その惑星で生まれて他の星を知らない子どもたちも現れるようになり、とある理由からひとりだけ歳を取らないバズは、罪悪感と孤独にさいなまれるのだった。

仲間から学び、成長する展開もみごと

スピンオフとしてのバランスには欠けるが

まずは『トイ・ストーリー』シリーズのスピンオフという位置付けからは考えられないほど重い展開に驚く。「自分のミスから120人の乗組員が未知の惑星から出られなくなり、彼らが数十年にも渡って惑星で暮らし、多くは出られないまま死んでいく羽目になる」とは、これほど大きな失敗はなかなか考えつくものではない。この重大な責任は最初から最後までバズについてまわり、物語の爽快さを阻害している。さらには、惑星から脱出するためにはバズが光速で宇宙を飛ぶ実験が必要であり、彼がたった4分の実験を一度するたびに、ウラシマ効果で4年の時間が経過してしまうというもうひとつの設定も実に重い。一度実験をするたびに、周囲はどんどん年老いていき、若かった仲間は老人となり、やがて死に至る。これもまた重苦しく悲しい展開だ。実験を重ねるバズだけが歳を取らず、まわりだけが老いて、世を去っていく。しかしバズは、ほとんど贖罪のように、その実験を継続しなくてはならない。

スピンオフ作品としてのバランスに欠け、子ども映画にはあきらかに不釣り合いなふたつのヘビーな題材だが、私は非常に深く揺さぶられた。バズが4分の飛行実験を一度するたびに4年が経過してしまうというモチーフは、監督曰く映画制作のメタファーなのだという。ひとつの映画作品を完成させるまでに必要な日数がおよそ4年であり、4年ものあいだかかりきりになった作品を世に出すたびに、そのあいだに経過した時間を実感するのだと監督は述べる。きっと監督は「あと何本作れるのか」「自分が費やした4年には意味があったのか」と考えるだろう。この作品で描かれる「残り時間」の感覚が、何とも痛ましい。私自身、もし20代で本作を見たとしても、あまり響かなかったかもしれないと思う。ディズニー/ピクサーを代表するフランチャイズが、このように剥き出しの苦悩を描こうとするいびつさを支持したいのだ。

テンポよく描かれるギャグ、秀逸なサイドキックの猫型ロボット、ソックス(ピーター・ソーン)のユーモラスな動き。そしてSF映画の良質さを集めて組み立てられた世界観やプロット。こうした細部が、生きていく上で感じる無力さや空虚、時間の経過という恐怖、苦悩の末にたどりつく自己肯定といったテーマへ結びつく構成に感動した。ある意味泥臭く、まっとうなテーマ性は、いつものように「器用なピクサー作品」「観客に思いも寄らない驚きを与える映画」ではないかもしれない。しかし私はこのがむしゃらさがたまらなく好きであり、勇気づけられるのだ。

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